2018年11月26日月曜日

近藤啓太郎ー「微笑」








 近藤啓太郎の「微笑」(昭和49年 新潮社)を読んだ。

作家・近藤啓太郎さんの寿美夫人に異変が起こった。
この「微笑」は、近藤啓太郎氏の家族のみなさんと、近藤氏と寿美さんの個人的なお付き合いの人々とのことを書いた本だ。
診察を担当した幾多の医師たちとのお付き合いも、なかなか友愛に溢れたもので、ほのぼのとさせられた。
患者として見事に頑張った夫人と、夫人を看まもる家族たち、夫に長男に長女。

夫人に異変が起こった昭和46年8月25日からが、この話の始まりになる。
癌の発病から、闘病生活、さらにその壮絶な死までを追った辛く哀しい自伝小説になる。
夫人に対しては、この痛みが癌によるものだとは、病気で寝るようになってからも、話さなかった。
自宅は、千葉県の鴨川。

詳しくは、小田病院の院長や、国立東京第二病院(東二)の医師、亀田総合病院の若先生など、多くの方々が親身になって尽くしてくれたことが順を追って語られている。
それ以外に、近藤や寿美夫人の近親者だったり仲間だったり。
近藤の学校時代の同期生、近所の仲間たち。
近藤の気晴らしに、作家仲間も大勢出現したが、物語そのものには、余り影響なかったからここは、出現したことだけにしよう。

物語は、飽くまでも夫である作家・近藤啓太郎と妻の寿美さん、二人の子どもを含めての辛く哀しいが強く逞しい、愛情いっぱいの哀切な家族劇だ。

近藤は近藤で、作家の仕事をやりながらの妻を想う気持ちが、読む者に刺激を与える。
入院中の寿美夫人の病気の程度がなかなか良くならないことを確認して、娘にも付添い看護をさせた。
気の利く娘さんで、衷心、母の心までいたわっていたようだ。

亀田総合病院で近藤の子どもたちが生まれている。
夫人が癌に罹る前だが、吉行淳之介と阿川弘之が鴨川を訪れたとき、何故か、近藤が同病院で血液検査を受けるように誘い、三人で受けたこともあった。
何故、こんなことを近藤は企てたのか? それは解からない。

近藤が子どもの頃から最も仲良くしている、鴨川グランドホテルの鈴木政夫氏から電話があった。
「おれの出来ることなら、なんでもするから、もし困ったことがあったら、遠慮なく言ってくれよ」と優しい言葉をもらっている。
この鴨川グランドホテルは恋の句を多数残した情熱の女流俳人・鈴木真砂女の実家である。
ホテルの地下1階には、「鈴木真砂女 ミュージアム」が設置されている。
近藤も鈴木真砂女に短歌を習うなど親しく交流していたようだ。
そんな関係もあってのことだろう、現在の社長さんのお父さんかおじいさんの鈴木政夫氏と、仲良くなったのだろう。

作家・丹羽文雄は近藤啓太郎の文学の師である。
近藤夫婦の結婚・披露宴において、丹羽文雄夫婦は仲人役の任を受けた。
寿美夫人の容態は、ときには良くなったり、ときには酷く辛そうな日もあった。
痛みの発覚当初は、後1か月持てば良いと言われていたけれど、何とか長期間伸びそうになってきている。
病状の変化は凄まじく変化、その変化のさまの報告書でもある。

気分の好かった日に、近藤啓太郎と寿美夫人に会話があり、その会話が次のようであった、
近藤=「あんまり好き勝手のことばかりしていたものだから、とうとうわたしにも罰が当っちゃいました」
と言ったら、
寿美夫人=「冗談じゃないわ。罰の当る方向が違ってますよ。罰は直接あんたに当ればいいのに…」と言われた。

卵巣癌は七転八倒するほど痛い。
激痛に唇が歪んで、縦になってしまうほど、苦しむんです。
地獄の責苦。
卵巣癌の母親の苦悶のさまを見て、頭が変になった娘がいるという話は聞いていた。
が、寿美夫人は常に微笑を浮かべていた。
そんなことから、この本の題名が「微笑」になったのだろうか。