2007年12月1日土曜日

復刻(朝日新聞)浦和、アジア初制覇

浦和、アジア初制覇。

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サッカーのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)決勝は14日、埼玉スタジアムで第2戦があり、浦和レッズがセパハン(イラン)を2-0で破り、アウェーの第1戦と合わせて3-1で初優勝を決め、アジア王者に輝いた。02年に現行方式のACLになってからは日本勢の優勝は初。前身のアジアクラブ選手権を含めると、99年のジュビロ磐田以来浦和はイランでの第1戦を1-1で引き分けていた。浦和は12月7日から日本で開かれるクラブワールドカップ(W杯)にアジア代表として出場する。

浦和 次は「世界」

アジアCL制覇   集中2発

真っ赤に染まった観客席から大声援を受けて、浦和が初めてアジアの頂点に立った。14日に埼玉スタジアムであったアジア・チャンピオンズリーグ決勝の第2戦で、浦和がセパハン(イラン)を2-0で退けた。前半22分に永井のゴールで先制し、後半20分には阿部が加点。相手の反撃を粘り強い守りでかわし、優勝賞金60万ドル(6660万円)を獲得した。大会の最優秀選手には永井が選ばれた。

浦和はアジア代表として出場するクラブワールドカップで、12月10日の準決勝に臨む。来年のACLには日本から浦和を含めて3チームが出場。06年度天皇杯準優勝のJ1上位につけるガ大阪の出場も決まった。

オーレ

何も変わらなかったそれがたとえ、アジア王者をかけた舞台でもだ。守備が身上の自らの姿を浦和は忘れない。第1戦で苦しんだカウンターには対策を十分練っていた。

抜け出してきた相手に対して、MF長谷部、鈴木が体を寄せ、まとわりついた。飛び込んでかわされるようなまねはしなかった。味方が自陣に戻る時間を与え、ゴール前を固めることができた。

第1戦の後半早々、気持ちが高まらないうちに、速攻から追いつかれた。この日は後半3分にCKを与えたが、ワシントン1人を前線に残し、10人がゴール前に戻った。

攻撃で圧倒できないのは覚悟の上だ。第1戦をより上回ったのがゴール前の集中力。守備に追われ、シュート2本に終わったFW永井は「とにかく入れと思った」と先制点の場面を振り返った。

オジェック監督は常に目前の試合に関する質問にしか答えない。ACL全試合に出場したMF鈴木もかねがね力を込めて口にする。「すべてが一つ一つの積み重ねだ」と。アジア王者のタイトルは、課題を見つけては改善し、次の試合に臨むという地道な作業を繰り返した結果だ。

試合直後は歓喜にむせんだ選手も、帰り際には落ち着いた表情に戻っていた。腰痛をこらえてフル出場した阿部はいつもの小さな声で「ACLに勝ったからといって、J1優勝を逃せば通用しない」とぽつり。今季の浦和の目標はJ1清水戦に向け、準備を整えるだけだ。

ウエーブ

厳しい国際試合、クラブに収穫

今年ほどJリーグがアジアと向き合った年はなかっただろう。これまで、ACLに出たクラブは「アジアをとりたい」と言いながら、本腰で取り組んでこなかった面がある。経費を減らそうと小さい競技場を使ったクラブもあり、ACLは国内リーグより格下だと自ら位置づけていたようなものだ、

送り出す側の日本協会やJリーグも配慮が不十分だった。04年にA3チャンピオンズカップとACLの日程が重なり、横浜マがチームを二つに分けて臨んでいる。

アジア王者の地位が高まり始めたのは、05年。欧州と南米の王者が対決してきたトヨタカップが、6大陸王者が世界一を争うクラブW杯に代わったためだ。ACLの先には世界が開けている。今年は浦和も川崎も、アジア王者への思いを押し出した。Jリーグも過密日程の中、中3日が空くよう配慮した。

それでも容易に勝てないアウェー戦を、浦和は1勝5分けでしのいだ。藤口社長が「引き分けがいかに重要か。ホーム・アンド・アウェーの戦い方が体でわかった」と話す軌跡はW杯予選の厳しさそのものだった。

これまで国際経験を積む場は日本代表が中心だった。それをクラブが共有すれば、世界の奥行きを知る場は広がる。

浦和の勇躍は、Jリーグクラブの役割と可能性を思わせた。(中小路徹)

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アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)=67年に始まったアジアクラブ選手権と90年からのアジア・カップウィナーズカップを統合、真のアジアクラブ王者を決める大会として02~03年シーズンから始まった。優勝チームはクラブワールドカップ出場権を獲得。日本からは前年度J1覇者と前々年度天皇杯全日本選手権優勝の2チームが出場。