2007年12月11日火曜日

星野ジャパンに白(しら)ける!!

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野球の北京五輪予選を兼ねたアジア選手権は12月3日、台湾の州際棒球場で4チームによる決勝リーグの最終日があり、星野仙一監督率いる日本は台湾を10-で破り1位が確定して、来夏の北京五輪出場を決めた。

12月4日の新聞は賑やかに祝福の記事に溢れていた。テレビも、その後の週刊誌による報道も何故、そこまでやるの?どうして、そんなにすごいことなの?と、私は思っていたし、今も思っている。12月3日発売の週刊現代、12月9日発売の週刊アエラを読んだ。星野監督も立派な人だ。オーラを感じさせる監督だ。コーチの田淵さんも山本さんも立派な人だ。選手一人ひとり、どの選手も並はずれた実力のある選手だということも理解しています。そのなかでも、主将を務めた宮本慎也(37)のことは朝日新聞で4日朝刊2面「ひと」のコーナーでとりあげているので、最後のところで、転記して紹介したい。

そんな祝福? お褒め? 一辺倒! 過熱気味の報道を目にしたり、聞いたり、読んだりするたびに、私は一方的に白けていくのです。白け鳥が私の周りを飛び交うのです。星野ジャパンが北京五輪に出場できることになったのが、そんなにめでたいことなのだろうか。私は、お祝い気分にどうしてもなれない。一人そうっとフテ寝でもするしかないのか。

私はスポーツ狂、スポーツ耽溺派を自ら任じている。どんなスポーツにも関心があり、アスリートの日々の厳しい練習に思いを馳せるとき、わが身のダラシナサと比べて、えもいわれぬほど尊敬するのです。スポーツのなかでも、とりわけサッカーに関しては、プレヤーだったこともあって、日本サッカーリーグから、今のJリーグまでその隅々までチェックを怠りない、真面目なサッカーファンです。

この我が白け鳥心境は、何だろうか?何に起因しているのか? 女房に聞いてみたのです。私だけが偏見に満ちているのなら、即、この気分は訂正しなくちゃいかんわい。「星野ジャパンが北京五輪に出場できるようになって、みんなが騒いでいるんやけど、俺の気分は盛り上がるどころか、どんどん白けていくんだけど、お前はどう思う?」

女房曰く、「新鮮味がないから、そう思うんじゃないの」と、きた。新鮮味がないというのは、これはちょっと失礼な話やぞ、とは思ったのですが、それも一部にはあるなあ、と半ば納得した。が、それでは論評にはならないではないか。俺のこの勢いはどうすりゃいいんだ。

かってどのオリンピックだか忘れたのですが、バスケットにおいてアメリカがドリームチームとかいってプロで活躍しているスーパースターを集めて参加したことがあった。その時も、私は白けた。

「星野ジャパンが、新鮮ではないから白けるのよ」だけでは、無理があるのはよくよく理解しているのですが。白け気分はぬぐいきれない。

アジア予選決勝リーグにおける日本の成績は  

対韓国 〇4-3  対台湾〇10-2 対フィリピン〇10-0 の3勝0敗

今回は、無益な騒乱を避けて、私だけの「理由なき白け」、ということにしておきましょ。

追記=サッカーのようにU-22で編成したチームの大会にしたらどうだろう。検討してみて欲しい。長島さん、王さん、グレイト・ナベツネさん、野球を愛する全ての人に提言したい。オリンピックの醍醐味は若人に味わってもらって、年俸何億?というプレーヤーは、ワールド・クラシック・リーグで真の世界チャンピオンを競えばいいのではないのか。

宮本慎也さん(37)

仲間の手で3度、宙を舞った。「嫌なことも、だいぶ言ったのに。みんな素直だね」。五輪切符を手にし、前日まで見せなかった吹っ切れた笑顔が浮かんだ。アテネ五輪に続く2大会連続の主将。星野監督から、コーチ的役割も求められ「こんな難しいこと、監督がやってくれればいいのに」とこぼしたこともある。

最年少のダルビッシュ(日本ハム)らとは16歳差。若手に話しかけ、食事に誘う。ヤクルトでつける背番号「6」を譲ったのも「自分がそうすれば、みんながやりやすいはず」の思いから。今では自分が練習中にミスをすると、若手から「慎也さん、もう一丁」と声がかかる。攻撃時に一塁コーチに立ち、ベンチでは内野守備の指示を出す。打撃投手も務め、相手のデータは投手用の分まで頭にたたきこんだ。大会中、緩慢なプレーに「執着心が足りない」と雷も落とした。「体調?関係ないよ、コーチだから」と軽口を飛ばすが、早出をして選手としての準備も怠りない。星野監督は言う。「コーチ5人分くらいの仕事をやってくれる。あいつが今年打率2割2分とか3分だったとしても、おれは選んだよ」

次は金メダル、の声に「勘弁して、今はホッとしているのに」と返した。だが以前、漏らしたことがある。「来年は辞退したいって言っても偉そうなことを言ってるから~。許してくれないだろうなあ」。北京でも、この男が中心にいる。(文・松元 章)