私が不動産屋の一経営者として悩み、苦しみ、七転八倒、獅子奮迅の激しい生活のなかで、中野孝次さんの本の中の「清貧」なんて言葉で平安な気分にさせてもらって、かつ自らの気持ちを正すようになった。また犬との楽しい暮らしを、私の気分そのもののように書かれていて、本の中の犬と私と中野さん、中野さんのような高名な文学者には迷惑かも知れないのですが、勝手に一体感を感じさせていただいています。私の変わり映えのしない生活に涼しい文章で癒してくれるのは中野孝次さんでした。
この中野さんの犬との暮らしの物語は、その著作「ハラスのいた日々」で、ワンワンと多くの読者をうならせた。この本については、次の機会に語るとして、今回は、中野さんの別の本「犬のいる暮らし」(岩波書店)の中で紹介されている丸山薫さんの詩を、私もこの本の中で初めて知ったのですが、どうしても犬と一緒に暮らしている人には、この詩を味わって欲しくなって、詩の部分の前後の中野さんの文章もまとめてそのまま転載させてもらった。
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一度でも犬を愛し、犬との暮らしを経験した者にとっては、もはや犬がいない孤独な暮らしに戻ったあとでも、犬はよろこびを与える存在でありつづける。
丸山薫に「犬と老人」という詩があるが、これこそそんな事情をやさしく歌ったものだ。詩の中で、詩人はスピッツ種の仔犬を飼っていて、仔犬をつれて散歩に出ると、出会う人でその愛らしさをほめない人はいない。ある日犬をつrてて草原にいると、坂の上から粗末な服を着た老人が下りてきて、彼も犬に注目して立ち止まった。老人は「ほう、良い犬でごわすな」とほめ、珍しい種だとか、何を食べさせているかとか、いろいろ質問するが、詩人が素気なくあしらっていると、ふしぎなことに犬の方が老人にしきりに親愛の情を示した。尾を振って老人にとびかかってゆき、節くれだって大きな手ではげしく撫でさすられ、「みるみる奇怪な形のなかに消え入りそうに見えた」それから、ーーー
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「老齢(とし)でごわすな」
ふいに思ひ余った吐息をして老人が言った
「かやうな無心なものがなにより慰めになり申す
女房は墓になりました
子供は育って、寄りつかん
世間には憂きことばかり
終日(いちにち)、働いて帰るとかやうなものがじゃれついてくれる
もうそれだけで疲れは忘れるでごわすよ」
その言葉は不思議な滋味を滴(したた)らした
仔犬は這って、いそがしく草の穂を嗅ぎまはった
それから、彼のつぎの当たったズボンとシャツに跳びついた
老人は頭を低く突き出した
犬が惨苦に光る額(ひたい)の皺(しわ)を舐めはじめた
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そういう詩だが、詩人が中でいうようにこの老人の言葉と、老人に対する犬の反応には、なんともいえぬ滋味があって、わたしはこの詩が好きだ。短い言葉からも老人の現在の孤独と惨苦にみちた過去は明らかだが、それを愛らしい仔犬のふるまいが癒してくれるのである。こうなると仔犬はたんなる犬ではなく、何かの化身のようにさえ見え、この場景全体に慈悲の光が漂いだすような気がしてくる。
こんな文章を読んでいると、陽だまりでうとうとまどろんでいるいるときのような幸せな気分になるのです。
中野さん、有難うございます。無断転載違反覚悟の確信犯、山岡です。
(上の写真は、三女・ソが作った『造形』です。向かって左はツバサ、右はポンタ。真ん中はゴン、2年半前に死んだ)