懐かしい写真が出てきました。先日の黄金週間、久しぶりに生まれ故郷に戻った時、私が育った家を壊して新しい家に建替える際、解体現場から出てきたのです、と今や実家の大黒柱になった甥っ子が、取って置いてくれたのです。
母は平成14年の2月に、父は同じ年の11月に同じガンで亡くなった。
この写真は、今から15年ほど前、私と私の友人・小と吉と、父母の5人でニュージランドに行った時に、オークランドの上空遊覧ヘリコプターに乗った時に、操縦士の横に座った誰かが撮ってくれたものです。
ちょっとばかり仕事に余裕ができた時期でした。懐具合も、悪くはなかった。15年ほど前のことです。私は、気付かなかったのですが、世間ではバブっていると言われていた頃だったのです。父や母を何処かに連れて行ってやりたいと急に思いついて、田舎に電話した。仏教国で日本人には馴染みやすいかなと思って、タイと考えたのですが、気候とか、のんびり感を考えると、やはりニュージランドだった。
ニュージランドに行こうか? と。
「保、足が痛いから、そんな広い所を歩くのがシンドイし、よう行かんわ」
「そんなことないよ、飛行機で行くンやから、何もそんなに心配せンでも、ええよ。ホテルもド田舎にあって、日本語で通用するさかいに、何にも心配することはない」
こんな会話を、電話で何度も繰り返した。コテージ風のホテルは私の知り合いが、購入していて是非使ってくれと頼まれていたのです。母との電話での会話は、何んだか可笑しくて、歯車が合わない。ピ~ンと通じるものがない。母は何か、思い違いをしているのだろうと思っていた。
そしてある日、ついに気付いたのでした。ピンポ~ン。きっと、母はニュージランドを東京ディズニーランドと勘違いしているのだ、と。そして確認し合って大笑い、勘違いを楽しんだ。
この写真に戻ります。
ヘリコプターの定員は乗務員を含めて5人だったので、我が一行の5人全員が乗ることはできなくて、俺は、内心、誰かが私は遠慮しますからと言い出すのを待っていたのです。本音を言うと、母が、私遠慮するわと言うのを待っていたのだ。悪い息子だ。折角、旅行に連れ出して、それはないだろうと反省した。そんな私の悩み事なんかに、ちょっとも気にする風もなく一番先に乗り込んだのは母だった。
父は昔から機械が大好きで、珍しいものが大好きで、新しいものやちょっと変わったものがあれば、イの一番で見たり手に入れたりするお仁(ひと)だったのです。このヘリコプターに乗ろうかと尋ねたときに、快哉を叫んだのは父だった。
ヘリコプターの乗務員に父は、田舎言葉で何か喋っていたが、相手に反応がなくて、次第に怖い顔に変わった。意味が通じないことが不満だったようなのだ。
母の葬式の後の食事会で、親戚の人から、母は亡くなる前に「保にどこか遠い所に連れて行ってもらった」と、色んな人に言っては喜んでいたそうだ。ささやかな、私の親孝行の真似事だったのです。