2010年6月10日木曜日

伊能忠敬のこと、池澤夏樹

新聞という手短で、手軽な形でのこのような小文は、私には有り難い。私の貧しい知的欲求を十分満たしてくれるのです。興味深いことを、日常生活の連続の中で、簡単に読めるってことが、実にいい。

そして私は、この文章をそのまま転記しながら、学び取るのです。読んで、その文章をそのまま書き写して、内容を繰り返すのです。作家は、伊能忠敬の偉業から、自分の頭上に思いを巡らせる。そしてこのような文章ができ上がる。

ーーーーーーーーーーーーーー

20100601  終わりと始まり

朝日・夕刊・文化 

伊能忠敬

「地図の原理と頭上の脅威」

ーーーーーーーーーーーー

札幌の北海道庁旧本庁舎、通称「赤レンガ」は今は北海道立文書館になっている。傍らにある現庁舎とは対照的な美しい建物だ。

ここの展示室の壁に縦横数メートルの大きな北海道の地図がある。探検家松浦武四郎が安政四年(1857年)から三年がかりで作り上げたもの。

この「東西蝦夷山川(えぞさんせん)地理取調図(とりしらべず)」の前に立つと、大きさと細密さの両方に圧倒される。見上げるほど大きな地図に、目を凝らすほど小さな文字で地名がびっしりと書き込んである。

自分がよく知っている地域について目が行く。我が祖先の地、日高の海岸に沿った新ひだか町のあたりを見れば、今の春立と静内の間、、松浦の表記によればハルタウシナイとシヒチヤリの間に二十の地名が記してある。今の国土地理院の地形図には二つしかない。アイヌの人々が使っていた地名はみな消えてしまった。国道がぬっと通っているばかり。

この大きな地図について感心することがもう一つある。北海道の形だ。現代のぼくたちが見慣れたものと寸分違わない。

この形はしかし松浦の功績ではない。彼は大いに歩いたけれど測量はしなかった。彼の数十年前に地形図を作ったのは伊能忠敬である。松浦は伊能の成果を借りて、その上に自分が歩いて得た多くの地名を加えた。

伊能忠敬は北海道のみならず今の日本の領土のほとんどを歩いて近代的な高精度の地図を作った。

ーーー

不思議な人だと思う。

偉人として尊敬するのはたやすいがそれを超えた何かがある。房総の商家に婿養子として入り、才覚を発揮して資産を数倍に増やし、四十九歳で隠居してから高橋至時(よしとき)のもとに弟子入りして天文学を学び、地理に目を転じて実地測量を始め、生涯をかけて「大日本沿海與地(よち)全図」を作りあげた。この熱意はどこから湧いたのだろう? 使命感というより学問そのものへの情熱のように思われる。強烈な知的好奇心。

この人物の活動を具体物によって見たいと思い、千葉県佐原の伊能忠敬記念館に行った。地図の現物の精密さと美しさにやはり感動した。

測量は現地に立たないとできない。だから彼は歩いた。行く先々で距離を縄や鎖で計り、方位をコンパスで計る。それはつまり科学の精神だ。科学では推理や仮説の前と後にモノがある。それを信頼してひたすら愚直に計る。かって井上ひさしさんが伊能のことを「四千万歩の男」と呼んだのは正しかった。

時代の限界はあった。測定値は平均するだけで、近代的な誤差論はまだ知らない。標高の測定はほとんど行なわれず、測量は海岸線に沿うばっかりで、内陸部にはあまり入らない。フィールドノートに書かれたのが和数字なのがなんとも奇妙な感じだ。

自分の場合、地図への感心はどこから生まれたのだろう。

山の中で迷う。沢に迷い込んで、どちらの尾根に登ればいいかわからない。上空にタカが舞っている。あのタカの目から見たら、どこに林道があるかわかるのに、と思う。タカの目に映っているものを紙に写せば地図になる。

それを得るための伊能忠敬の努力であった。紙に写したものは情報として他人と共有できる。迷う者は先人の労力のおかげで救われる。

しかし、そのありがたさを実感するにはまず少しは迷わなければならないだろう。周囲の地形を見て、地図を見て、両者を重ねた上で自分の位置を確認する。それができない時、人は自分が迷っていると気づく。

GPSができて、カーナビが普及して、人は迷うことを知らなくなった。伊能の努力の成果はここまできた。だが、便利であると同時にどこか不自然だと思う。地下に住んで雨で濡れないことを喜んでいるのに似ている。雨もまたいいものなのに。

ーーー

時に上空の視点は煩わしい。

映画「グリーン・ゾーン」の中で夜の市街を逃げる主人公(マット・ディモン)たちを敵の側のヘリが上から見張っている。情報は地上のの敵兵に伝えられる。だから、イラクのゲリラの地対空ミサイルが「ファルコン16」というコードネームを持つヘリを撃墜する場面で観客は喝采を送る。そういえばファルコンとはタカのことだ。

今、アフガニスタンでアメリカ軍は多くの無人偵察機を使っている。手の届かない上空を何日でも交替で旋回している。地上の民にとってはさぞかし腹立たしい代物だろう。

無人の爆撃機もある。遠方のCIA職員が操縦する無人爆撃機が人を殺した場合、それは戦闘行為とは呼べないという議論がアメリカで起こっている。いずれにしても卑怯には違いないーーーと言うのも時代遅れか。

記念館からの岐路、伊能の地図の原理がここまで進んでしまったことをどう受け止めればいいのか、考え込んだ。その一方で、ぼくのレンタカーはカーナビの指示に従って最寄のインターチェンジに向かって迷うことなく走っていたのだが。