2010年9月21日火曜日

寺山修司は時代を、どう見ていたのだろうか

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20100918 朝日新聞の日曜の特別版 be on sunday に寺山修司とカルメン・マキのことが取り上げられていた。その記事に関連して、東京都大田区で育ったカルメン・マキは、工業地帯(上の写真)の夜景を見るたび、別の世界にいるような不思議な感覚にとらわれたという。そのイメージを盛り上げるかのように、工場群の夜景が記事の上段に貼り付けられていた。

米国人の父と日本人の母の間に生まれたマキ・アネット・ラブレスが「奇優怪優巨人美少女鬼才天才英雄家出少年 きたれ」の演劇実験室「天井桟敷」の劇団研究生募集に応じてやってきた。後の歌手カルメン・マキであった。

高校中退をしてやってきたマキの面接に同席したかっての青春スター、寺山修司の妻九条映子は、「強烈な存在感でした。この子には負ける。女優をやめてよかったーーー。正直、そう思いました」。

同時期に天井桟敷が資金集めのために開いていた会員制のサロンで、会員が作った詩を一部書き換えて、題名を「時には母のない子のように」にして、レコード化を寺山は考えていた。

以下、この節は20100918の朝日新聞の記事の一部をそのまま転載させてもらった。-------歌には寺山の母(91年没)に対する個人的な思いがあった。父を敵地で亡くし、青森大空襲で焼けだされた寺山母子は戦後、青森県三沢市で食堂を営む父の兄の家に移る。派手好きな母は食堂の賄いを嫌い米軍将校のハウスメイドになる。真っ赤な口紅、厚化粧、ハイヒールで米軍基地に消えていく母を小学生の寺山は列車の引込み線から見送った。せっかんと親子喧嘩が続く。中学2年の時、母はこの将校を追って九州へ行ってしまう。母と子が一緒に生活するのはそれから8年後のことだった。

寺山が最も愛した母から、離れたい、でも離れられない。その愛情をこの歌に置き換えた。そして、その歌を「不機嫌な歌手」カルメン・マキが歌った。卓越したプロジューサー役を果たした寺山。

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〔時には母のない子のように〕

時には母のない子のように、 だまって海を見つめていたい。 時には母のない子のように、 ひとりで旅に出てみたい。 だけど心はすぐかわる。 母のない子になったなら、 だれにも愛を話せない。

時には母のない子のように、 長い手紙を書いてみたい。 時には母のない子のように、 大きな声で叫んでみたい。 だけど心はすぐかわる。 母のない子になったなら、 だれにも愛を話せない。

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そして今度は、私の娘の友人のことだ。私の三女が中学生だった頃からの友人で、学校では先生や級友とのコミュニケーションに慣れずに苦しんでいた生徒がいた。その子と我が娘は何故か気心が合って、中学生から高校生、アルバイト時代、結婚、出産してからも仲が良い。我が家にもよく遊びに来ていた。今でもその交流は続いている。

その娘さんを銀ちゃんということにして、話を進めたい。5年前、銀ちゃんが引越ししたがっているんだけど、お父さん、何処かいい所ないか、と聞かれた。父は不動産屋だ。何でよ、と聞き返すと娘は、銀ちゃんは工場群を見るのが好きで、仕事は何をやってもつまらないのはしょうがないとして、せめて行き帰りの電車内から、工場を見たいんだって。できたら、住まいから見えるのが、最高なんだけど。そんなことを聞かされてから、この銀ちゃんに興味を惹かれるようになったのです。

社会人になるまでの銀ちゃんは、自宅に引っ籠もりがちだった。登校拒否ではなく、学校へは行くものの、教室を抜け出してはつまらなそうに、一人っきりで、校庭の隅っこに座ったり、佇んだりしていた。高校を卒業して、仕事の関係で知り合った随分年上の人と結婚した。子どもに恵まれた。夫が仕事に出かけた昼間は、子どもと二人っきりの生活を楽しんでいる。子どもがお相手になってくれている。

その彼女は、未だに工場を見に行くという。工場を見ていると、何故だか心が落ち着くらしいのだ。

寺山が亡くなったのが1983年、もう27年以上前のことになる。あの時の寺山とマキは、それぞれ何を考え、何を思い、何を見つめ、時代をどのように感じていたのだろうか。今、マキは京浜工業地帯の工場群を見て、不思議な感覚にとらわれるのです、と言う。自分の置かれている環境と、工場群との余りにも異なる環境。私の友人の小田原の隣町に住んでいる秋ちゃんは、恋人にでも相談したのだろうか、若い人は近未来都市を感じるんじゃないのと聞き出してきた。

昼間の工場は見た目には静かだ。無機質だ。目に入る工場は、隙間なく、無駄なく、幾何学模様のパイプ、煙突、ボイラーのようなものが、機能的に連係されていて、その内部は、油や水や蒸気、化学薬品や電気やガス、そんなものが決められた公式で蠢(うごめ)いている。昼間は無機質に見えても、夜には有機質に変身、恰も生きているように活動の激しさを極めつける。心臓の鼓動が打つ、脈拍が踊る。血がどくどくと流れる。神経がそそり立つ。

私にはこの動きこそ胎動なのでは、と思うのです。カルメン・マキはこの世とはかけ離れた異空間を、異境を、近未来都市にでも思えたのだろう。さて、寺山の目にはこの工場群をどのように映ったのだろうか。

銀ちゃんは、この得体の知れない胎動ブツに、自分の子どもと同じような、何か不思議な親近感を感じたのではないだろうか、と私は思っている。