1948年(昭和23年)9月24日生まれなので、今日で62歳になった。3日前から、女房の母親は、私らの長女夫婦(義母にとっては孫夫婦)が、我が家の近所に自宅を新築したのでそのお祝いに、京都から来ていたのです。義母と女房、長女とその二人の娘、長男の嫁とその娘、それに三女だ。権太坂地区の山岡家系婦人部の皆さんだ。長男は仕事。向かいに住んでいる次女が加われば、完璧なのだが、生憎次女は夫と息子を引き連れて何処かへ行っちゃった。
自宅のリビングのテーブルには赤飯に、蟹すき。蟹は、長女の旦那が貯めたマイレージによる持込み。皆から数々のプレゼントを頂いた。明日からの活力にとお酒と焼酎、犬の散歩時のための帽子、休日に寛ぐため?のシャツ。南区六ッ川のフランス菓子店に予約してあった特製ケーキのローソクの灯を、孫の楓と一緒に吹き消した。ケーキの上面には誕生日おめでとう、ジジーと書かれていた。「ハッピー、♯、バースデイ、♭、ジジー」の合唱には、涙が滲んだ。嬉しいのに、感謝の気持ちを上手く表現できない。情けないジジーだ。果たして、ローソクは何本立っていたのだろう?数えることもしなかった。このように皆が健康で、こういう機会を作ってくれて、そして和やかに談笑ができるとは、なんちゅうシアワセもんだろう。義母もいたって健康だ、女房の股関節も復調中。この一年間で、孫が二人増えて四人になった。みんな丸々と太っている。
三女から62歳の誕生日は、どんな感じっ?と聞かれて、私は感想を答えられなかった。そうだなあ、と一言発したものの、次の言葉が出てこない。
この年になって、今日の誕生日に思うことは感謝だ。他に何があると言うのだ。不動産業という生業を選んだものだからしょうがないと言えばしょうがないのだけれど、なにせ浮き沈みの激しい業界で、いっぱしの経営者を張っていくには、辛いことばかりだった。幸い、心身とも強靭なスタッフと賢明なアドバイザーに恵まれているので、なんとか撃沈せずにここまで来られたのですが、これまでの人生の中で、この25年間は、ジェットコースターのようだった。
資金繰りに親身に相談に乗って頂いたS信用金庫の皆さん、ノンバンクの担当者、担保も取らずに一時的に用立てしていただいた方、金融機関との付き合い方の指南をして頂いた大手地方銀行の融資担当者、大工さん、数々の職人さん、建材会社の担当者、リフォーム会社の方々、測量士さんに司法書士、弁護士の先生、大学時代の先輩後輩、同業の皆さん。我が社の疲弊した状態にもかかわらず、元気よく会社を盛り上げようとしてくれているスタッフたち。
実際には、人との付き合いにおいて嬉しいことばかりではなかった。心無い言辞に傷ついたこともあった。が、そんなことに構ってはいられない。支えてくれている人たち、励ましてくれる人たちに、何とか早い時期に安心してもらえるように、頑張りたい。この三年間ほど、人の温かみのありがたさを身に沁みたことはなかった。
ここに来て、この場に及んで、まだまだ感謝、そして感謝、もっともっと感謝の日々だ。有難うございました。今後ともお付き合いをお願いします。我々は、本分を全うすることを誓います。