2018年9月1日土曜日

俺にだって、古希がある!!




ワッウオー、もうすぐだ、9月24日は俺の誕生日だ。
嬉しいことなのか、目出度いことなのか、私自身にはよく解からない。
古希70歳の長寿祝になる。
古希とは=中国の唐時代の詩人、杜甫の詩の一節である「人生七十古来稀なり」に由来しています。現代では還暦よりも本格的な長寿の祝いと考えられているようです。紫が長寿祝いの色とされています。

日本では、還暦=60歳、傘寿=80歳、米寿=88歳。
このように、日本では年齢の節目に長寿をお祝いする行事を行うが、これを「年祝い」と言う。他の国ではどうなんだろう。

70歳になるのなら、一念発起、人生の収拾編の一小間(ひとこま)として、ヤマオカに何をやらせばいいのだろうか、神さま・仏さまだって、たまには右に、たまには左に頭を振って悩んでいるようだ。
自宅から会社への往還、頭の中はそんなことでクラクラ、ガラガラ、さりとて好い案は生まれない。

樹木からの落下事故で高次脳機能障害に少なからず影響は受けたものの、なんとかそのヤッカイモノからは多少駆け抜けている。
完治はしないが、生活に慣れることによって、その痛みをなんとかクリアーしたい。
大学時代のサッカー部のフルバックだったこの俺が、生き延びることは、恐ろしい護獣(ごけもの)如しの球を、遥か遠くの安全地帯に飛ばしきることだ。
そんなことを、ネチネチ考えながら、面白い案を考出してみたい。

僕は僕の父の還暦、古希に何をやってさしあげたのだろうか?
実家が専業農家の我が家に19歳までいて、それから東京暮らしになった。
当時、専業農家では男も女も、年節を気にするような生き方をしていなかった。
だから、この俺が父や母の還暦や古希などを考えたことはなかった。
父の年のことも、健康状態も、今から20年前までは何の思いも起こらず、事業に専念していたことばかりが思い出される。

この際だから、このページで両親に感謝の気持ちを表せなかったことの失念を、口惜しく思う。
父母が何歳だったか忘れたが、7年間ぐらいの間に、オーストラリアとニューギニアへ2回旅行に連れて行ったことぐらいは思いだすが、これは今回のような記念碑的催しではなかった。
あれ程、豪放で好い加減で子供思いの父に、それに孫思いの父に感謝する。
父や母のことについては、必ず記述する機会があるので、それまでお待ちください。

そんなことを考えながら歩いていたら、何と、不思議なことに仲宗根美樹さんの「川は流れる」が知らないうちに頭の中を走り回った。
何が原因なのだろうか? 
こんな歌なんて不思議過ぎるではないか。
振り返れば、この歌の入口に歌われる「病葉」(わくらば)だった。

中学校だったか小学校だったか。
先生から、漢字の読み方には色々あって、例えば、君たちがよく知っている「病」(やまい)という字があるだろう、この字はやまいとして余りいい意味では使われない、その読み方例で言うならば、わくらとも読むと教えられた。
私だって、この病がわくらとして使われているのを知って吃驚した。
語感なのか、私の語覚が悪過ぎたのか。
教えられる勉強に、これほど好きになれなかった私が、よくぞこんなことを憶えていたものだ。

それが、今流行の仲宗根美樹さんの「川は流れる」だった! 
恥ずかしながら、この年なのに情けない。
中学生のときの国語担当が宮本先生だった。小学生の担当の先生は思い出せない。
でも、宮本先生がそんなハイカラナな冗談交じりのことを話したかな? 疑問だ。
その後、仲宗根美樹の言葉を知って、俺の頭まで可笑しくなった。
仲宗根美樹さんを、自宅が買って間無しのテレビで観る限り、淡々と、夢見る乙女のように歌っていた。

が、ネットで仲宗根美樹さんの言葉を知ると、普通にそう簡単に歌えるものではありません、何も歌えなくてマイクの前にボケットしちゃうことだってあるんですよ、だった。
今なら、その感慨は、都会に住む娘の孤独感、喪失感が心身の芯に冷やりと染み割(き)っていたというのが本音だろう。
あの可愛い娘さんだった仲宗根美樹さんの悩みとは、なんだったんだ。



そんな仲宗根美樹の「川は流れる」を三島由紀夫は愛した。
三島事件後、何ケ月かして三島の「偲ぶ会」を都内某所で行われた。
幹事から仲宗根美樹に「川は流れる」を三島への葬送の歌とするように頼まれたが、どうしても歌うことはできないと、何も言えず、じっとしたまま動けなかった。
三島由紀夫の荒ぶる、余りに激しい革命志望事件だったからだろうか。


もう一つ原因がある。
3ヶ月ほど前に、弊社の工事専門会社の社長を、事情があって変更した時、弊社にガス関係の商品を納めてくれる会社の担当者の方から、お祝い言辞を揃えて植木をいただいた。

それだけではなく、会社内外の植木を経理担当の古さんと私でお守りしている。
ところが、定期的に水をやってくれる彼には、ちょっと遠慮して、古さん、この鉢には余り水をやらない方がいいのではないですか、なんだか、この鉢だけが不思議なほど生気を欠いていくんですよ。

そんなことで、しばらくは水を差さないでください、とまで言っちゃった。
それから1ヶ月、やはり植物の生気は冴えない。
そんなことがあって、私は、樹木を鉢から這いで、チェックしてみたら、どうも、水とこの鉢、この植物の縁がよくないようで、来週、私は私の知識だけで移植してみるつもりだ。
このことから、思い出した言葉が「病葉」(わくらば)だった。
気付いた瞬間、古さんに、枯れ果てた生気のない葉に指を差し、これが病葉なんですよと言ったら、古さんは、呆気(あっけ)にとられ?
あっ、それって何ですか? と応えてきた。

ネットで「川は流れる」の詞を読んでみて、何とも儚(はかな)い虚(うつ)ろな感情にさせられる、60年以上も経って初めて気付いた。
私が歌いまくっていたのは55年前のことだろう。
歌詞が優しい言葉で綴られ、メロデーが和やかで歌いやすく、当時は真剣に歌っていた。


動画サムネイル
  

昭和36年(1961,9)11月27日発売
川は流れる
歌手・仲宗根美樹
作詞・横井弘
作曲・桜田誠一

病葉(わくらば)を きょうも浮かべて
街(まち)の谷 川は流れる
ささやかな 望みわすれて
哀(かな)しみに 染まる瞳に
たそがれの 水のまぶしさ

思い出の 橋のたもとに
錆(さび)ついた 夢のかずかず
ある人は 心つめたく
ある人は 好きで別れて
吹き抜ける 風に泣いている

ともしびも 薄い谷間を
一筋に 川は流れる
人の世の 塵(ちり)にまみれて
なお生きる水をみつめて
嘆(なげ)くまい あすは明るく