2018年10月12日金曜日

希林さん、ありがとう

20181012(金)の記事を転載させてもらった。

社説 余滴  「希林さん ありがとう」
高木智子(たかき ともこ)


樹木希林さんにお礼を言いたいことがある。

3年前の映画「あん」で、ハンセン病だった老女の主人公、徳江を演じたことだ。

原作者のドリアン助川さんは、映像化するなら樹木さんだと願っていた。
「人はなぜ生きるのか、死ぬのか。喜びとは何か、悲しみとは何か。哲学になるまで必死に考えて生きた人を描いたから」と聞いて、納得した。

しかし難しい役だ。
ハンセン病を取り上げた映画には、松本清張の「砂の器」(74年)がある。
それから40年。
「あん」が、元患者の姿をどう描き、社会がどう受け止めるか、気になった。

物語はこうだ。
療養所で閉ざされた生活を送る徳江がある時、どら焼き屋で働き始め、生きる意味を問うーーーー。

全身がんだった樹木さんは治療で鹿児島入りした際、主人公のモデルになった、お菓子づくりの上手な上野正子さん(91)に会いに行った。

素の姿を知りたかったのだろう。
アポなしだった。
女優だと気づかず「農家のおばちゃん」と信じた上野さんに、お菓子をつくるところ、しゃもじを操る手元を隠さずに見せて欲しいと頼んだそうだ。

かくして映画は完成した。
あんを炊くにあたり、徳江は小豆の声を聞く。
小豆をいとおしむ。
私が取材でこれまで出会ってきた元患者のみなさんの顔が次々浮かんできた。

観客動員数は予想を上回る44万人。
カンヌ国際映画祭を機に50か国以上で上映された。
樹木さんが真正面から演じきったからの広がりだろう。
反響に背中をおされ、樹木さんは全国へ出かけた。

昨年、大阪市でハンセン病だった人たちを交えた催しに登場した。
「どうしょうもない寂しさはみんなある。家族がいても、どこにいても。あなただけ、私だけじゃない」。

病や老いーーー。
人生どうにもならないことはあるけれど、絶望せず生きていこう、考え方ひとつで道は開けると、励ましていたのだろう。

今、異例の規模で追悼上映が続く。
若い観客が増えた。

差別が壮絶だった時代やその背景すべてに、「あん」が迫っているわけではない。
しかし、私が大学で、樹木さんの登場する場面をみせて、人種について語ると、学生は顏をあげる。
知らなかった人々を振り向かせる力を感じた。

1本の映画がハンセン病だった人たちの未来を確かに変えている。
日本中のだれもが知っている女優が演じた意義は大きい。

(社会社説担当)