2018年10月19日金曜日

教誨師

教誨師 (きょうかいし)

画像1

20181018(木)
13:05~15:00
住所=横浜市中区若葉町
映画館=シネマ ジャック&ベティ
京浜急行・黄金町駅より徒歩5分
帰途、自宅まで歩いて1時間40分なり



この映画のことを紹介されてから、私の小さな脳の片隅に塊りとなり、その塊りはいつまでも、溶けなかった。
大杉漣さんの元気だった頃の映画やテレビ番組で見せた演技の残像が、不思議に回生してくる。
その塊りから抜け出すためには、映画館に行くしかないではないか。

この映画は、今年(2018年)2月に急逝した俳優・大杉漣の最後の主演作だ。
大杉漣の初プロジュース作で、6人の死刑囚と対話する教誨師・佐伯を主人公に描いた人間ドラマ。
後で知ったことだが、教誨師は業務に対して無報酬だ。

心を開かない無口な男
おしゃべりな関西の中年女
お人よしのホームレス
気のいいヤクザの組長
家族思いで気の弱い父親
自己中心的な若者


死刑囚専門の教誨師である牧師・佐伯は、独房で孤独に過ごす死刑囚にとって良き理解者であり、格好の話し相手だ。
佐伯は、聖書を常に手にするクリスチャンだ。
死刑囚は刑務所でなく、拘置所に拘置されている。
ただ、ひとつの部屋(教誨室とでも呼ぶのか)での、佐伯と死刑囚との会話シーンだけだ。
刑務官と呼ばれるのか、立会人は1人いるので、人間は3人だけだ。
本物の部屋にこの映画では模したのだろうか? 室内は比較的広く何故か壁や天井が斜めに見えた。
俳優たちの命がけの演技が、真に迫ってくる。
こんな映画は、今まで観たことはなかった。
佐伯は死刑囚から、ひたすら聞きつつ反応し、彼らの嘘のない言葉を引き出そうとする。
そして、それに反応する。
佐伯は彼らに寄り添いながらも、自分の言葉が本当に届いているのか、そして死刑囚が心安らかに死ねるよう導くのは正しいことなのか苦悩していた。

死刑囚との会話が進んでいくなかで、自らの忘れたい過去が思いだされる。
自らの子ども時代の自分と兄、友人と友人の父。
河原で火を焚き魚を焼いていた時、友人の父の言葉に怒りを感じた兄は、友人の父に大きな石を頭に振りかけた。
そして、その父は死んだ。

死刑囚に、過去の犯罪の理由や是非、良し悪しについて答えを出してあげることは、そう簡単にできない。
佐伯は、苦しい葛藤の思念に苦しむ。

自己中心的な若い男が絞首刑を受けることになった。
佐伯は死刑囚に、日々の話し合いの中で、気の利いた答を出して挙げられなかったことに残念がる。
この死刑囚! 若い死刑囚ならではの最終の答えが出せなかったのではないか。
むなしい果てに、刑は執行された。
映画のストーリーについては、下の新聞記事を読んでもらえば、大体は分ってもらえると思う。

スクリーンに向かって、右のおじさんは20分過ぎた頃に、鼾(いびき)をかき始めた。
左のおばさんは、30分過ぎた頃にゴックリごっくり寝だした。
どうしても夫婦とは思えない、前のおじさんとおばさんは、手を握り合って気持ちよさそうだった。
何故?夫婦と思えないなんて、よくも、君は言い切れるね、と言われそうだ。
そのことについて、裏話をちゃ~んと知っているからだ。

「ランニング・オン・エンプティ」の佐向大が監督・脚本を担当した。

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★20181006の朝日新聞・夕刊/社会面の記事を転載させてもらいます。

死刑囚の現実 向き合う牧師

監督「考える契機に」 大杉漣さんの遺作

映画「教誨師」公開

大杉漣さん演じる教誨師(左)がホームレス
だった死刑囚に読み書きを教える場面


故・大杉漣さんんの遺作となる映画「教誨師」が6日、公開された。
大杉さんが演じる牧師と、6人の死刑囚との対話をひたすら描く異色の会話劇だ。
取材をもとに脚本も手がけた佐向大(さこうだい)監督(46)は「死刑の是非が議論になるなか、制度を考えるきっかけになれば」と話す。


教誨師とは。
受刑者の道徳心の育成や心の救済につとめ、彼らが改心できるよう導く人だ。
刑務所や拘置所などに出向き、希望者に宗教の教えに基づく話などをする宗教家。
1872(明治5)年に真宗大谷派の僧侶が監獄で説教したことが始まりとされる。
2018年1月現在、全国教誨師連盟に1848人が登録、内訳は仏教系1199人、キリスト教系264人、神道系222人などとなっている。

気のいいヤクザの親分、関西弁でまくしたてる中年の女性、冤罪をうかがわせるホームレスの男性ーーーー。
映画で牧師は、拘置所の教誨室で6人の死刑囚と向き合い、その言い分にときには戸惑いながらも、「魂は生き続ける」となだめる。

1つの山場(やまば)は、挑戦的な態度を崩さない若者との対話だ。
「そもそもさ、国が国民の命奪うなんてありえなくない?」「なんの情報も公開しないくせに(死刑制度の)支持も何もないでしょう」。
次々と問いを浴びせる若者に、牧師も翻弄される。

「社会復帰を手助けするのが教誨師のイメージだった。じゃあ死を待つだけの人に対する教誨は何の意味があるだろう、と興味があった」と佐向監督。
死刑を執行する刑務官を題材にした「休暇」(2008年公開)の脚本を書いた経験から、制度を取り巻く現状に対する関心が強くなった。

「世界では廃止の流れがあるようだけど、日本では8割の人が容認しているという。なぜなんだろうと」。
死刑囚の実態に近づくことで考えを深めようと、今度は教誨師に焦点を移した。
複数の教誨師や元刑務官に取材し、実在の事件も参考に脚本を書き上げた。

日本キリスト教団広島西部協会の山根真三牧師(74)は映画について「なかなか報じられない死刑の一側面に光を当てようとした。社会的に意義のある取り組みだ」と語る。

これまで3人の死刑囚の教誨をした。
月1回、10年以上にわたって対話を続けた相手もいる。
「欲望は誰にもある。あなたと私はちょっとしか違わない」。
そんな話を続けるうちに、相手は自ら聖書の原典にあたり、洗礼を受けるほどだった。
変化を見せた末に、刑を執行された。

「彼は『死刑囚は公人でもある』と言ったが、社会に教訓を還元させる存在という意味では、その通りだと思う」と山根牧師。
「取り返しのつかないことをした人が、死んでいくまでに何をし、どう変わったのか。
映画は6日から東京、名古屋、大阪などで先行上映され、全国57か所の劇場で順次公開される。

(阿部峻介)


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20181005の朝日新聞を転載させてもらった。

教誨師
(森直人・映画評論家)

今年2月に急逝した大杉漣がボランティアの教誨師、6人の死刑囚の話し相手となる牧師役を演じる。
舞台はほとんど拘置所内の狭い部屋から出ない。
大仰な動きや音楽を排した簡素な状況設定の密室劇ながら、そこに渦巻く魂の交感は極めて濃厚。
人間存在の底を揺さぶる地鳴りのような迫力が熱く煮えたぎる。

前半は全くの対話劇だ。
スタンダードサイズで描かれる閉鎖的な、しかし親密さもある限定空間で教誨師が一人ずつと向かい合う。
軽い与太話しの時も問答の重心は崩さない。
後半になると教誨師の過去が掘り起こされ、時空を超越する文法が画面に重層性を呼び込み、映像の表情が豊かになる。
その中で貫かれるのは真摯な言葉の密度だ。
人を殺した者を刑法が殺す、という連鎖の軋(きし)みを起点とし、生死をめぐるジレンマに感情ごと肉薄していく。

死刑制度を扱った日本映画の傑作といえば、大島渚監督の「絞死刑」が挙げられるだろう。
あれから50年経つがシステムは存続したまま。
大島がスマートな論理構築で風刺の刃を突きつけたとしたら、こちらは罪と罰、人間と世界の闇へと必死に言葉を届けようとする愚直さが胸を打つ。

監督は佐向大。
脚本を手がけた吉村昭原作の「休暇」でも死刑を主題にした彼が、今度はオリジナルで難題に喰らいつく執念を見せた。
その血と汗と涙にまみれた思考を、ベテランの烏丸せつこや光石研、新星・玉置玲央らのキャスト陣が生っぽく肉体化する。
掛け値なしの力作だ。
この映画が観客に持ち帰らせるのは、通りのいい答えではない。
さらに奥行きを広げた問いの哲学的な重みである。