2019年4月12日金曜日

病院を変えてもらった

20190409 何度目なのだろうか?新百合ヶ丘病院へ行った。
髙い樹木から転落して5年。
この病院での3か月の入院、そして新横浜にある新横浜リハビリ病院にも3か月の入院。
退院してから、新百合ヶ丘病院へは3カ月毎に担当の医者と面談、体の調子その他の報告に行く。
診断してくれる医師は何人も変わったけれど、どの先生も親切で丁寧だった。

医者との面談のなかで、山岡さん此の頃体の調子はどうですか?と聞かれて、私は随分良くなっているように思いますと言った後、このようにも告げた。
「・調子が好いときは、何ともなく過ごせるのですが、夕方、時によってはムズムズすることがあります。
頭が重たく感じることがあるのです。
・地震があるわけでもないのに、机や天井や壁に何か振動らしきものを感じ、スタッフに今、地震があったか?と聞く」。
何もありませんでしたと聞いても、何やら嫌な気分になる。

そして医者は女房にも聞いて、本人が話す通りですと聞いて、判りましたと答えた。

「山岡さんこれは短く言えば、高次脳機能障害の一つの現れですよ、だから、時間が経ってもすっかり、全くゼロにはならないのですよ。
横着な言い方で許してもらえば、この細少な弊害を何とか、薬のお陰にもなって低めに治めていくしかないんですよ。
もっと横着に言わしてもらえれば、貴方の頭の中には、10分の1か2?の割合で、「仮面のヤマオカ」さんが生きているんですよ」。

医者の話を聞いていて、私は45年ほど前に読んだ三島由紀夫の「仮面の告白」を思い出していた。
私の病状と三島由紀夫の「仮面の告白」とは、な~ン~ら関係のないことだったのだが。
三島由紀夫の作家としての原点の作品なので読んだ方がいいよと言われて、読んだもののよく理解できなかった。
表現が繊細で美しいのは解ったが、感性が難しく私には理解できなかった。
同性愛を扱った三島自身の自伝的な作品だと言われていた。

そして病院の変更をお願いした。
「そりゃそうですよね、保土ヶ谷の権太坂からだったらたいへんですよね、保土ヶ谷なら前には○△脳神経病院とか言っていた病院ならいいんじゃないかな」。
「その病院なら、私も前から知っていて、自宅から歩いて行けるので、とてもグッドです」とお願いした。
この○△病院は、今ではイムス横浜狩場脳神経外科病院と言われている。
「紹介状を書いて、ご自宅に郵送しますから、待っていてください」。
これで、病院変えの話は終わった。
二度とこの病院には来ないとわかると、2階のレストランでちょっと無理してでも、いいものを食いたくなった。
できるものなら、頭の調子もこのようにちょっとづつでカマワナイ!から好くなって欲しい。

そんな事とは関係ないが、私は生まれながらの癖で、病院が性(しよう)に合わない。
病院の敷地を早い目に去りたくなる。