2010年7月15日木曜日

日本サッカー、よくやった!!

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日本代表はよく闘った。帰国した岡田ジャパンに、認識不足のマスコミは凱旋だと持ち上げた、が、ちょっと可笑しいんじゃないの。繰り返す、よく闘ったけれど凱旋ではなかった。

マスコミ、とくにテレビ報道は深い思慮もなく、試合内容の詳細な分析もせずに、パッと気楽に表現してしまう。一例をあげるならば、みのもんたが司会する朝の番組「朝、ズバ」だった。偶然、この番組を見てしまったのだ。こんな軽い報道では、視聴者に試合の巧稚を見極める力を削ぐ。反面、新聞の目は、沈着冷静かつ理性的だ。文章は軽はずみな表現を許さない。何が凱旋だったんだ? 凱旋ではなかったことを各代表選手は認めている。各選手のそれぞれのコメントを聞けば、もう十分だ。国民の大多数も凱旋なんて思ってもいないのに、テレビ関係者は何を考えているんだ。よく頑張ったのだ、そして、今後の飛躍の可能性をも、感じさせてくれたのです。これに、皆は感動したのです。

岡田ジャパンの頑張りを、このテレビ番組は馬鹿にしている、と私は怒っているのです。

ベスト4入りを目標にしていた岡田監督は、このチームでもう1試合させてやりたかった、と悔いた。この試合で終わりたくなかったのだ。監督にしてみれば、こんなところで敗退するわけにはいかなかった。私は、1次予選リーグ全敗だってありうると思っただけに、この結果はちょっとは良かったかもしれないが、凱旋だと胸を張れるものではない。遠藤は「サッカーで泣いたのは、高校生の時以来かな。もっと、世界相手にしびれるような試合をしたかった」と。物足りなさを露骨に表現した。本田は、1次予選リーグでデンマーク戦に勝って決勝トーナメント進出が決まった時にも「予想していたほど嬉しくないんです」と、優勝を狙うと言っていた男は、まだまだ先の激突に備えていたのだろう。彼にとっては、決勝トーナメント2回戦に進出できなかったことが、よっぽどショックだったのだ。

日本代表は決勝トーナメント1回戦は引き分けだったのです。敗退ではない。堂々の引き分けだったのです。トーナメント方式なので、引き分けでストップするわけにはいかない。駒を進めるために考え出されたのがPK戦で、そのPK戦で負けただけのことです。

岡田監督に大阪市が顕彰しょうとしている新聞記事を読んだが、顕彰するにはまだ早いと私は思う。この大会における働きぶりに対する顕彰ならば、それはちょっと間違っているのではないか。同じ大学の同じクラブの後輩だ。先輩は唯、早く生まれただけなので偉そうなことを言える資格はないが、岡田監督は日本のサッカー界において重要な役割を担ってくれたし、これからも有用な人材であることは誰もが認めるところだ。日本のサッカーを間違いなく前に進めてくれたが、まだまだ発展途上なのです。まだまだ、もっともっと働いてもらわないといけない。日本が頑張っている間にも、先進国は一段と進歩のギアーを上げていく。これから、総括、分析してたゆまぬ努力、研鑽のイバラの道中まっしぐら、そしてよりよい試合結果を出す。前途多難、困難な道のりだからこそ我々は感動するのだ。夢は果てしなく続く。ますますの発展を望むばかりだ。

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これより下の文章は、は20100530前後の朝日新聞の記事から身勝手に抜粋して転載させてもらった。写真も全て紙上のものを使わせていただいた。

記念すべき日本代表の決勝トーナメント1回戦、PK戦による敗退だったけれど、感動を受けた。その試合に関する記事を借りてマイファイルした。

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サッカーのW杯南アフリカ大会は29日、プレトリアのロフタス・バースフェルド競技場で、決勝トーナメント1回戦の日本(世界ランク45位)-パラグアイ(同31位)があり、0-0のまま延長戦でも決着がつかず、今大会初のPK戦になり、3-5で日本が敗れ、初めての準々決勝進出はならなかった。

日本は、本田を1トップにおく1次リーグ3試合と同じ先発メンバーで臨んだ。

初シュートは大久保。前半1分、ペナルティエリアの外から狙った。最初のピンチは20分。至近距離でシュートを浴びたが、川島が好セーブを見せた。22分には松井がミドルシュート。40分には本田もミドルなどを狙うなどしたが、パラグアイのペースだった。

後半も球を支配された。6、11分とゴール前へ迫られたが、闘莉王と中澤がそれぞれ体を投げ出して防いだ。

15分ハーフの延長戦。前半を無得点で折り返すと、後半1分に玉田を投入した。0-0で、PK戦へ突入した。PK戦で後攻の日本は1人目遠藤、2人目長谷部、4人目本田が成功したが、3人目の駒野が失敗。パラグアイの5人全員に決められ、3-5で敗れた。

 

★守り貫徹、8強の壁 (中川文如)

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開始20秒。夕日を浴びながらMF大久保が放ったシュートは、猫だましのようなものだったか。

日本はいつにも増して慎重に試合に入っていた。パラグアイが球を持つと、1トップの本田を除いて素早く自陣に引く。ペナルティエリア手前に守備組織を築き、待ち構える。攻め手を見出せない相手は、あてどもない縦パスに終始した。前半、ひやりとしたのは2度だけ。20分のバリオスのシュートはGK川島が右ひざで防いだ。CKから招いた28分のピンチはシュートが枠を外れた。

試合前日の記者会見。岡田監督はパラグアイ対策を尋ねられ、思わせぶりに答えていた。「相手との力関係を考えた時、日本は対等に打ち合っても、そこそこやれるでしょう。でも、負ける可能性は高い。その中で、どう戦うかは秘密」。ミーティングでは、選手にこう伝えていた。「パラグアイは、自分たちが球を保持して主導権を握ると、逆にうまくいかない傾向があるぞ」

前線からの積極的な守備でリズムをつくるパラグアイ。だから中盤で球を持たせる時間を長くすれば、手持ち無沙汰で微妙に調子が狂っていくという読み。あえて主導権を渡すような試合運びは、肉を切らせて骨を断つ戦略だ。双方の力量差をぎりぎりまで測っての選択だった。

0-0のままハーフタイム。選手はうなずくように控え室へ戻った。「後半勝負」とMF遠藤が話していた通り。相手を攻めあぐねさせる展開に持ち込んでいた。

後半、修正をかけてきたパラグアイのサイド攻撃に、日本はゴールを脅かされた。DFの闘莉王が、中澤が体を投げ出して最後の一線を割らせない。90分間を耐え抜いた。「最後は気力の勝負」とMF大久保が意を決していた延長30分間を迎えた。

劣勢は続く。延長前半7分。ゴール正面で相手をフリーにした。川島が阻止。押し込まれても、逆襲を繰り出す姿勢は忘れない。2分後に本田のFKが相手ゴールを襲う。途中出場の玉田がドリブルで左を突き進んだ。

もう日は暮れていた。延長終了の笛が響いた。選手はひざに手をつき、ピッチに大の字に倒れこんだ。

試合巧者の南米勢に対し、流れを見極めながら、球際でひるまず渡り合いながら、力を出し尽くした。この経験は間違いなく日本サッカーの血肉になる。かけがえのない120分間だった。

★中村憲、満を持して

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中村憲が後半36分、疲れのみえる阿部に代わり、初めてW杯のピッチに立った。直後、ボールを託されると速いリズムで、左サイドを駆け上がる長友にボールをはたき、シュートチャンスを演出。単調になりかけていた攻撃にアクセントをつけた。42分にも右サイドで鋭いドリブル突破から前線にパスを通すなど、攻撃のタクトを振った。

★松井、仕掛け続けた(編集委員・忠鉢信一)

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松井の目はゴールをとらえていた。前半21分、大久保が仕掛けたドリブルが止められたが、こぼれた球が目の前に転がってきた。山なりに蹴ったシュートは狙い通りGKの頭上を越えたが、ゴールのクロスバーに当たって跳ね返った。

フランスの小さなクラブからたたき上げて6年。「少ないチャンスを生かすのが僕のサッカー」という松井は日本躍進の立役者の一人。岡田監督が自陣を固める守備重視へと戦い方を変えた時、選んだのは松井だった。監督が求め続けた速い好守の切り替えを忠実にやり続けていた。「控えの時は頭にきたけど、そういう気持ちがわからないようじゃダメ。その気持ちを球に込めた」

戦い方が変わったことで、選手同士のミーティングで「攻撃の形が見えない」「新しい形を作るには時間が足りない」という戸惑う声もあった。松井は反論をためらわなかった。「形よりチャンスをものにできるかどうか。形がなくてもシュート一本で勝てることもある。最後の最後を気持ちで持っていけばいい」

2008年、フランスで松井が運転する車に乗せてもらった。路地を走る松井が「フランスは不便。でも、やり方と交渉次第でたいてい可能になる。いい加減だけど、そこが面白い」とつぶやいた。「日本では繊細さがいいとされるけれど、目的を果たせば細かくやる必要ない時もある」

フランスに染まっているのかもしれない。だからこそ自分が日本人だと強く意識するという。

苦境に力を発揮し、勝ち取った世界16強の舞台。後半20分に攻めの切り札の岡崎と交代したが、息が詰まる接戦の中で好守で存在感があった。

★パラグアイ堅い守り

パラグアイ伝統の堅守は、やはり確かだった。前後半で日本が放ったシュートは10本。GKビジャルの好守もあるが、DFの体の寄せが実に巧みだ。なかなかフリーでのシュートは打たせなかった。

守備陣に比べ動きが悪かった攻撃陣。1次リーグの3試合をみれば、中盤での奪取率が高く、そこからの速攻を得意としていた。それが日本戦ではうまく機能しない。

前半20分、バリオスがゴール左から抜け出し、右アウトで技ありのシュートを放つがGK正面。その後も「接戦になるだろうが、体力的にはこちらが上」と話していたサンタクルスを中心に攻め立てるが、ゴールを割れない。

4大会連続8回目の出場で初の8強入りをかけた戦い。延長戦に入っても決着をつけることはできなかった。

★サムライ一丸集中切らさず(編集委員・潮智史)

120分を終えて、0-0。勝負は1対1の神経戦に持ち込まれた。PK戦。ぎりぎりの競り合いを続けた。この試合を象徴する結末を迎えた。パラグアイは5人が決めて幕は下りた。

120分を通して、岡田監督が送り続けたのは失点は避けながらも攻めの姿勢は忘れるなというメッセージだった。チームはそれを貫いた。

前半。互いにゆっくりとしたパス回しで試合は緩やかに滑りだした。ともに初めてとなるベスト8という高みがかかっている緊張感。前半のボール支配率はパラグアイの61%に対して、日本は39%に落ち込んでいる。納得ずくめの手堅い滑り出しは、逆にカウンターという鋭利なナイフを仕込んでいることを意味していた。前半のシュートは5本。圧倒的にボールを持ったパラグアイの3本を上回った。

そして、後半、試合は加速するように動きだした。日本は前半で手応えを感じていた。同時に、4年に一度の舞台でさほど力量差のない相手と争う巡り合わせと重圧。勝負はどちらが先に点を取るか。パラグアイがFW、MFと攻めの交代カードを切った。

まずFWを代えた岡田監督も、「勝負に出ろ」と、次の交代に出る。36分、DFラインの前で守りを締めていた阿部を下げる。満を持して送り出したのは中村憲。本田の後方にサポート役を置く布陣は、積極的に攻める手立てとして過去に試していたやり方だ。

綱渡りのような延長が始まる前、腕組みして歩き回る岡田監督は残された3枚目の交代カードをいつ、どう切るかを考えていた。互いに1点勝負であることは肌で感じ取っている。チャンスとピンチは背中合わせだ。激しい球際の戦いに打ち勝ち、最後まで走りきれるか。ぎりぎりのせめぎあいが待っていた。

延長前半9分。左寄りで得たFKを本田が強振する。相手GKが辛うじてセーブ、CKに逃れた。その直後、場面は一気に日本のゴール前に移る。闘莉王と競った相手のシュートがわずかにゴールを越えていく。やるか、やられるか。まさに死力を尽くした試合になった。延長後半開始まで待って、3枚目の交代カードを切った。玉田だ。しかし、得点は生まれなかった。

スタミナで勝る日本は最後まで攻めきった。相手に走り勝つという取り組みは間違ってはいなかった。「我々にはベストを尽くすことしかできない」と岡田監督は繰り返してきた。それを実践し続けた120分と非情なPK戦をしっかり頭に刻んでおきたい。

セーブ連発川島ほえた

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1次リーグで好セーブを連発したGK川島が、ベスト8入りをかけたパラグアイ戦でもみせた。前半20分、スルーパスに抜け出したパラグアイ・バリオスの強烈なシュートに鋭く反応。倒れこみながら右ひざで跳ね返し、得点を許さなかった。「チームが危ないときに後から支えるのが、自分の役目」。後半14分にもヘディングシュートに飛びつきキャッチ。決定的なピンチを脱すると、大きくほえた。

★長友、エース封じ

長友はこの日も左サイドで精力的に上下動を繰り返し、パラグアイのエース、サンタクルスのドリブル突破を封じた。「パラグアイの選手は運動量はあるし、速いし、うまい」と警戒していたが、守るだけでなく、スペースがあれば臆することなく走りこんで好機を作った。しかし、後半27分、勢い余ってファウルを犯し警告を受ける。通算2枚目で、勝ち進んでも次戦は出場できない。背番号5は悔しそうな表情で天を仰いだ。

★遠藤「このチームでもっと試合したかった」 / 長谷部「PK戦は時の運」 (中川文如)

「相手の癖などの情報はなかった。読みだけの勝負だった」。PK戦、先攻パラグアイの5人目。左に跳んだGK川島は逆を突かれた。首を振り、体勢を崩しながら右手を伸ばした。届かなかった。

「チームは助けられなかった」と川島。怒ったような表情で夜空を見上げた。後攻の5人目で蹴る予定だったDF闘莉王がピッチ中央で肩を落とした。FW本田は額を芝にこすりつけた。その隣にいたゲームキャップテン長谷部が立ち上がり、手をたたいた。「PK戦は時の運。全力でやった結果。受け入れよう」

一戦づつ成長を重ね、それでも初の準々決勝進出には届かなかった。日本のW杯が終わった。

大会前の強化試合で4連敗。岡田監督は守備の戦術を変えた。相手を深追いせず、自陣で網を張る作戦への方針転換。「まず守りから」という意思統一が選手を束ねた。

カメルーンとの1次リーグ初戦。前半のうちに先制し、力ずくで攻めくる相手をいなした。オランダ戦。密な守備網を敷いて優勝候補に食い下がった。引き分けでも1次リーグ突破が決まるデンマーク戦。2本のFKを決め、あとは前がかりな相手の裏を取った。

迎えたパラグアイ戦。また新たな舞台設定がなされた。攻守に果敢な相手に対し、失点の危険を減らしつつ、得点を奪いに前に出なければならない展開。攻撃力が真っ向から問われた。前線の本田、松井、大久保が奮闘しても二の矢、三の矢が続かない。そこまで手が回りきらなかった現実があらわになる。「連係して攻めてに厚みを生むことができなかった」。中盤を支えたMF遠藤の言葉がすべてだった。PK戦にもつれ込んだ時点で、「90分間、あるいは延長でゴールを挙げて、決着をつける」(岡田監督)という筋書きは狂っていた。

終戦。ベンチ前でスタッフと肩を組んでいた岡田監督が選手に歩み寄った「私は選手に何をしてやれたのか」。そう自問自答しながら、そして何かをこらえるように表情を抑え、選手に手を差し伸べていく。肩を抱かれた遠藤の涙腺が決壊した。「サッカーで泣いたのは小学生、いや高校生の時以来かな。このチームで、もっと、世界相手にしびれる試合をしたかった」。PKを外したDF駒野は最後まで立ち上がれなかった。同年代の松井が肩を叩いた。「オレが蹴っても外していたよ」。

実力は8強に届かなかった。でも、逆境で育まれた結束力は誇っていい。戦術変更の影響で先発落ちし、一度は腐りそうになった22歳のDF内田が、水やタオルをせわしなく出場選手に届けていた。出番のなかったW杯を終え、泣いた理由はこうだった。「ずっと最終ラインを組んできた中澤さんの涙を見たら、こらえきれなくなってーー。みんなで一つになれた。もっと上にいきたかった」。経験は4年後のブラジル大会へと引き継がれていく。

2010年6月の南アフリカを駆け抜けた日本は、そんなチームだった。

★選手たち素晴らしい、誇りを感じる

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「悔いは残っていない。選手たちは素晴らしく、素晴らしく日本人としての、アジア代表としての誇りを持って最後までプレーしてくれた。そのことに誇りを感じている。彼らに何をしてやれたんだと考えると、私自身がもっと勝つことに執着心を持たなければいけなかった。W杯が終わったという非常にさみしい気持ちでいっぱいです」

★決定力磨け(編集委員・潮智史)

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120分を終えて、勝敗の行方はPK戦に託された。どちらが先に失敗するか。欧州ではPK戦でを「ロシアンルーレット」に例える。心理戦であり、多分に運という不確定要素が入り込む。無得点に終わった時点で、日本は負けも覚悟しなければならなかった。この2年半の間、克服に取り組んできた得点力不足。目の前にあるゴールは遠かった。

「リスクを冒してでも1点を取ることしか、考えていなかった」。「試合後の記者会見で岡田監督が明かしている。立ち上がり20分で、MF遠藤により前めにポジションを取るように指示した。自ら攻めに出て行って手繰り寄せなければ、勝機は見えてこない。

納得づくの0-0で前半を折り返すと、選手交代のカードを次々と切った。まずは後半20分に疲れて動きの鈍った松井に代えて、岡崎。同36分には、それまで最終ラインの前で防波堤の役割を担っていた阿部を外して、トップ下に中村憲を加えた。タッチライン際まで出た岡田監督、大きな身振りで相手陣にもっと入っていけと訴える。

攻めを急ぐあまり、プレーの精度は落ちた。両サイドまではボールを運んでも、フィニッシュの場面では相手に体を寄せられてはつぶされた。最後は無理な姿勢を強いられる分、力ないシュートになった。「もうちょっと厚みのある攻撃をしたかった。パスを回して、攻撃に絡む人数を増やさなければならなかった」。遠藤の反省である。

ゴールには届かなかったが、後半の終盤から延長にかけて日本は走り勝っていた。傑出した個人がいないのなら、組織戦術を高めて勝負するしかない。その図式は不変だ。

攻め合いの中でゴールを目指した点で、守って逆襲の好機を待った1次リーグの3戦とは違った色合いの試合だった。120分の攻防から、4年後に向けて何を導き出すのか。PK戦は次ぎに進むチームを決める手段に過ぎない。引き分けとして記録に残る4戦目を意味あるものにしたい。

★大久保「一つになれた」(編集委員・忠鉢信一)

試合開始1分でシュートを放った大久保。無回転の低く速い弾道は左に外れたが、立ち上がりの緊張を解き、リズムを良くするシュートだった。

それまでの試合通り、左の攻守を担った。「サイドの選手は体力的にきつい。下がって守らないといけないし、前に出て攻撃にも加わっていかないといけないから」

大久保の持ち味の攻撃力を十二分には発揮しきれない戦い方をした今大会の日本代表。この試合、大久保のシュートは結局、この1本だけだった。チームも無得点に終わってPK戦になった。

「攻撃はあまりできなかった。攻めにいく人数も少なかった。普段のJリーグだったらイライラしたと思う。でも開き直って、おれたちはこれでいいんだと団結した。だからこのチームはバラバラにならずにすんだ」

自陣の守備を固めたこの戦い方を練り上げても、これ以上の試合ができたとは思わない。だが、1次リーグで勝利という結果を得たことでチームをまとめる柱になったという。

試合終了後、涙を見せた大久保は「最後は一つのチームになれた。代表でこんな気持ちになったのは初めて。このチームでもっとやりたかった」と語った。

初めて出場したW杯には発見があった。「自分にここまで体力があったということを、今まで知らなかった。Jリーグだったらこれは無理だっていうところまで走れた。『出来るんだ』っていう気持ちになれた。今まで出なかった一歩が出た。限界はないんだって思った」

★ 本田「批判した人にも感謝」

「16強も予選敗退も同じ。だからなにがなんでも勝ちたかった」と本田。決勝トーナメント1回戦はまだひのき舞台ではないという気持ちを「僕が、日本人かパラグアイ人でなかったら、今日の試合は見ていない」と独特の表現で語った。

大会中に24歳を迎えた。初めてのW杯で2得点。本来はMFだがワントップのFWとして攻撃の柱になった。「サッカー人生はまだ続く。今大会はこういう守備的な戦い方をしたが、もっと内容にこだわって勝ちに行くことを、次のW杯ではしたい」

試合が終わると一人でスタンドのサポーターにあいさつして控え室に消えた。「批判する人がいなかったら、ここまでこれたかどうかわからない。応援してくれた人だけでなく、批判してくれた人にも感謝したい」と語った。

★松井「五分の戦い」

1次リーグで好調だった松井が精力的な攻撃を見せた。前半21分にバーを直撃するシュート。39分には逆襲から本田にパスをつないで好機を演出し、後半20分にピッチを退いた。「五分五分の戦いだったと思う。悔しいけれどPK(での敗戦)は仕方ない」。さばさばと試合を振り返った。

★駒野まさかPK失敗

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駒野が痛恨のPK失敗。3人目に蹴り、シュートはバーを直撃した。のけぞるように両手で頭を抱えた。

練習でのPK成功率は高く、オシム前監督時代もPK戦のキッカーに指名されていた。しかし、大舞台でその技術を見せられず、試合後の取材後エリアでも涙は止まらなかった。何を聞かれても、うなずくだけで会場を後にした。

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★消極+粗さ=無得点 (小田邦彦) 

つながり悪くバックパス多用

パラグアイ戦日本代表分析

攻撃が消極的。パスもつながらないーーー。決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦で日本の戦いぶりに、そういう印象を抱いた人も多かったはずだ。実際、スカウティングデーターを提供する「プロゾーン」の分析を見ても、そんな状況が浮かび上がってくる。

日本が戦った4試合の中で、前方へのパスの割合が最も低かったのがパラグアイ戦だ。成功したパスの48,8%。一方的に押し込まれたオランダ戦ですら50,4%だった。逆に後方へのパスは23,5%で最も割合が高かった。パラグアイの堅守に、攻め手をなかなか見つけられなかったことが推測できる。

パスのつながりも悪かった。パスが3本以上つながった回数は、31回で4試合中最少。4本以上パスがつながった回数も18回で、デンマーク戦と並んで最も少なく、カメルーン戦の3分の2しかなかった。パスを回しながら、攻撃の形をつくることができなかったことになる。

この試合について、前日本代表監督のオシム氏は「ワン、ツーの次のスリーで、パラグアイにパスしてしまう場面が100万回もあったような気がする」と語っていた。まさにオシム氏の印象を裏付けるデーターになっている。

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★21世紀のサムライ論 (敬称略、編集委員・忠鉢信一)

日本の力を問う 

強化の道多彩でいい

日本は決勝トーナメントでの初勝利は得られなかった。前日本代表監督のイビチャ・オシムが「日本化」を提言して4年。結末を見て、「自分らしさ」を過剰に意識した現代の若者や日本社会を研究している筑波大学教授・土井隆義の話を思い出した。

日本社会で価値が多様化したが故に、日本人は「らしさ」を求める。しかし自らの内面を探っただけの「らしさ」は思い込みに過ぎない。現実とのかかわりを通じ、肯定されたり否定されたりする経験によって、実体のある「らしさ」ができあがる。その過程こそが「成長」だと土井は説いた。

オシムの後を受けて岡田武史が掲げた「日本の良さを生かしたサッカー」は、世界の大勢であるブロックと呼ばれる守備網は作らず、前線で相手の球を追って攻めにつなげる戦い方を基軸とした。「思い込みのらしさ」と「現実」の違いに向き合ったのがW杯直前の戦い方の変更。ブロックを整備した守備から逆襲を狙い、勝ち進んだ。

チームの大変身は、はからずも日本サッカーの多様な可能性を証明した。個人が弱いから組織?ストライカーがいない?それも決めつけを捨てれば、変化を起せるだろう。

何がうまくいき、何がいかなかったのか。分析が次への出発点になる。東京大教授(メディア論)の水越伸は、パラグアイ戦後の世論の動きに「PK負けで終わった16強という微妙な結果を、ハッピーエンドのストーリーにまとめあげようとする強い力を感じる」という。国内経済の低迷で失った自信を埋め合わせるように、「日本もやればできる」という物語の鋳型にはめ込もうとする現象だ。

「大相撲への信頼を崩壊させる事件がほぼ同時期に起きたことで、仲の良さそうな日本代表が余計に美しく魅力的に見える。メディアと視聴者・読者の相互作用によって、大衆に受け入れられやすい物語が作られている」

その流れにあらがってでも事実に基づいた検証をしなければならない。大会後、日本サッカー協会は技術委員長・強化担当の原博実を中心にW杯を総括する。ただ日本サッカー協会の見解が、進むべき唯一無二の方向とは受け止めないほうがいい。旧通商産業省の元官僚で日本サッカー協会専務理事の経験もある早大大学院教授(スポーツビジネス)の平田竹男の指摘はそこに気付かせてくれる。「かって日本サッカー協会が持つ情報や人材は、国内で突出していたので中央集権型になった。だが今は情報も人材も日本中に広がり、多様な知見が存在する。各地でそれぞれの方針で選手を育てれば、幅広く切れ目ない選手層ができる。そういう育成と強化を模索してもいいころだ」

多彩であることの強靭さ。新しい「日本の力」がそこに見出せる。

 

★日本の情熱 永遠

代表に重ねた人生

南アフリカ、ロフタス・バースフェルド競技場の上空は曇り空が広がっていた。横浜市の無職酒さんは、熱戦の余韻が残る客席で感慨に浸った。「サッカーの神様は、ベスト8入りを4年後に取っておけと言ってくれたんですね」

W杯に臨む日本代表は、なでか自分の人生を映す鏡のような存在だ。

1993年10月の米国大会アジア地区予選。その最終戦で引き分け、初出場を目前にして本大会行きを逃した「ドーハの悲劇」。バブル景気が終わりを迎え、勤務先の不動産会社の業績も急降下し始めていた。「世の中、そんなに甘いもんじゃないって教えられた時期です」

日本代表がW杯に初出場98年に役員に昇格。日韓大会で16強に入った92年、一人娘に双子の孫が生まれた。「ご祝儀をいただいたような気分でした」そして、1次リーグで未勝利に終わったドイツ大会の06年、34年間連れ添った妻に先立たれた。

昨年末に勤務先を退職。長年の夢だったW杯の現地観戦に一人で訪れると、日本が意外な快進撃を見せてくれた。「僕への退職祝いですな」。4年後、日本代表がまた活躍してくれれば、自分にもきっといいことがあると思う。

社員8人のIT関係会社を経営する東京都練馬区の下さんは、選手が去ったピッチを見つめながら決めた。「部下の失敗を責めるのはやめる。社員全員でやり直そう」

5月に大口の契約を失った。部下が取引先との連絡を怠ったのが原因だ。しかりつけたが、心に引っかかるものがあった。社内は今も、居心地の悪い空気が流れている。

この日の試合を見て思った。「駒野(友一選手)のPK失敗は責められない。その前に全員で1点取っていればPKにはならなかった」

  • 自分や社員が、もっとコミュニケーションを取っていれば、部下もミスを犯すことはなかったかもしれない。帰国後、失敗した部下に大きな仕事を与えてみようと思っている。

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20100630

朝日・朝刊・スポーツ

福西崇史の目

反省と自信 引き継いで

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日本代表は今までやってきたことを出せた試合だった。初戦に勝って得た大きな自信を、そのまま最後まで貫けたことは、次につながるはずだ。

攻めに関しては、お互いに4試合目でコンデションが良くなかった。前線でのミスが多かったし、パスがつながる回数も少なかった。守備の意識がどちらも強かったが、リスクを負うことの怖さがあった。ミスが命とりになる、トーナメント1回戦だからこそかもしれない。

PK負けは仕方がない。緊張感のある中で、ここまでやった選手は素晴らしい。W杯で延長戦からPKまで経験できた。やりたくても、できないことを今回はできた。前回のドイツの経験が生きたように、反省と自信を、将来に引き継いでもらいたい。

守るということに関しては、うまくいったが、攻撃への切り替えの部分で、出遅れが目立った。これからの課題は攻撃的な守備。相手を自分たちのポイントに誘い込んで、そこでボールを奪えば、全員の意識が統一されていて、すぐに攻撃に移れるような、そんな形が欲しい。

それから、交代選手をもっと効率的に生かすやり方も考えなくてはいけない。中村憲が非常に効いていたけれど、玉田、岡崎は使い切れていなかった。試合途中でいかにリズムを変えられるかは、これからの課題になる。

スタンドには、日本のユニホームや日の丸をペイントした外国人の姿も目立った。こういうのもW杯ならでは。日本の頑張りが認められたわけだから、誇りに思っていい。

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