富士登山に備える。
20100727 連日の炎暑だ。東京では数日前に、神奈川県では海老名までは昨夜雨が降ったのですが、横浜まではなかなか雨らしい雨がやってこない。権太阪では、10分ほど降ったが、路面を濡らした程度だった。稲妻だけが異常に多く縦横無尽に走っていた。雷鳴は聞こえない。来月の7日(土)と8日(日)の両日で富士山に登るので、この二週間はなるべく車を使わないようにして、会社までの行き帰り、大いに歩いているのです。少しばかりの準備に入っているのです。
我が家の家人が、来月入院する。5日に手術してそれからリハビリをするので、約1ヶ月の入院になる。富士山登頂は手術の3日後だ。山頂にある浅間神社で無事に治癒することを祈願しようとも思っている。そのためにも、立派に登頂しなくちゃいかんのです。
この富士登山のための強化訓練の打ち上げに、厚木街道を約15~20キロを歩くことを思いついた。到着地点を弊社がある天王町にすると、出発地点は瀬谷駅だ。電車で瀬谷駅まで行って、それから厚木街道をひたすら歩いて戻ってくる。足腰の筋肉強化だけではなくて、この炎天に耐えることも訓練の目的の一つです。
それから1週間は、本番まで足腰を休ませようと思っている。
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そして、20100728。
瀬谷駅に9:42着く。即、スタートした。暑い暑いと思っていたのですが、今日は意外にも風は吹いていて、樹木が揺れていた。日陰は割りとヒンやりしていて気持ちがいい。
相沢、二ツ上橋、二ツ橋、三ツ境駅10:20。
私の携帯電話が鳴った。お世話になっている地元の有力な銀行から、打ち合わせをしたいとの連絡があった。休日と言えども、携帯電話は放せない。昨日弊社に来ていただいていたのですが、それでは足りなかったようだ。
三ツ境駅前で、厚木街道を急遽進行方向にむかって直角に方向を変えた。予定しなかったことだ。富士見通り商店街を歩き出したのです。今日は28日。八(はち)のつく日は、いつもの半額のラーメン屋さんのことを頭に浮かべてしまったのだ。どうしょうか、なんて考えることもなく足は自然にそっちに向いていた。三ツ境、阿久和東、希望が丘南、希望が丘高校、南希望が丘、善部町を通って、善部小学校のそばに出た。東海道新幹線に沿った道に、ラーメン屋がそれなりの距離を置いて三軒あるのを知っていたのです。一つは家系のラーメン屋、一つは全国的チェーン店、もう一つが本日の狙いのラーメン屋だ。
そんなことを考えながら、歩いていたら、長屋門公園(横浜市瀬谷区阿久和東)に出くわした。私は、初めて知った。この公園を管理している人たちが掃除をしていた。ボランティアの人たちだ。入場無料と書いてあったので、気を許し、安心して敷地内に入った。建物を写生している人たちが5~6人いた。子ども達が、敷地の中心地にある井戸の手押しポンプを使って、手足を洗っていた。近所でとれたカボチャ、ナス、インゲン、などの野菜が売られていた。荷物になるので、今回はウオッチングだけだ。カブトムシはつがいで200円だった。
(旧安西家主家)
横浜市泉区和泉町の安西家の主家(おもや)であったが、平成2年に横浜に寄贈された。解体・修理を行い平成4年6月に竣工した。
(旧大岡家長屋門)
明治20年の建築。2階は養蚕室として使用されていた。近隣には製糸工場が存在した。
ところが三ツ境から横断して大きい通りに出たところは、目的のラーメン屋とはちょっと的が外れていた。狙いのラーメン屋は進行方向に向かって後ろの方だった。ちょうど全国チェーン店のラーメン屋の傍に出てしまった。この糞暑さ、店に入ったら思いっきり冷たい水をガブ飲みしたいとばかり考えていた私は、半額ラーメンのことはそっちのけにして、躊躇いなく直近の店に入った。味噌ラーメンの値段は予算以上だったけれど、ギョーザ100円は美味かった。
さちが丘から、二俣川駅前の東京三菱UFJ銀行。この銀行で弊社の預金通帳の記載を、管理の和さんから頼まれたのだ。クーラーがよくきいていて、気持ちがいい。いつものように少ない残高に、ニンマリ納得した。頑張らなくっちゃ。私の大学時代のサッカー部の同期の友人の金さんは常々言っている。ヤマオカ、お金はなあ通貨といって通過するもんなんや、澱(よど)んではイカンねん。澱むと腐ったり黴(かび)が生えてきて、持っている者に悪影響が出るんや、解ったかヤマオカ、間違っても、こっそり独り占めなんてことを、考えたら罰が当たるデ。
二俣川駅から厚木街道。いつも車で通っていて、見慣れた光景だ。
鶴ヶ峰駅入口で、お母さんの自転車の後ろに乗っていた男の子の帽子が風に吹き飛ばされた。私の目の前での出来事だ。飛ばされた帽子を私は追いかけたが、帽子は風にうまい具合にあおられグルグル回転した。帽子の行方を確認しながら、遠ざかる自転車の母親にも、オオ~と声を掛けた。子どもは、頭を手で掻いてはいるが、母親には伝えていないようだ。母親は気付かずに坂道を自転車のペダルをこく。ようやく帽子を拾って、大きな声で自転車の母親をオウ~だったか、アア~だったか、呼んだ。
気がついた母親に駆けつけて帽子を渡した。有難うございます、と感謝された。私は、この坊主の頭を撫ぜた。可愛い顔をしていた。可愛いねと言いながら、お前なあ、お母さんに教えなアカンでと言って頬っぺたを強く押した。
八王子街道、白根、白根不動、下白根、川島町。
大六天通りを歩いた。何故、こんな名前が通りについているのだろうか。八王子街道と相模鉄道に平行して、商店街が続いていた。暑いからなのだろうか、買い物客は一人もいなかった。人っ気のないパチンコ屋さんは悲惨だ。
再び八王子街道、羽沢入口、杉山神社、上星川駅入口、和田町駅入口、横浜新道の下、峰岡町。
八王子街道に面しているコンビニ店で赤城乳業のガリガリソーダ君を1個、63円で買った。私はこの季節、コンビニに入るのは、トイレを借りる時か、このガリガリ君を買うかのどちらかです。栄養がなさそうなのが、今どきの健康食だ。食べた後、口の中に甘さが少し残るのが、減点1かな。触感に歯応えはレベルの高い夏の冷菓だ。ショーケースを覗いてガリガリ君に兄弟か姉妹がいたことを初めて知った。私の好みはブルーなのですが、隣に黄色いガリガリ君が居た。きっとこれは同じ仲間なんだろうが、今、その違いを確認している場合ではない、レジの前で、早く馴染みのブルーのガリガリを口に入れたくて地団駄を踏んだ。急に冷たいものを口にしたので、後頭部が痛くなった。この痛みはなんでじゃと、冷たい物を口にする度に考えるのですが、理由を調べることもなく忘れてしまうのです。喉元過ぎれば、という奴だ。私は痛くなるのが後頭部だが、こめかみや眉間、鼻が痛くなるという人もいる、千差万別、面白いと思う。
保土ヶ谷警察署を右に回った。星川駅、保土ヶ谷市役所を右に見て、帷子川の川沿いに歩き出した。川の傍で、これも自転車にまたがった母親と後ろに乗った男の子が、桜の街路樹で鳴いているセミを見つけて、何やら話をしていた。この親子は、随分高いところにいるセミを眺めていた。
私は、彼女たちが佇む樹木の、数本隣の木の低いところに油セミがいるのを見つけた。私は注意深く、セミの背後から手を忍ばせた。そして、瞬間、つかまえることができた。つかまえたセミを、男の子の手につかまえさせた。子どもは躊躇っていた。怖かったのだろうか。母親は静かに私の行動を見ていた。少しつかまえて、ようく見てから放してやってよ、と男の子に言った。子どもは緊張して顔が強張っていた。私に返事は返ってこなかった。
今日は、自転車に乗る母と息子に縁がある。私には愛し合う親子のイメージとして一つの型が脳に埋め込まれているようだ。その型が自転車に乗った母親と後ろにちょこんと座る男の子なのだろうか。私は幼いころの遠い故郷での暮らしを思い出した。母は自転車に乗れなかったけれど、従姉妹には、よく乗せてもらって買い物に行ったことが、懐かしい。
会社の近くの帷子川周辺
帷子川の川沿いに近づくと、ホットするようになってしまった。この周辺に居ると安心するのだ。天王町二丁目を仕事の本拠地にすることになって、最早7年は経つ。じっくり、この地で仕事に励みたい、復活のスタートの地にしたいと願うのだ。天王町駅にも帷子川にも、親しみがわいてきている。
会社に着いたのが、13:45だった。会社では、営業の者が休みなので管理の和さんと古さんの二人っきりで、和やかに仕事をしていた。水曜日は静かで、仕事がはかどるんです、と言っていた。
ラーメンタイムと貯金通帳の記載、ガリガリタイムを入れて、約4時間の徒歩旅行だった。
ついでに、自宅までも歩いた。携帯電話についている歩数計によると、本日の全歩数は、36,569歩だった。歩行距離は、18キロ近いのではないだろうか。