2011年7月12日火曜日

今日は、孫の参観日だった

20110712 私の次女の長男・晴の小学1年2組の授業参観に行ってきた。

今日は、娘も娘のダンナも仕事で行けないから、ジジイ、代わりに行ってくれないか、と娘から強い要請を受けた。内心、こういう依頼を待っていたのだ。嬉しい要請だ。定時の13:40よりも20分も前に学校に着いた。

自分の4人の子どもが通学している間、私は仕事にかまけて、学校の行事にはほとんど顔を出したことは無い。妻任せだった。だからと言って、子ども達に対して決して無責任ではなかった。

子供の頃から、学校は私にとって、大好きな場所だった。やすらぎの?それとも憩いの?兎に角楽しい場所だった。自由で楽園のようでもあった。誰よりも早く行って、誰よりも遅くまで居た。小学校では、先生に大いに甘えさせてもらった。中学、高校時代はクラブ活動を終わってからもグズグズと、先生に追い払われるまで学校に居た。勉強のよくできる子どもではなかったが、学校が楽しくってしょうがなかった。何故か、どの先生も私を可愛がってくれた。学校は私にとって、特別の場所だったのだ。

私が社会人になってからも、祖母は、タモツは学校から帰ってくるときは、いっつも裸だったなあ、と話していた。小学生の時は、野道を服をぐるぐる回しながら、中学の時は、自転車のハンドルに服を巻きつけて、裸で、玄関に入るなり、腹減った、が口癖だった。祖母は、冬には餅を夏には握り飯を用意して、夕飯までの私の空腹を気遣ってくれた。

このように学校好きの私なのだ。

教室では子ども達が父兄を待ち受けていた。先生は、新卒間なしの若い可愛い女の先生だ。先生は子どもに、父兄に対して、コンニチワと挨拶を促した。やはりピカピカの1年生で、体はこじんまりとしてヒヨコだ。壊れそうで、危なっかしい。学校というものに、まだ馴染めなくてちょっと不安げにしている子もいた。大声を張り上げるような行儀の悪い子は居なくて、みんな静かにしていた。1教室は28人。参観に来た父兄のうち、母親は14人、ジジイは1人、祖母は1人だった。

授業は算数で、モノを数える勉強だった。10以上のモノを数える場合には、10を一まとめにすると、10以上のモノを数えるのに、早く確実に数えられる、という勉強だった。晴は、先生の質問に毎回手を上げて、2回答えるチャンスをもらった。いつもの、やんちゃな晴ではなく、ぼそぼそと、泣きべそをかいているような声で答えていた。

授業の最後に、これで算数のお勉強を終わります、とみんなで声を合わせてお辞儀をしたのですが、クラスで一番体の大きな我が孫は、教室のド真ん中で、お辞儀のことはすっかりそっちのけで大きな欠伸(あくび)をした。他の子ども達は、気付かなかったようだが、先生は、きっちり見逃さなかった。先生の孫に注がれた厳しい視線に、ジジイは肝を冷やした。

この子達は、誰もが、どのように育っていくのだろうか。強く逞しく、健康に育って欲しいと思う。

そのためには、大人は、戦争のない、誰もが住みやすい世界を作らなければならない責任や義務があると如実に感じた。生きがいのある生活を保証する環境作りだろう。

子どもは国の宝物だ。

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(最近の晴選手、左はショウマ君)