(撮影=上田潤)
20110718日は「海の日」で、休日だ。
そんなことよりも、今日の未明は、女子サッカーワールドカップ(W杯)の決勝戦なのだ。天下分け目の日米合戦だ、強敵を次から次と倒してきた日本女子代表・なでしこジャパンが決勝戦に残って、その相手は最強のアメリカだ。なでしこの檜舞台。開始時間は未明、と言われているが、ひと寝入りした人にも、3時半は早朝ではなく、あくまでも未明なのだ。私の体内時計では朝だ。
私の今住んでいるアパートにはテレビがなくて、前前日、次女に電話で、早朝勝手にテレビを観たいと相談したら、家の玄関は解錠しておく、テレビのリモコンはスウィッチをオンにさえすれば映るようにしておくからと快諾を得た。
そして、問題の未明、3時半、次女宅のテレビの前に一人で陣取った。
大きいアメリカ人と比べると、どうしても日本人は華奢に見える。そんな両国の選手が握手を交わしていた。審判団は、やはり日本人よりもひと際大きいドイツ人女性だ。主審の女性は2メートルもあろうかと思われるほど背が高い。でも、表情が豊かで笑顔がとても素晴らしい人だ。
試合の内容は後の方の新聞記事を読んでもらえばいいが、私が感動したのは、その戦いぶりが、双方ともにフェアープレーに徹していたことと、審判の手際が好かったことだ。選手の意気を大いに理解した裁き。試合の流れを止めることもなく、選手とのコミュニケーションを取りながらの上手な審判だった。選手同士も実に相手を尊敬し合っていた。そのことを、マスコミが余り話題にしなかったが、私には、強い感動をもたらした。勝った日本は勿論だが、負けたアメリカもよく最後の最後まで今までの覇者らしく戦った。
試合内容は、嗚呼(ああ)!!やっぱり、、、、、、、いやいや、まだまだ、そんなことはない、、、、、えっ、まさか、、、、やっぱり、なあ、、、、、ええ、まさかのまさか、、か、、、、こんなように展開して、最終的にはPK戦突入。後のことはもうみんな周知の結果だ。
延長後半、2-1から2-2にに追いついた沢の右アウトサイドキックのシュートは、宮間のCKから生まれたのだが、このCKの前にはアメリカのキーパーと日本の選手がペナルティエリアライン付近で混戦、キーパーが足を怪我した。その怪我を癒すために、アメリカは時間を十分にとって対処していた。アメリカにとっては、残り少ない時間を、このまま終了すればいいわけで、時間をかけて処した。お陰で、その間、宮間と沢は作戦の時間を得ることができた。私はニアーに走り込むサカイに、ちゃんと蹴ってや(沢)、任せて合点、先輩一発で入れてくださいね(宮間)、と二人はこんな?関西弁ではなかっただろうが、 打ち合わせをしたそうなのだ。
それで、ドン、ピシャリ。同点弾がネットを揺らした。
PK戦を前にして、円陣を組んだなでしこらは、監督を真ん中にして笑いが起こっている。PKの蹴る順番を決めているときに、沢が一番を指名されて、嫌だ、と言って皆がドッと笑い出したようだ。これは不確かな情報だ。この笑いは、余裕なのか、ここまでの戦いの満足感なのか、私には凄く奇妙に思われたが、何故か、涙が止まらなかった。監督と選手らが、PK戦を前に笑っている、、、これって、やっぱり不思議な光景だった。
PKが始まる前に、この勝負、私は勝ったと思った。日本の誰もがそう思っただろう。
この緊張シマクラ千代子の極致に、この落ち着きぶりは何だ? 監督の試合後のコメントでは、ここまで来たのだから、PKは運に任せる、天が決めるものだ、ということだったようだ。選手は笑顔でPK戦に向かった。アメリカのチームの面々からは悲壮感のようなものを感じた。男子の元日本代表監督のオシム(惜しむ)氏は、自ら指揮を執った試合でさえ、PK戦は見ずに一人早々にロッカーに引き揚げた。
このなでしこジャパンの優勝は、世界のマスコミが一斉に称賛した。その記事内容をインターネットで得たので、此処に記す。
フランス・ルモンド紙=プレーの正確さや粘り強さを称賛するとともに、東日本大震災を克服しようとする「何か大きな力」(米、ゴールキーパー・ソロ)が勝利を呼び込んだとの見方を伝えた。
フランクフルト・アルゲマイネ紙=「今大会で最も粘り強いチームの組織力の勝利」と讃えた。
イギリス・ガーディアン=3月の地震と津波ではいまだに動揺している国民に、心の安らぎを与えるという偉大な目標に日本チームは常に動かされていた。米FWワンバックも「米国以上に日本は、チームが勝つことを必要としていた。彼女らは決してあきらめなかった」と話した。
南ドイツ新聞=鋭い縦パスでチャンスを作り出した攻撃を「すし職人の包丁さばきのようにピッチを鋭く切り裂いた」と称賛した。
中国・国営新華社=疲れをしらない走りと2度追いついた強靭な精神は、女子サッカーの斬新なイメージを打ち立てアジアの地位を高めた。なでしこは世界のサッカーの歴史を書き換えると同時に、中国チームの灯台にもなっている。パワーチームを相次いで破り、テクニックスタイルのチームとして初の優勝を果たした。美しいサッカーと美しい奇跡は東日本大震災で被災した民族に自信をもたらすだろう。
この前の春、私がサッカー部に在籍していた大学の女子部が、大学選手権で優勝した。その決勝戦を観戦に行った時に会った、大学時代の同期生に、ヤマオカなあ、なでしこジャパンにも、このチームはいい戦いをするんだよ、それに驚くことに、高校生のチームだって、この大学のチームを苦しめるんだよ、だから、女子は今後相当伸びるよ、これから10年は成長する一方だよ、このように言っていたのを今、ここで思い出した。
20110719の朝日新聞・朝刊から、なでしこ関連記事をそのまま転載させてもらった。写真も拝借した。これは、どんなことをしてもマイフアイルしておかなくてはイカンと思ったのだ。この快挙は日本のサッカー史上重要なエポックだ。
朝日新聞の社主殿、私は、50年以上の熱烈な朝日新聞の読者です。
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1面
なでしこ世界一
不遇に耐え、はい上がる
日本女子代表は多くがアマ選手だ。昼間働いて夕方から練習に打ち込む。
携帯電話やパソコンに使われる絶縁材料などの製造工場。クリーンルームではほこりを取って製造ラインに入る。朝8時半から夕方4時半まで精密製品を容器に詰める。全6試合に先発したMF阪口夢穂(みずほ)(アルビレックス新潟)の姿だ。
このパート勤務が阪口の生活を支える。かって企業チームのTASAKIででプレーしていた。だが、不況で休部に。米国に渡った後、昨年1月、新潟に移籍した。今の職場は、選手の受け入れ企業を探すチームが確保した。
守備陣を束ねたDF岩清水梓(日テレ・ベレーザ)は、都心で働き、列車とバスを乗り継いで1時間半ほどかけ、練習場に駆けつける。
国内女子最高峰のなでしこリーグ事務局によると、選手約220人中、サッカーだけで生活が成り立つ「プロ」は1割ほど。年間を通じて使えるグラウンドを持たないチームもある。時にシャワーがない施設で練習し、水道で顔を洗って選手は家路に就く。プロ契約している沢穂希や大野忍(いずれもINAC神戸)とて、ユニホームは自宅で洗濯している。
日本女子代表が初めて編成されてから30年。アルバイトをする選手が多い状況は変わらない。だからこそ、ある想いが選手たちを奮い立たせてきた。「勝てば注目される。勝てば環境も変わる」。1984~96年に代表の主力を担った野田朱美さん(日テレ監督)は「昔から、自分のためだけにプレーする選手は代表にいない。女子サッカーそのものの価値を高めるために戦うから最後まで走り続けられる」と話す。
男子に比べ不遇なのは海外も似ている。日本が準々決勝で初めて勝ったドイツのリーグもプロは約半数に過ぎない。年1千万以上を稼ぐ選手はわずか。ただ、施設などの環境面は恵まれている。そして、決勝の激闘を演じた米国には二つの女子プロリーグがあり、受け皿が大きい。
かって遊園地でアルバイトをしていた大野は、「台風が来てもレインコートを着て働いた。代表に選ばれると好きなサッカーに集中できるし、食事も充実している。2人部屋なんか、まったく苦にならない」と話した。
ひたむきさとサッカーができる喜びに満ちたなでしこが、男子より先に優勝トロフィーにたどり着いた。
沢、MVPと得点王
サッカーの女子ワールドカップ(W杯)は、決勝が17日(日本時間18日未明)にドイツ・フランクフルトで行われ、日本代表なでしこジャパン(世界ランク4位)が延長戦を2-2で終え〟後のPK戦の末に米国代表(同1位)を破り、初優勝を果たした。日本が国際サッカー連盟主催の大会で優勝するのは、男女のあらゆる年代で初めて。日本の主将MF沢穂希(ほまれ)が大会の最優秀選手に輝き、5ゴールで得点王も獲得した。
(フランクフルト=河野正樹)
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天声人語
「最後まであきらめない」。祝日の早朝、そんなメッセージがフランクフルトから届いた。サッカーの女子ワールドカップ決勝。なでしこジャパンは米国に2度追いつき、PK戦を制した。今の日本にすれば、あらゆる政治の言葉より意味がある世界一だ。
押しに押され、ゴール枠の「好守備」に再三救われた。しかし、残り3分、頼れる沢主将がすべてを元に戻した。宮間選手のコーナーキックに飛び込み、示し合わせたような右足一発、居合い抜きを思わせる美技だった。
この同点弾で、なでしこの至宝は大会の得点女王と最優秀選手に。前言通り、「人生最高の試合」にしてみせた。仲間の粘りを勝利につなげた守護神、海堀選手の神業にもしびれた。
米国の女子サッカーは国技に近い存在らしい。女の子の3割が習い事でたしなみ、人気選手はCMにも出る。「女子は男女同権の国ほど強い」(W杯米国大会プログラム)。そうした誇りと期待を、代表の面々は担う。
かたや日本は、代表チームができて30年。ルールは男女同一に、競技人口は10倍以上になったが、主力選手の多くが働きながら練習している。凱旋の旅もエコノミークラスと聞いた。世界一の次は実力にふさわしい環境だろう。
早起きを3回しただけの素人にも魅力は分かる。俺が俺がのプレー、汚い反則や抗議がなく、ボール回しを楽しめた。なでしこは国を励まし、世界を驚かせ、この団体球技の面白さを教えてくれた。雑草の根っこを持つ大輪たちに感謝したい。
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2面
日本女子強化実る
男子に交じり育成/海外で修業
日本で初の女子サッカークラブが誕生してから45年。そして、日本女子代表が初めて編成されてから30年。なでしこジャパンが17日(現地)の女子W杯決勝で、世界の頂点に上り詰めた。どのように強化を進め、海外の強豪に立ち向かったのか。今回の快挙で、人気低迷や不況による企業チームの撤退などの負の歴史は変わるのか。
体格に恵まれた選手を配置し、個人の能力に頼るスタイルが主流だった世界の女子サッカー界にあって、日本男子同様、俊敏性と技術の正確さという「日本人らしさ」を生かしたパスサッカーを追求してきた。
日本は小学生の女子単独チームが少なく、70%は男子に交じって技を磨いているという。「男子と連係して育成年代からの強化を進めているのが日本の特徴」と日本サッカー協会の上田栄治・女子委員長。男子の厳しいプレッシャーの中でプレーすることが技術の向上につながってきた。
代表チームについては、2002年に始まった20歳以下(U20)女子W杯、08年からスタートしたU17W杯に照準を合わせて若い年代を育成。狙い通り、10年のU20W杯で主将を務めたDF熊谷紗希(浦和レディース)や、08年U17W杯で最優秀選手に輝いたFW岩渕真奈(日テレ・ベレーザ)が優勝に貢献した。
指導者育成にも力を入れてきた。01年には47都道府県で「ウーマンズカレッジ」と題し、女子チームを対象とした講習会を開催。パスサッカーに必要な技術の浸透を図った。「00年のシドニー五輪出場権を逃し、女子サッカーの勢いが落ちた。それを押し上げるために指導者育成は不可欠だった」と上田委員長は振り返る。
なでしこリーグ幹部によると、ライバルが多く競争意識の強い男子チームの指導者と異なり、女子チームの指導者は横のつながりが密だったことも幸いしたという。日本協会の技術委員会が年数回にわたって世界の動向と育成方針を示すなど、指導ノウハウの情報交換がすすみ、選手のレベル向上に大きくつながった。
「海外でプレーする選手が増え、好成績につながった」とみるのは、川渕三郎・日本協会名誉会長だ。海外進出を後押しするため、日本協会は昨年から海外強化指定選手制度を開始。米国などトップレベルのリーグに移籍する選手に対し、支度金20万円、滞在費1日1万円を補助する制度だ。
今はドイツでプレーするFW永里優季(ポツダム)、FW安藤梢(デュイスブルク)、フランスに拠点を置くMF宇津木瑠美(モンペリエ)が指定選手になっている。MFの沢穂希(神戸)、宮間あや(岡山湯郷)も米国でプレーしていた際には指定を受けていた。「日常的に海外の選手との体力差などを感じることが、国際大会で生きてくる」と上田委員長は話す。
リーグ人気「直結せず」
日本で女子サッカーに注目が集まったのは、1996年のアトランタ五輪で正式種目に採用されてからだ。93年のJリーグ発足によるサッカー人気の急上昇も後押しした。宣伝効果を狙った企業が女子リーグ(現なでしこリーグ)のチームを抱え、外国人選手も積極的に補強した。
しかし、バブル崩壊後長引く不況の影響でJリーグの横浜フリューゲルスが吸収合併されるなどサッカー界全体が地盤沈下。女子でも98年にはリーグ3連覇を果たした日興証券と、フジタが撤退を発表。99年の開幕前にはシロキ、鈴与清水が撤退を表明した。
2000年にシドニー五輪出場を逃し、人気の低迷に拍車がかかる。04年アテネ五輪で8強、08年北京五輪で4強入りしても状況は好転せず、北京五輪後には代表選手を多く抱えていた田崎真珠も撤退した。
FW大野忍(INAC神戸)は不況の影響を受けた一人だ。プロ契約していた日テレ・ベレーザが、運営会社の経営難で10年をもってプロ選手を保持しない方針に転換。大野はサッカーに集中できる環境を求めて神戸に移籍した。「女子サッカーはいつも、その時の経済状況にほんろうされているなと感じる」と話す。
今季のなでしこリーグの1試合平均の観客数は800人弱。今回のW杯優勝でリーグはかっての活気を取り戻せるか。
「CM好感度調査」などで知られるCM総合研究所は「1兆円規模の経済効果があったのではないか」とみる。米国やドイツなど主要国で感心が高く、報道が多くなされたためだ。優勝メンバーへのCM出演依頼も増えてくると予想する。
ただ、なでしこリーグのあるスポンサー企業は「プロ選手が次々に生まれるほどリーグが興行的に安定するかは楽観できない」と見る。スポーツ経営に詳しい原田宗彦・早大スポーツ科学学術院教授は「ブランド力が増したのは『なでしこ』そのもので、リーグのチームではない。リーグが『なでしこブランド』を管理してビジネスにつなげ、クラブ・選手に還元する知恵が必要だ」と指摘する。
広瀬一郎・多摩大教授(スポーツビジネス論)は「リーグの苦境は日本企業の業務低迷によるもの。W杯優勝で改善するわけではない」とする一方、「これだけのことを成し遂げた選手がスポーツで食べて生きづらい。今年成立したスポーツ基本法は、スポーツ振興を国の責務と明記しており、政府がこうした現状を取り上げ、対策を進めることも考えられる」と指摘する。
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ひと
サッカー女子W杯で初優勝した日本代表監督
佐々木則夫さん(53)
「のりさん」。選手もスタッフも親しみを込めてこう呼ぶ。
綾小路きみまろさんの漫談をこよなく愛し、試合前ミーティングでは「必ず笑いを入れる」。選手がどんなに引こうと、おやじギャルを恥ずかしげもなく連発。選手との距離は自然と近づく。
現役時代は東京・帝京高から明大に進み、Jリーグ創設前の日本リーグ・NTT関東(現J1大宮アルディージャ)でプレーした。2006年に日本女子代表コーチに就任し、07年から監督に。
おおらかさと、人当たりの良さで選手が本音を出せる雰囲気を作る。「選手にも腰が低く、決して上から目線でやらない」と関係者は評する。今回のチームも、ベテラン沢穂希と良好な関係を築き、気持ちよくプレーさせた。
控え選手にも先発と同じくらい気を使う。先発組みが軽めの調整となる試合翌日の練習は「100%控え組みを見ている」。ちょっとしたしぐさも見逃さない。ドイツとの準々決勝は途中出場の丸山枝里奈が決勝点、準決勝のスウェーデン戦では初先発の川澄奈穂美が2得点、控え選手が抜擢に応えた。
決勝のPK戦直前、「米国は勝ったと思っていたらPK。うちはぎりぎりで追いついてもうけもん。楽に行け」と笑いながら選手を送り出した。「粘り強くやってくれた」。いつものように選手をたたえた。
(文・河野正樹 写真・上田潤)
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社説
なでしこ世界一
伸びやかさを力に
朝まで続いた熱戦に釘付けになった人も多かったろう。サッカー日本女子代表チーム(なでしこジャパン)がドイツで22日間にわたって開かれた女子ワールドカップで頂点に立った。
サッカーでは男女、年齢別の大会を通じても初の世界一だ。女子スポーツの中でも難しいといわれる団体球技では、五輪と世界選手権で優勝したバレー、ソフトボールに次ぐ快挙。回転レシーブなど独自の技術を編み出して体格差を克服し、「東洋の魔女」と世界から称賛された東京五輪の女子バレーを思い起こされる活躍ぶりだ。
印象深いのは、男子とは違う、その伸びやかな戦いぶりだ。相手の猛攻にひたすら耐えるだけではない。肩に無駄な力を入れず、結果を恐れず、素早いパス回しとセットプレーという武器を存分に生かした。
決勝で世界ランク1位の米国に2度のリードを許した時間帯も、重圧との戦いでもあるPK戦も、恵まれない環境でサッカーを続けてきた日々を思えば、さほど苦しくなかったのかもしれない。PK戦前の円陣には笑顔すらあった。悲壮感や根性論とは無縁の、スポーツの原点である「プレ-する喜び」が彼女たちの全身からあふれていた。
そんな姿に日本中が熱狂したのは、大震災以降の重苦しさのなかで、人々がなでしこの快進撃に希望や期待を重ね合わせたからだろう。一瞬でも苦しさを忘れ、勇気を与えられた人は、多かったに違いない。
今大会は女子スポーツ大会の発展という意味でも節目になりそうだ。女子サッカーの歴史をひもとけば、北欧や北米などリベラルな先進国を中心に広がってきた。そこに南米やアフリカ勢が台頭し、世界のレベルは着実に上がっている。
中でも、体力任せの大味な競技スタイルだった世界の潮流に、技術という要素を加えたことは日本の大きな貢献だ。体格やスピードの差から、男子に比べ面白さに欠けると見られがちな女子スポーツだが、力と技の組み合わせで競技の魅力はまだまだ高まるはずだ。
1試合平均約2万6千400人という観客動員数もこのことを裏付けている。女性のスポーツの興業面での将来的な可能性も示したのではないか。
世界から追われる立場になったなでしこは、9月にはロンドン五輪予選を迎える。周囲の期待はいや増すばかり。ときに重圧となるかもしれない。それでもドイツで見せた伸びやかさを失うことなく、再び世界にチャレンジして欲しい。
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22面
強敵の壁破った
常にV争いできる強化策が必要
(延長後半12分 宮間のCKに合わせて同点ゴールを決める沢選手=FIFA/ゲッティ)
決勝で先発した平均年齢は米国の28.54に対し、日本は25.54。20歳の熊谷、23歳の阪口、途中出場した18歳の岩淵を含め、世代交代が順調に進んでいることをうかがわせる。それぞれ2002年と08年に始まった20歳以下と17歳以下の女子W杯を先取りして育成に取り組んできた成果だ。
ただ、このアドバンテージに頼っていられない現実もW杯は示した。大会を視察した19歳以下代表の本田コーチによると、ナイジェリアは弱点の組織力を伸ばし、フランスは技術分析班を送り込んで本格的な強化への意気込みを感じさせたという。これら新興国を中心に世界的な底上げは急で、「フル代表だけに絞った強化策を各国が見直せば、その差は一気に縮まりかねない」と危機感を募らせる。W杯よりも五輪を重視する世界的な傾向を考えれば、9月に始まるロンドン五輪最終予選もそう簡単ではないだろう。
W杯後もなでしこの欧米移籍は続きそうだ。それは国内でプレーする環境の貧しさと、トップ選手の強化を海外に依存せざるを得ない裏返しでもある。世界女王に就いた努力に報いるなら、一時的な勝利ボーナスの増額などではなく、W杯、五輪で毎回のように優勝争いをするような息の長い強化策だろう。選手たちもそれが一番の望みに違いない。
(編集委員)
(米国・ボックスのPKを足でセーブする海掘選手=AP)
米「心が痛い」
米国は2度にわたってリードし、再三チャンスも作った。ところが、日本の14本を上回る27本のシュートを打ちながら、、枠内シュートは日本の6本よりも少ないわずか5本。たたみこむことができなかった。
この日の得点で4試合で4試合連続得点と、ワンバックは代表で120点以上を奪っている実力を見せたが、「優勝するのは簡単ではないと分かっていたが、心が痛い」と肩を落とした。
日本、自信持っていた
米国・スンダーゲ監督=「前半は私たちが試合を支配し、チャンスを作っていたが、日本の選手は自信を持ってプレーしていた。残念だが、女子サッカーの将来に希望が持てるような試合だった」
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23面
猛攻耐え新女王
なでしこ成長 2度の同点劇
(後半36分 米国・クリーガーをかわして左足で同点ゴールを決める宮間=AP)
サッカーの女子ワールドカップ(W杯)で、日本女子代表(なでしこジャパン)は17日、悲願の初優勝を果たした。
これまでW杯、五輪を通じて日本女子の最高成績は2008年北京五輪の4位だった。若い年代の大会では、昨年にトリニダードで行われた17歳以下(U17)女子W杯で準優勝した。
オーレ
PK勝ちといえ、日本はついに世界ランク1位の分厚い壁を突き破った。
過去の対戦成績は、21敗3分け。その上、米国は前半からエンジン全開で攻めてきた。
両サイドをスピードあるドリブルで切り崩すMFオライリー、MFラピノーに、中央でどんと待ち構える181センチのFWワンバック。何度も守勢に回り、MF阪口は「めちゃくちゃしんどかった」と振り返る。
だが、ドイツの猛攻に遭いながら無失点で抑えた準々決勝、スウエーデンに逆転勝ちした準決勝の厳しい経験が生きる。前半15分を過ぎると、耐えたことで落ち着きを取り戻し、日本らしいパスが回り始めた。
後半24分に先制を許したが、「米国が点を取るとパタリととまる」(佐々木監督)という分析通り、同36分にMF宮間の得点で同点。延長前半に再びリードを許すものの、宮間のCKからMF沢が直接右足であわせ、追いついた。
これまでならリードを許し、焦ってもおかしくなかった。「若い選手がすごく伸び伸びしていたし、点を取られても取り返せるという自信も、雰囲気もチームにあった」と沢は成長を感じていた。
PK戦は、時の運という言葉があるかもしれない。それでも、米国の猛攻に耐えてつかんだW杯優勝という結果は揺るぐことはない。
(河野正樹)
司令塔・宮間、絶妙CK
MF宮間が1得点1アシストの活躍だった。後半36分、右サイドからのFW永里のクロスのこぼれ球を見逃さなかった。左サイドからゴール前に駆け込み、すっと押し込む。「チャンスはある。いつも通りの動きだった」と振り返った。得意のセットプレーが出たのは延長後半12分。右足で蹴ったCKは沢にぴたりと合い同点。日本の危機を救った。
司令塔にして気遣いの人。そんな言葉がよく似合う。佐々木監督は「キャプテンが沢なら宮間は番頭役」と評する。昨年のアジア大会では沢の代わりにキャプテンマークをまいた。「沢に何かがあった時のため」と監督。宮間が次代を背負う存在だとみるからだ。
日々の練習から、スタッフに交じって球拾いをしたり、声を出して若い選手にアドバイスしたり。チームを引っ張る気概はある。
「PKは運なので、米国の選手に失礼だから」。PK戦で勝っても大喜びしなかった。実に宮間らしい。
(河野正樹)
日本の強さ見せた/勇気を与えられたなら/負ける気しなかった
佐々木監督=「自分たちのサッカーができない中で、耐えて耐えてW杯を手にしたという感じだ。選手にありがとうと言いたい」
安藤=「優勝を目指していたけれど、信じられない。日本のサッカーを見せつけることができた」
鮫島=活動休止の東電でプレーしていた。「震災後、初めての世界大会。優勝できて少しでも勇気を与えられたなら良かった」
岩清水=試合終了直前に反則で一発退場。「仲間を信じていた。PK戦ではGKが止めても泣く。入れても泣く。ずっと泣いていた」
川澄=「今日は本当に負ける気がしなかった。でも、できすぎです。漫画か映画しかないですね。こんな勝ち方」
永里=先発を準決勝、決勝で奪われ、「自分なりに挑んで苦しんだが、すばらしい経験になった」
ザッケローニ・日本代表監督=「歴史的快挙に最大限の称賛を送りたい。アジア大会での男女優勝、(男子の)アジア杯優勝、そして、女子W杯優勝は日本サッカーのすべてが成長していることを証明している」
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38面
「フクシマの年の伝説」 海外紙絶賛
なでしこジャパンの優勝は、世界の多くのメデイアも相次いで速報し、日本の粘り強さを詳報で伝えた。
敗れた米国。ニューヨーク・タイムズ紙は「フクシマの年の日本の伝説」と評価し、USAトゥデー紙は「この勝利は、地震と津波の被害から復興する国にプライドを与えた」と位置づけた。MVPの沢穂希選手が在籍したチームがあるジョージア州アトランタの地元紙も「ファンら、テレビに釘づけ」という見出しで大きく報じた。試合中からツイッターに感想を投稿していたオバマ大統領は決勝後、「日本、おめでとう」と勝利をたたえた。
中国国営の新華社通信は「日本の奇跡が世界を制した」と題した記事を配信。「(東日本大震災による)地震と津波、放射能に苦しむ民族に、比類なき自信を与えるだろう」と絶賛した。
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32面
沢疾走誉れの金
後輩を先導「諦めず戦い抜いた」
〈延長後半12分 同点ゴールを決め、喜んで走り出す沢選手=AP)
(AFP時事)
「すごく長い道のり。やり続けてよかった」。サッカーの女子ワールドカップ(W杯)で初優勝した「なでしこジャパン」の主将、沢穂希(ほまれ)選手(32)は最高の笑顔を見せた。
準決勝でスウェーデンを破った後、沢選手は宿舎で他の選手に興奮気味に話しかけた。「自分たちが決勝に来たんだよ。金メダルを取って帰ろうよ」。延長後半。コーナーキックに右足を合わせて同点ゴールを決めた。何度も左腕を突き上げた。
決勝を見届けるため、母満壽子(まいこ)さんは急きょ、ドイツに駆けつけた。沢選手がサッカーを始めたのは小学校に上がるころ。リカちゃん人形を与えても見向きもせず、外に遊びに行く活発な子だった。1歳上の兄が少年チームでサッカーをしている間、傍らでボールで遊んでいるとき、「やってみるか」とコーチに声をかけられたのがきっかけだった。
小学2年生になると、東京都府中市のチームで男子に交ざって試合に出るようになった。「何で女の子がサッカーやるんだ」と言われることもあった。コーチだった大高富太郎さん(67)は「男の子と競り合い、負けずにヘッディングシュートを決めていた。ぶつかり合いへの恐怖より先に負けん気があった。あの闘志が彼女の原点」と振り返る。
試合中、男子から露骨に足を蹴られた。その男子を追いかけ回し、試合は一時中断した。「この子が私のスパイクを蹴った」と抗議した沢選手に満壽子さんは「『今に見てなさい。私はプロになって見返してやるから』と思いなさい」と言ったことを覚えている。
中学にあがると、女子サッカーの強豪・読売(現・日テレ)ベレーザのユースチームに入団。すぐトップチームに抜擢され、大人に交ざって全国リーグに出場するようになった。中学3年、15歳で日本代表に。高いレベルを目指して米国プロリーグ移籍も経験した。
そのリーグが経営難で休止され、帰国を強いられたこともある。今シーズン開幕前には、今度は国内の所属チームの運営会社が経営難に陥り、INAC神戸への移籍を決断。恵まれない女子サッカーの環境を実感し「年齢的に残り時間は限られている」ともらした。
常に日本女子サッカー界の先頭を走ってきた沢選手。今大会、少し変化が起きた。年上の先輩たちとプレーしてきた代表で、気がつけば選手21人中、2番目の年長者になっていた。「沢さんに頼ってばかりではだめ」と話す若手が出始めた。スウェーデン戦で自身のパスミスから失点を招き、仲間の奮起で逆転勝ちを果たした時、感じた。「自分より若い子たちの方が冷静。自分が一番焦っているのかも」。少し肩の力が抜けた。
優勝を決めたPK戦は、自身が登場する前に、その後輩たちの奮起で決着がついた。「みんなで最後まで諦めずに戦い抜いた結果。最高の試合になりました」。ピッチの真ん中で仲間に囲まれ、優勝トロフィーを何度も高々とかざした。
(多田晃子、清水大輔、フランクフルト=河野正樹)
鉄壁海堀最後も止めた
(米国のPKを止め、喜ぶ海掘選手=ロイター)
決勝のPK戦で、24歳の守護神が米国の前に立ちふさがった。
120分の戦いで2点を失ったGKの海堀(かいほり)あゆみ選手は、「みんなが同点に持ち込んでくれた。やるしかない」。相手のシュートを2本止め、優勝に大きく貢献した。
父の影響でサッカーを始めたのは小学2年生。京都・長岡京市第四小スポーツ少年団で、フィールドプレーヤーだった。中学時代は、女子16歳以下の日本選抜として米国遠征に参加したこともある。
しかし中学卒業前、少年団コーチだった五由田(ごゆだ)武彦さん(67)に、サッカーを続けることに迷いを見せた。「男子のサッカーと違い、将来、経済的な負担になるかもしれないことに悩んでいたのでは」と五由田さんは言う。
結局、京都府立乙訓(おとくに)高校では、1歳上の姉の影響もありテニス部に。友達に誘われ、サッカーに戻ったのは3年生の時だ。ここでGKに転向。すぐに19歳以下日本代表に選ばれた。
当時指導した川島透さん(41)は「向上心がすごかった。怖がらず、突っ込んでいくので男子が遠慮するぐらいだった」。
しかし、フル代表では控えが続いた。変化のきっかけは今年元旦の全日本女子選手権決勝。今回と同じPK戦で相手のシュートを3本防ぎ、所属するINAC神戸が優勝した。相手のGKは日本代表の正GKだった山崎のぞみ選手。先輩との直接対決に勝ち、実力を発揮し始めた。
W杯直前に正GKの座をつかみ、大会では6試合すべてフル出場。最後は世界の頂点に立ち、「いい緊張感でできました」。人なつっこい笑顔が広がった。
(松川希実、勝見壮史)
願ってた
祈ってた
信じてた
(米国のゴール前でルペイルベと競り合う川澄⑨、後方は沢=ロイター)
(W杯トロフイーを手にした日本の選手たち、左から大野、沢、近賀=AP)
(表彰式後 感謝のメッセージが書かれた横断幕を持って場内を回る日本の選手ら=上田潤撮影)