2011年7月20日水曜日

今年の海は、重い

 

写真は、若狭和田海水浴場  (Wikipedia)より拝借

今日20110718は「海の日」だ。未明(03:45キックオフ)にドイツで行なわれていた女子サッカーのワールドカップW杯で、日本の代表、なでしこジャパンが強敵アメリカを相手に、前後半で1-1、延長戦で2-2、最後はPK戦で勝って初優勝した。テレビ観戦で、その余韻に浸ったまま、今日は何の日だったっけと考えて、あらためて海の日だということを確認した。

いつものことだが、暦には疎い。仕事柄、休日の確認はするものの、何の日だということまで、考え着かないようになってしまった。不幸な習性だ。

今日は、少し疲れがたまっていたので、午後は休みを頂いた。インターネットでなでしこ連戦の動画を何度も繰り返し観るだけで、他は何もしない、珍しくぼんやりしていた。

海の日か? そうか海か。海、海は地表の70%を占めるらしい。その海のことを思うだけで全身が痺れる。頭がくらくらして、自然に涙がでてくる。

元はと言えば、あの3・11だ。東日本大震災の地震による、東北、東日本を襲った津波のことだ。津波が押し寄せ、村や町が丸呑みされていく映像が、頭にこびり付いて離れない。住宅が、車が木の葉のように浮かんでいた。そして、次には引き潮だ。今度は、何もかもが海の方に引っ張り出されていった。2万人以上の、亡くなったり未だに行方不明の方たちがいる。

散歩の間ぐらいは、人に会いたくないので、深夜や早朝、農道やちょっとした近所の林道を歩くようにしている。住まいの周りだ。夜は、小動物や虫の声が、朝は、鳥の声がたくさん聞こえる。此の頃、散歩中、空を長く眺めてしまうようになってしまった。いつまでも空ばかり眺めている。以前は、私の故郷の西の方面を眺めた。今は、東北の空に向かって、被災地のことに思いを馳せている。被災地の方々の無念を想うと、自然に頭(こうべ)が垂れる。

子どもが小さい頃は、家族でよく海水浴に行ったもんだ。

私は泳ぎが好きだったから、当然海が好きで、子どもにも海を愛する人間になって欲しいと、海では気張って楽しくふるまった。見本を見せたのだ。ぷか~ん、と仰向いて大の字になっていつまでも浮かんで見せたり、深く潜って底に張り付いたり、1分以上も潜ったり、沖合い遠く、浜からは見えないところまで泳いでいったり、スキューバーやカヤック、ゴムボート、いろんなことをして、楽しんだ。子どもを浮き輪に入れて、引き連れての2キロ程度の遠泳もした。泳ぎ自慢なのだ。魚を釣ったり、貝をいっぱい拾ったりもした。

私の思惑通り、子どもたちは、水に強くなった。

子どもたちが、海や川での何かの事故に遭遇しても、命を失うようなことのないように、パニックに耐え、工夫を凝らして命拾いをして欲しいのだ。

今日の天声人語を読むと、海のことを、まさにその通りだと思い、いつもの転載癖が蠢(うごめ)いて、後の方にその記事を書き写した。いつものように無断転載だ、私は朝日新聞のファンの一人です。

ところで「海の日」の前には、「海の記念日」だった。

Wikipediaによると、海の記念日は1976年(明治9年)、明治天皇の東北巡幸の際、それまでの軍艦ではなく、灯台巡視の汽船「明治丸」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことにちなみ、1941年(昭和16年)、逓信大臣村田省蔵の提唱によって制定された。

海の記念日は、「海の日」に変わった。海の日は、1995年(平成7年)に制定され、その翌年から施行された。制定当初は7月20日だったが、その後7月の第一月曜日となった。

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20110718

朝日朝刊

天声人語

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きょうは海の日。太平洋に臨む紀伊半島の町に生まれ育った佐藤春夫に「海の若者」という詩がある。〈若者は海で生まれた。/風を孕(はら)んだ帆の乳房で育った。/すばらしく巨(おお)きくなった。/或る日 海に出て/彼は もう 帰らない。〉

〈もしかするとあのどっしりした足取りで/海へ大股に歩み込んだのだ。/とり残された者どもは/泣いて 小さな墓をたてた。〉。これが全文の短い詩だ。何かの伝説をうたったのか、それとも水難の若人への鎮魂だろうか。海の豊饒(ほうじょう)と非情への想像を、胸のうちにかき立てる。

終わりの2行が、海の大きさと人間の小ささを際だたせる。今回の津波の被災地で、墓石に「三月十一日」の日付を繰り返し彫る石材店主の胸中を記事が伝えていた。2万という命を、海は連れ去って返さない。

人々の思いは千々に乱れる。「海を恨んでいる人は一人もいない。これからも海と共に生きていきたい」と言う人がいる。片や「返せって海に言わないと気が済まない」と泣く人いる。

「海を恨む気持ちはあるが恩恵も受けてきた。バカヤローと叫んだら、これで終わりにする」「どうなるかわからないけどさ、海さえあれば、何とかできる。海を相手に食ってきたんだもの。漁師は、大丈夫なんだよ」。万の人の心に、万の海がある。

あの日、突然猛(たけ)った水平線。狂った水の雄叫(おたけ)び。「母なる海」という賛歌は失(う)せ、まだ涙で海と和解できない方も多くおられよう。潮風に顔を上げる日を、願わずにはいられない。