2011年7月2日土曜日

サッカー少年の無念さを想う

愛媛県内の公立小学校で、当時小学5年生だったサッカー少年が、校庭に置いてあるゴールに向かって、フリーキックの練習をしていた。蹴ったボールはゴールの上を越して、門扉を越えて、道路に転がり出た。

生憎、そこに通りがかったバイクの男性がそのボールを避けようとして、転び、足を骨折した。この男性はその後、認知症の症状が出るようになって、翌年には、食べ物が誤って気管に入ることなどで起きる誤嚥(ごえん)性肺炎になって、亡くなった。

ボールを蹴った少年に過失があるかが問われた訴訟の判決が大阪地裁で言い渡された。

「ボールが道路に出て事故が起こる危険性を予想できた」として過失を認定した。少年側は「ボールをゴールに向けて普通に蹴っただけで、違法性はない」と主張したが、判決では「蹴り方によっては道路に出ることを予測できたと指摘。「少年は未成年で法的な責任への認識はなく、両親に賠償責任がある」と断じた。男性には元々脳の持病があったことや、入院したことによって生活が一変したことが、次の病気に影響を与えたと認められたようだ。少年の両親に対して、請求額5千万円に対して、男性の遺族等5人に計1500万円を支払うように命じた。

このことが掲載された20110629の新聞記事を読んで、被害者の男性を気の毒に思った。さぞかし辛い日々を過ごされたことだろうと察する。

が、方やサッカー少年のことも、私には痛く胸に堪(こた)える。私だって、私の息子でさえこんな事故は十分に起こり得たことだと思ったからだ。学校の敷地と道路との間には、柵、それも子どもの蹴ったボール程度ならば越えないような柵や網が、何故、備わっていなかったのだろうか。蹴ると道路に出る可能性があると予測できるならば、ボールが越えないように柵を設けることが、小学校の敷地として必要条件ではなかったのか。学校側にもその責任はあったのではないのか。

サッカー少年だけに責任を求めるだけで、いいのか?

私の40余年前の学生時代(W大ア式蹴球部)のことを、即、思い出した。少年のことが他人事のように思えないのだ。私が20歳から24歳まで、名門といわれる大学のサッカー部に所属させてもらったものの、その技術、体力に、同僚たちとは大いにレベル差があって、その差を詰める努力を懸命にした。みんなと同じ練習だけでは、いつまで経っても置いてきぼり。負けん気の強い私は、大学の4年間のうち3分の1は、一日9時間はグラウンドにいた。甲斐あって、4年の時には試合の半分は出場させてもらった。大学選手権優勝、関東大学選手権の2冠に多少なりとも貢献できた。

みんなが練習を終わって風呂に行くのを尻目に、グラウンドに残ってボールを蹴ったり、ドリブルをしたり、吊るしたボールにヘッデイングを、何度も、何度も繰り返した。そんな時、よく付き合ってくれたのが、金ちゃんだった。金ちゃんは1年生にしてレギュラー、超エリート、私はゴミ扱いだった。

サッカーのグラウンドとグラウンドホッケーや馬場とは道路を挟んでいた。両方のグラウンドの道路との境には5メートルほどの金網があって、背丈10メートル以上もある樹木も植えられていて、その枝葉で隙間がない。

私と金ちゃんは、練習に飽きると、10メートルもあろうかと思われる樹木の上を越すようにボールを蹴っては、その挟まれた道路を歩く女性に向かって、ちょっとちょっと、お嬢さん、ボールを取ってくださいなあ、と声を掛けるのだ。転がったボールを見て、大体の女性は、ニッコリ笑ってくれるだけで、ボールを追いかけるような人はいない。ニッコリ笑ってくれた女性と、何かを話す取っ掛かりを作ろうとするのですが、なかなかできなくて、ただ、ニッコリ微笑返しを受けるだけの、ただそれだけの遊戯だった。二人だけの秘密の楽しみごとだった。

こんな馬鹿なことで遊んでいたのだ。

この馬鹿な大学生の遊戯で、私が蹴ったボールを、サッカー少年の時と同じように、道路を通りかかった人が避けようとして、転倒、それが原因で怪我でもされたならば、この時こそは、我々二人は、傷害をしでかしたことになる。これこそ、正真正銘の犯罪だ。危険防止のために作られた金網や樹木を、それを認識した上で、ボールを蹴り上げたのだから。

私にとって、幸いにして災難は生まれなかった、が少年にとっては、さぞかし無念だったことだろう。