2013年9月14日土曜日

2020年東京五輪、決定

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20130910朝日・朝刊

2020年夏季五輪の東京開催が決まったのを祝い、ライトアップされた東京都庁=9日、午後、本社ヘリから、東京都新宿区、河合博司撮影

 

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20130910  朝日・朝刊

ライトアップされた東京タワー(手前)とレインボーブリッジ)(右奥)。奥に湾岸地域が広がる=9日午後、本社ヘリから、河内博司撮影

 

2013 9月9日。

いつものように早朝4時に起きて何気にテレビ(NHK)をつけると、2020年のオリンピック開催国を決める国際オリンピック委員会(IOC)の審査の模様を中継していた。総会はアルゼンチンの首都ブェノスアイレスで開かれていた。最終的には5時半頃に、ロゲ会長が「TOKYO 2020」のボードを掲げ、「と、きょ、お」と告げ、東京開催が決定した。東京は、これで2度目の開催になる。この時、テレビの瞬間視聴率が12%を超えていた。他の民放でも同じような中継をしていた。

前回の招致活動は、当時東京都知事だった石原慎太郎氏が中心になって行われた。今回ほどの一体感がなく、私だけではなく多くの人が白けていた。スポーツに相応(ふさわ)しくない男がいくら旗を振ったって、肝腎なところは全て広告代理店任せ、高慢ちきで、身内の人間にまで活動費用をばら撒くなど、副業的だった。公費の無駄遣いが目立った。そんな招致活動に賛同者は増えるまいと思っていたら、案の定国民・都民の支持が得られないまま、しぼんでしまった。

招致委員会の国際広報担当の高谷正哲(たかやまさのり)氏の発言が印象的だった。「前回はコンサルタントの言う通りにやっただけ。今回は自分の思いを伝えられた」。

そしてようやく、この日、東京開催が決定したのだ。第32回の東京開催は2020年だから、今から7年後のこと、開会は7月なので私は71歳だ。1回目は1964年、私が16歳高校1年生の時だった。

以下、20130910の朝日新聞・朝刊の1面と2面、社説を、そのまま転載させてもらった。マイポケットに記録として残しておきたいのだ。

 

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20130910 朝日・朝刊

6日、ブエノスアイレスのIOC総会開会式に出席し、スペインのレテイシア皇太子妃(左)とあいさつする高円宮紀久子さま=AP

 

1面

結実 チームジャパン

2020年東京五輪

人脈・笑顔 入念な戦略

2020年夏季五輪開催都市を射止めた東京。舞台裏には、政権を筆頭に総力戦で臨んだ「チームジャパン」の戦略があった。

投票2日前の5日。国際スポーツ界に顔が広い高円宮紀久子さまは、朝からホテルの一室にこもり、国際オリンピック委員会(IOC)委員と面会した。15分から30分おきに、入れ代わり立ち代りで約40人。午後11時になるとロビーに下り、歓談を続けた。

安倍晋三首相は、昨年末の就任直後から東京五輪招致を目指してきた。皇族の積極関与を渋る宮内庁を押し切ったのも政権側だった。前回招致では1回目の投票で22票、2回目は20票で落選。票読み以下に終わった反省から「1回目の投票で30~40票を固める戦略だった」という。

政権幹部は総会直前、「東京が30票台後半で、マドリードは20票台後半。浮動票は20票くらいだ」との感触を得ていた。政権は人脈豊富な紀久子さまを、スペイン皇太子らが「王室外交」を展開するマドリードに対し、浮動票獲得の切り札と位置づけていた。

7日、ブエノスアイレス。IOC総会の招致演説で「チームジャパン」の口火を切った紀久子さまは、東日本大震災への支援の謝意を伝えた。被災地の宮城県気仙沼市出身のパラリンピアン、佐藤真海(まみ)選手、フエンシングの太田雄貴選手やタレントの滝川クリステルさんが続いた。プレゼンターはみな、少し大げさなジェスチャーと笑顔で演説をした。「日本人がこれほどまで感情を出すとは」とIOC委員には驚きをもって受け入れれた。投票の結果は、日本の圧勝だった。

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開催期間 東京五輪 20年7月24日~8月9日

       東京五輪パラリンピック 20年8月25日~9月6日

 

2面

細心の集票 五輪つかむ

官邸・競技団体、教訓生かす

首相、首脳外交・外遊先で攻勢

「私たちのような皇族がこのように話をすることは初めてかもしれません」。2020年夏季五輪開催都市を決める7日の国際オリンピック委員会(IOC)総会での招致演説の冒頭、国際スポーツ界に親交が深い高円宮紀久子さまが語りかけた。「チームジャパン」のプレゼンテーションはIOC委員の心をつかんだ。

オズワルド委員(スイス)は言った。「特にプリンセスが素晴らしかった。首相のフクシマについての演説は説得力があった。不安? 7年後だから、心配してないよ」

ぎりぎりで間に合わせた。最高の出来だった。水野正人専務理事は、IOCの公用語の仏語を使うことにこだわった。プレデンテーションの45分間を超過しそうになったが、最後を締めた竹田恒和理事長が少し早口に、しかし確実にメッセージを届けた。

五輪招致に意欲を燃やす安倍首相が舞台に選んだのは首脳外交だった。

政権の発足後、間もない今年1月、初の海外訪問の直前、首相は東南アジアの国々を指さしながら外務省幹部にこう尋ねた。「この中でIOC委員がいる国はどれだ」。幹部が答えに窮すると、「せっかく会うのに何をやっているんだ」と叱った。

首相は6月に横浜で開いた第5回アフリカ開発会議(TICAD5)では、参加国すべての首脳に東京招致のピンバッジを贈った。8月の中東アフリカ訪問前には「最後の追い込みをかける。燃えるよ」と周囲に語った。

IOC内で影響力があるアジアオリンピック評議会(OCA)のアハマド会長(クウエート)がマドリード支持に流れたかもしれないとの情報を受け、支持を再確認した。9月のロシア訪問では、2020年万博開催に協力を表明ししてIOC委員3人の支持を取り付けた。

安倍首相は総会会場に入ってからも、振る舞いに気をつかった。警護官を身辺から距離をとらせ、委員と親しくあいさつできるようにした。「シカゴの16年招致で、オバマ大統領の警護官がIOC委員を排除しようとして反感を買った」(首相周辺)ことを教訓にした。

競技団体も集票を割りあてられた。当初から期待したサッカー関係者の票は投票3日前にマドリードの働きかけになびき、一時は関係者の携帯電話がつながらなくなったが、投票当日に奪い返した感触を得た。

不祥事続きで全日本柔道連盟の会長を退いた上村春樹氏は、招致委員の再三の要請を受けて、急きょ世界選手権が行われていたリオデジャネイロに飛び、親交が深い国際柔道連盟のビゼール会長に支援を頼んだ。

東京は開催理念に乏しく、3都市で唯一開催経験があるなど、IOC委員の心を動かすには弱みもあった。しかし、汚染水事故に関心が集中した結果、ほかの論点は覆い隠された。

汚染水問題についてもIOC内には「スポーツと関係ない話」と距離を置く委員もいて、安倍首相の招致演説で落着ムードが広がった。

(ブエノスアイレス=阿久津篤史 田伏潤)

 

IOC、無難な選択

ソチとリオの混乱に嫌気

汚染水とは別の深刻な問題をIOCは抱えていた。

東京が2020年の開催都市に選ばれた直後、デフランツ委員(米国)は、「ここ最近の招致に勝った都市が示した計画は『偉大な作り話だった』と皮肉る委員もいた。東京は全ての計画を着実に実現して欲しい」と話した。

ロシアで初となる冬季五輪開幕が来年2月に迫るソチ。開幕1年前式典があった2月、現地視察したプーチン大統領は準備の遅れと建設費の想定外の膨らみに怒って担当大臣を更迭した。2016年に南米初の夏季五輪を控えるブラジルのリオデジャネイロ。主要紙エスタード・デ・サンパウロは8月31日、「深刻で危機的状況」と報じた。スタジアムや地下鉄建設などのインフラ整備「は「すべて遅れている」と指摘している。

レスリングの元五輪選手で東京招致を引っ張った馳浩衆院議員は、ブエスアイレス入りする直前に立ち寄ったリオで、五輪組織委の幹部から「お金の問題じゃない。国民が五輪施設の建設をしてくれない」との嘆きを聞いたという。

サッカー・コンフエデレーションズ杯が開催されたブラジルでは6月、来年開催するワールドカップへの巨額出費などを批判するデモ隊と、治安部隊が激しく衝突した。東京と今回争ったイスタンブールでも、春先から反政権デモの嵐が吹き荒れた。

IOC委員が泊まるホテルのロビーで祝杯をあげながら馳衆院議員は「日本にはお金も平和もある。IOCは無難に開催できる消極的な選択をした。競技以外で煩わされたくないという空気があった」と言った。

10日のIOC会長選で本命視され、20年五輪を会長として迎える公算の大きいドイツ出身のバッハ副会長。会長と開催都市を同時に決める場合、IOCは両方同じ大陸から選ぶことには抵抗があることから、東京支持と見られてきた。そのバッハ氏は言う。「東京は伝統的な安定性を主張した。IOC委員たちは今回はチャレンジを恐れたということだ」

(ブエノスアイレス=平井隆介、岩田誠司)

 

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社説

 

東京五輪

成熟時代の夢を紡ごう 

 

7年後の夏、東京に再び聖火がともる。

第2次大戦以降で、夏季五輪を2度開く都市は、ロンドンと東京しかない。

前回の1964年大会は戦後の復興を象徴した。人も仕事も増え続け、新幹線や高速道路が開通した。先進国入りをめざして突っ走る時代を告げた。

今の日本は、様相が違う。少子高齢化に財政難の時代である。高度成長期と同じ夢を追いかけることはできない。

都市も社会も成熟期を迎えた今、インフラではなく、人に資産を残す五輪を提唱したい。

豪華な施設はもう要らない。長い目で活用できる最小限で十分だ。投資を注ぐ対象は、若者たちの心にこそある。

昨夏のロンドン五輪は204カ国・地域が集まった。日本にいながらにして世界がやってくる。人も文化も混じり合う世界の息吹を体験し、記憶に刻み、思考を広げる機会となろう。

参加者は選手だけではない。語学を磨いてボランティアになってもいい。観客としてでもいい。話題の選手を育んだ異文化に思いをはせる場を、家庭で、学校で、地域で、広げたい。

五輪は「平和の祭典」でもある。外交関係が揺れる中国や韓国ともわだかまりなく交流できる雰囲気作りは欠かせない。一緒に夢を紡ぐ若者らの輪に国境の壁があってはならない。

直前の2018年には韓国・平昌で冬季五輪がある。世界の目が韓国と日本に続けて注がれる好機を逃がさず、官民挙げて未来志向の友好をめざしたい。

国内に目を向けば、東京の一極集中ではいけない。国際オリンピック委員会(IOC)では、大震災からの復興という理念に共感し、票を投じた委員も多かった。東北地方の再興はもちろん、日本全土で五輪の恩恵を分け合う工夫が必要だ。

前回の東京五輪のころ、都内の15歳未満の年少人口は65歳以上の5倍もいた。今は老年人口の約半分しかいない。

多くの国もいずれ同じ道をたどる。高齢化時代のスポーツの意義を先取りする社会像をめざすのも、これからの五輪ホストの使命と考えるべきだろう。

お年寄りや障害者も幅広く息長くスポーツと親しめる環境作りが求められる。パラリンピックにふさわしい街のバリアフリー化も急務だ。そして、人種も国籍も関係なく気楽に街で助けあえる心の余裕を育てたい。

21世紀の新しい五輪の姿を示す成熟国家の力量やいかに。世界へ発信する真のプレゼンテーションはこれからも始まる。

 

原発への重い国際公約

福島第一原発事故の収束は、そもそも五輪とは関係なく取り組むべき問題だ。

ただ、東京開催の決定にいたる過程で、世界が日本の姿勢に厳しい目を注いでいることがあらためて示された。

安倍首相は招致演説で、汚染水問題に「責任をもつ」と表明した。記者会見では、原発比率を下げていき、今後3年間で再生可能エネルギーの普及と省エネを最大限加速させることも明言した。

世界に向けた公約だ。内外に「五輪誘致のための方便」ととられないよう、実行力が問われる。政権の最優先課題として取り組んでほしい。

「状況はコントロールされている」 「汚染水の影響は原発の港湾内で完全にブロックされている」--国際オリンピック委員会(IOC)総会での安倍首相のプレデンテーションと質疑応答は、歯切れがよかった。

必ずしも原発事故の問題に精通しているわけではないIOC委員には好評で、得票にもつながった。

だが、この間の混迷ぶりや放射能被害の厳しさを目の当たりにしてきた人には、空々しく聞こえたのではないか。

確かに、汚染水問題で国が前面に出る体制は整えたが、うまく汚染の広がりを食い止められるかはこれからだ。

すでに技術的な課題が多く指摘されている。汚染水が地下水に到達したとみられるデータも検出された。今後も想定外の障害が出てくる可能性がある。汚染水をうまく解決できたとしても、さらに困難な廃炉作業が待ち受ける。

「安全・安心」を強調するあまり、事態の深刻化を隠そうとしたり、批判を恐れて必要な措置に手をこまぬいたりするようなことは論外だ。

現状と自らの取り組みを率直に公開し、世界の知恵を借りながら対策を講じていく謙虚な姿勢こそが、国際的な信認につながることを忘れてはならない。

エネルギー政策についても、政権の発足以降、「原発回帰」をにじませる発言が出る一方、長期的なビジョンは何も打ち出していない。

事故からすでに2年半が経とうとしている。どのような原発比率を下げていくか。再エネ、省エネの普及をどんな手立てで実現するのか。将来像を語り、具体的な道筋を示すことが首相のつとめだ。

日本での五輪開催の決定は、そうした取り組みを促す契機になってはじめて、心から喜ぶことができる。