その日、私の生家では父と祖母が落ち着きなくそわそわしていた。65年前の今日、とりわけ祖母は、母が女の子を生むのを期待していた。ところが、期待を見事に欺(あざむ)くかのように、私の産声は、男で何か文句あるのか、と言わんばかりに大きかった。昭和23年9月24日の昼前のことだ。
長男、次男に次いで、三番目には女の子を強く望んだ祖母は、あからさまに落胆したそうだ。母は困ったが、母には罪はない。それでも、大学に入るまでの田舎暮らしでは、祖母は私を滅茶苦茶可愛がってくれた。生誕の地は、京都と滋賀の国境(くにざかい)、京都府綴喜郡宇治田原町南亥子(いね)78番地。父・勝治、母・ハナの三番目の子ども、三男坊だ。
気がついてみたら65歳! というのが正直な気持ちだ。何で、どうして、いつの間に?と考えても、光陰矢のごとし、毎年誕生日ごとに、年齢を確認していたのに、ここまできてしまった。朝一番、目に入れても痛くないほど可愛い孫・晴からは、お祝いのメールをくれた。
冷感症の行政省庁、厚労省は、65歳からは前期高齢者、75歳以上は後期高齢者、85歳以上を末期高齢者と呼ぶ。いかにも、死期が近付いてきたことの露骨な告知、そろそろお迎えがきますネ、そんな響きをもつ。この末期という用語は、世界保健機構(WHO)でも公式に使っているというが、英文ではどのように表現されているのだろうか。末期高齢者という言語が日常に使われていることに、ぎょっとしたのは私だけではないだろう。
総務省の発表では、今月16日の敬老の日の人口推計で、65歳以上の高齢者が3186万人、総人口に占める割合が25%に達した。4人に1人が高齢者だそうだ。医療保険では、前期高齢者医療制度に65歳以上75歳未満の人が適用される。当然、私も今日から対象者だ。
少し前までは、このブログでも何かにつけて、私のことを初老ですと紹介してきた。或る小文を読んでいて「初老」が気になって調べた。講談社の日本語大辞典で、初老のことを「もと、40歳の別称」「老年期に入る年ごろ」と教えられ、それまでの無知さに赤面したものだ。この40歳というのは、人生50年とか言われていた時代の名残りで、今はそうでもないが、それにしても65歳は立派な老人であることは間違いない。
お陰様で、全身丸々、隈なく異常なし、至って健康体。それでだ、これから、当面の5年をどのように過ごせばいいのか、と考える。5年は今までと変わらず活動できるとして、だが。会社勤めと、個人的な生活を如何に過ごすかってことだ。
会社においては、取締役会長の肩書をもらっているが、為すことは、経営者の一人として社長を支えること。細かくは、私が犯したミスを二度と社長が犯さないための番人役、スタッフが働きやすいように環境を整備する、中長期の経営計画策定、社内における円滑なコミュニケーションを確保することだ。
そして、仕事以外の生活においては、本を読み、拙い文章を綴り、果樹を育て、野菜を作ることにおいては、ますます進化したい。友人らとの交流を深めたい、4人の子どもの頑張りぶりと孫の成長を見届けるのも楽しい作業だ。
加えて、大学時代に、強い社会人になるための心棒になる部分を育ててくれたクラブに何らかのお返しをしたいことだ。特別にお世話になったア式蹴球部。恩返しなんて、気恥ずかしいが、何かで喜ばれることをしたいと考えている。来月4日、同窓で同期の高と淀と酒を飲んでの打ち合わせで妙案が浮かべばと楽しみにしている。淀は、かってJリーグのチームの社長さん、高は東証上場の某情報通信ソフト会社の幹部だった。