2013年9月1日日曜日

’13夏休みの久十浜海岸

九十浜海水浴場

上から見下ろした九十浜海水浴場

林間遊歩道の入り口

駐車場から海水浴場に向かう林間遊歩道。行きは下りで楽ちんだったが、戻ってくるときはキツかった。

 

先日20130818、19、我が家の夏休み最後の大企画、九十浜(くじゅうっぱま)海水浴場に1泊2日で、行って来た。伊豆下田の須崎の御用邸の裏側にあたる所、こじんまりとした海水浴場だ。駐車場と監視、売店は、地元の須崎地区が運営しているようだった。入江になっていて波がない。周辺の岩場には、幾種類もの魚が泳いでいるのが見えた。南洋でよく見かける濃い青色の魚が多くいた。公衆用のトイレの排水が、一部地表に溢れて悪臭をはなっていた以外は申し分のない海水浴場だ。

宿泊は外浦海岸の近くのクリフサイドホテル。建物は少し古いが、オーナーが実に気さくな方で、私はこのホテルが気に入ってしまった。海を眼下に見下ろせる立地は申し分ない。次女の勤めている会社の健康保険組合とこのホテルは契約していて割安に利用できた。

ホテルクリフサイド 2013 011     

2013 0012013 006

クリフサイドホテル       

 

孫の晴は一度海に入るとどんなことがあってもでてこない。私も一度はちょこっと泳いでみたが、それだけではつまらない。砂浜で横になって、いつまでも、ぼんやり眺めているのには耐えられない。

こんな無聊(ぶりょう)を慰めるには、自らの行動で自らの楽しみを見つけるしかない。

20年ほど前、子どもが小さかった頃、毎年、葉山の森戸海岸に行っては、遊泳区域から少し離れた名島まで、子どもを浮き輪に入れて泳ぎながら引っ張っていった。島までは、1キロか1、5キロ離れていた。名犬・ゴンもゴムボートに乗せて連れて行った。渡し船もあるが、誇り高い私には金を払ってまでも乗れるわけがない。潮の流れが強く、行きは順調に進めたが、帰りは大きく流され、来たときよりも倍近く泳いだ。

そんな懐かしい日々を思い出しながら、一人砂浜で寝そべっていた。が、やはり、ここでも、浜から少し離れたところに島があって、むずむずと、ジッとしていられなくなって、島に向かって泳ぎたくなった。

足が立たなくなった所から、300メートルほど泳ぎ出たところで、いつものようにスムーズに進まないことに気づいた。水を掻く腕の力が弱ったのか、水を煽(あお)る足の力が弱ったのか、何かが可怪(おか)しい。体型が流体としてふさわしくなくなってきたのか。焦れば焦るだけ、頭は混乱する。クロールで進みたかったが、方向が確認できないので、顔を上げて前を見定めて泳ぐ古式泳法(小堀流)を使った。腕は抜き手で足はあおり足? あおり足は、平泳ぎのときの足の要領だ。この泳ぎ方はスピードが出ない。それでも、30分後にはやっとのおもいで島に着いた。たどり着くことができても、帰りは、流されないように近くの岩場沿いに泳ごうと決めていた。弱気になった。まだ、この時点では、私が老化による体力の減少って奴に気づいていなかった。

監視人は、泳いでいる私に向って、遊泳区域から出ていっては駄目ですよ、と拡声器で警告していたようだが、私にはその声は届かなかった。監視台の前のパラソルに陣取っていた私の家族は、ジジイのことらしいと気づいたけれど、知らんぷりを装った。

島からは陸地の様子が判然とは見えないが、監視員の望遠鏡には私の履いていた黄色いブーツがよく見えていたようで、やっと島に着いたわ、今岩によじ登っているぞとか、仲間と話していたようだ。

それにしても、疲れた。島の屹立する岩にしがみついて、この疲れが、老いというものなのか、と、はたと考えた。老いたか!! 私は本当?に確実?に老人になったようだ。普段、ひと様には、初老の域に達しました、なんて言っているが、もう既に本格的な老人になり下がっているのだ。

初老とは老年に入りかけた年頃で、辞書では「40歳の異称」とある。私はこの9月で65歳、老人福祉法では65歳からは老人と呼ぶようだ。

島の狭い平らな岩に腰かけて、上部を見上げると、今にも負いかぶさってきそうな岩に身震いした。岩が崩れてきて、こんな所で一人死(ひとりじ)にしたくない。慌てて、島を後にした。帰りは岩場沿いに泳いで帰ったが、これが楽しかった。潮に流されるのが怖かったのだ。小さい魚やたまには大きな魚が、目の前を泳いでいた。浅瀬で伊勢海老を捕まえようとして手の平を挟まれた。結婚式の料理にでてくるあの海老の4分の1ぐらいの大きさだった。

監視員は、私の戻りを確認していたようだ。浜に戻って砂の上に横たわったが、全身、疲れでクタクタ。監視員から、何らお咎(とが)めを受けなかった。監視員の寛容さに感謝。

ホテルのオーナー推薦の近所の魚料理屋で食事、刺身が美味しかった。お酒も旨かった。腹いっぱい食った。次女と晴は魚大盛りの丼(どんぶり)、竹ちゃんと家人は魚大盛りのラーメン。私は刺身でお腹がいっぱいになりました。

そして翌日、一日じゅう過ごした浜は、昨日に増していい海水浴場だった。

実は宿泊したホテルのオーナーに、翌日過ごすための相談をしたところ、この浜を教えてくれた。名もなき浜だ。ホテルの向かいの道路を横切って、細い急坂を海に向って下りてください、そこには、狭いけれど砂浜があって岩場もあります、十分楽しめますよ、と教えてくれた。

教えられた通り、そこは、秘境と言うには無理があるが、ひと目を避けるようにあった。昨日の九十浜の10分の1の縮小版。駐車場がないので、地元の人以外寄りつかない。私らの隣には、地元の漁師の娘さんが、東京でダンスをやっている恋人を連れてきていた。そんな秘境?だから、鮑(あわび)その他の密漁が絶えないのだろう、漁協の人が頻繁にパトロールしていた。

海水浴客は我ら以外、8人ばかり。次女の夫・竹ちゃんは、ホテルのオーナーから借りた釣竿で魚釣りに没頭。家人と晴は海に入ってぷ~か、ぷ~かのマンボー状態。私は波打ち際で昼寝、打ち上げられた土佐衛門だ。昨日の疲れが取れない。

老いは止まらないことを確認した、夏休みの一日だった。