先日母校から、当学の発展のために格別のご尽力を賜り、心から感謝し、貴台の当学に対する多大なご貢献に対し、「何とか?員」の名称を贈呈させていただく、このような内容の文書をいただいた。私が昨年に雀の涙ほどの寄付をさせていただいたことに対する返礼のようだ。
いただいた文書には、他にも、この「何とか?員」の名称の贈呈式を執り行うので、その日程が確定次第お知らせするのでぜひともご来臨賜りたいとのことだった。
ネットで調べて知ったことだが、寄付した額が、雀の涙ほどの金額から目がくらむほどの大金までを、金額ごとにそれぞれ「何とか?員」とか「何とか?何とか?員」とか、名称が用意されているらしいのだ。
母校ではよく検討されたことだろうが、文書を受け取った私は、これって、ナンダ! ちょっと違うぞ、と直感した。
私は45年前から4年間お世話になった大学のサッカー部に対して、親からの仕送りが途絶え活動中の部員が止むを得ず退部することや、資格がありながら貧困故に母校への入学を諦める受験生があってはならないと考えて、彼らの学資や生活費の一部に、それだけに遣ってもらうための資金として、雀の涙ほどの寄付をさせてもらったのだ。いかにも、ヤマオカらしく、ささやかに。
寄付の額によって区割りされ、「何とか?員」の名称がそれぞれについているなんて、奇態、奇怪、奇妙奇天烈(けったい)だが、それでも、こういう世界では、こんなこともあるのか?と無理無理納得しようと思っていたら、今度は、学校から封書が届いた。同封されていたものが余りにも豪華なのに、又、驚かされた。
・当学のサポーターズ倶楽部の会員証(カード)
・立派な手帳
・当学募金広報誌
・講義録/コンピューター将棋の現状(政治経済学術院教授・瀧澤武信)
・中長期計画
こんな立派な品々が同封されていた。オイ、お~い!! オイラはこんな物をもらうとか、「何とか?員」の名称を贈呈されるために「雀の涙」を行ったわけではない。こんな品々を制作するにも多額の費用が必要だろう。贈呈式だって、金のかかることだ。学校側にも体裁を保たなくてはならないこともあるだろうが、もっと、違うやり方があるのではないか、と。私の「雀の涙」が、こんな事務的なことで、又どうでもいいことで。雲散霧消してしまうのではないかと、危惧したのだ。
私のことは、ほっといてくださいな、サポート勝手連ぐらいに考えていただければ、幸甚なり。
今年も、来年も「雀の涙」を継続する心算でいるが、運用の報告こそ知りたいものだ。