大学入試センター試験の初日の夜、私は今までに何度も見た夢を又見てしまった。年に2度も3度も、同じ夢を見るということが、私以外のみんなにもあるのだろうか?
その夢というのは、大学の卒業を控えた4年生のときのこと。卒業に必要な履修単位の取得数が、私が計算していた数字と、事務局が指摘する数字とが違って、あわや留年になりかねないと、てんやわんや、学部の事務局内でスタッフに噛み付きながら確認している。1単位の余裕もなかったのだ。私の計算に間違いはない、、、慎重に確認しているんだ、、、事務局スタッフとの大騒ぎの果てに、カッとなって目が覚める。毎回、同じところで目が覚める。
その背景には、切羽詰った私なりのお粗末な事情があったのだ。
私はクラブ活動を年内に終え、2月には、まだ卒業に必要な単位を取得していないにもかかわらず、卒業見込みの扱いで、就職する予定の会社の新入社員教育を受けていたのだ。人事担当からは、卒業できないと入社はできないんだよ、と念を押されていた。
社会科学概論と社会思想史の2科目の追試を受けなければならなかった。勉強していないのだから、試験では何も書けなかった。当然だ。この追試を乗り越えないと、卒業はできない。
追試を受けなくてはならないと知らされた翌日、人事担当に事情を説明して、会社を休んで2科目の担当のそれぞれの教授宅を訪ねた。私には、結婚相手が決まっていて、焦(あせ)っていた。この会社では、このような件に、人事担当はそれほど大問題とは考えていなかった、前例があったのだろうか。いろんな大学からやってきた新入社員は、パラパラと各大学の卒業式に出かけて行った。知り合ったばかりの明治大と法政大のアイスホッケー部の元主将らから、これ見よがしに、卒業証書を見せつけられた。
社会科学概論担当の教授は、君のような学生がいるから本学はいい学校になれないんだ。係属の高等学院と他学部でも授業を持っていて、学校をこよなく愛し、この学校が母校の教授だった。サッカー部に所属しているからといって、勉学をサボるのは許せない。勉強をしないからスポーツも弱くなるんだ、とか何とか、30分ほど説教された。奥さんがお茶を持ってきてくれた。それからも、現代の学生の気風が、私らの学生時代とは随分違うんだと、牛の涎(よだれ)、これも30分ほど説諭され、教授には時間的な余裕があったのだろう。
しびれを切らした私は、教授、何とかこれから1週間でやれるだけやってみますからと言い放ち、立ち上がって帰ろうとしたとき、唐突に、君、君、今度の追試にはこの5つの問題を出す心算なので、そのうち3問以上は完璧に答案用紙に書き込みなさい、と問題を教えてくれた。結果、5問とも満点をとったのは言うまでもない。これで、この科目はオッケーだった。
もう一つの科目社会思想史は、担当教授の専門がフランスの思想史だったようで、この科目は難関だった。この科目を履修科目に選んだのは、サッカー部の先輩の助言があったからだ。あの教授の試験は今までずうっと毎年同じ問題なので、受講しなくても、模範解答が歴代サッカー部に残されているので大丈夫、とのことだったのだ。浅墓にも、その話に乗った。
ところが、どっこい、今回の試験問題は、過去に一度も出たことのない問題ばかりで、授業に出席したこともなく、教科書を一度も開けたことのない私には、完全にお手上げ状態だった。
同じように担当の教授宅を訪ねたが、教授は留守がちで、会えたのは3度目にお邪魔した時だった。勉強しなかったことを詫(わ)び、現在は既に就職先で新入社員教育を受けていること、できるだけ早く結婚したいと思っていることを話した。学究肌の教授は、そんな言い訳を聞いていたのか、聞いていなかったのか、柔和な表情のまま肯(うなず)いていた。
教授は、兎に角、まだ1週間あるので、できるだけ勉強してください、だった。取り付く島もない教授に解りましたと辞した。それから、私は思いを巡らした。今まで、何年もこだわって出題した問題なのだから、その過去問題にこそ、私が今度受ける追試のためのヒントがあるように思えた。今までとは全然問題は違えども、何かが、教授が学生に習得して欲しいと思うことがある筈だと推察した。
過去問題をじっくりじっくり確かめた。そして、先輩たちが用意してくれた模範解答よりももっと深く調べて、自分なりの答案を原稿用紙に書き綴った。それだけの勉強では、大した対策にはならないことは解っていたが、今、できることはそれしかなかった。そして、追試の本番で、そこに出題された問題を見て仰天、アニハカランヤ、期末に出題された問題と同じものだった。ラッキー、充分合格をもらえるだけは書けた。そして、余った時間で、出題された問題とは別に、教授が過去の問題等でこだわってきた課題について、この1週間で学習したことを、できるだけ沢山、答案用紙に書けるだけ書いた。
合格点をもらえたことを確認した後、休日を利用して教授宅を、お酒をもって訪ねた。教授はニタッと微笑みながら、よく勉強したね、と褒めてくれた。立派な社会人になるようにと激励された。
こんな波乱含みの、単位取得騒動だったのだ。