2014年2月23日日曜日

大雪小景、喜怒哀楽、、、

今月の15、16日、関東甲信と東北にかけて大雪に見舞われた。

フイリッピン人の私の友人は、最初は冷たいとか、寒いとか、体だけではなく頭脳までも萎縮していたが、慣れに従って元気に私のパートナーとして除雪作業に精を出してくれた。この雪が年に一度か二度の天の神様の余興かと受け流せば、この能天気、馬鹿者め、と叱られそう?

記録的な大雪に、生活にも仕事にも大変な被害を被ったが、尻込みして、嫌だ嫌だと、文句ばかり言って居ては始まらない。スタッフが自動車のタイヤにチェーンを取り付けてくれた。尻を押すように、どうぞ、頑張って物件の周りの除雪をやって来てください、激励と共に見送られた。どうせやるなら、楽しく取り組むしかないではないか。

今回の降雪で、嫌なことばかりではなかったことを、この数日で知った。行き交わせない狭い通路で、向こうから来るお年寄りや女性や子どもたちに、すれ違うずうっと前に通路を外れて相手に譲る、その時に、相手は有難うとかすみませんとか声を掛けてくれるのだが、こんなことは、雪があってこそのことだ。往路で声を掛け合うのは、山ではよくあっても、普段街中では見掛けることはない。

物件の周りの除雪作業においても、近所の人たちとはよく声を掛け合った。誰もが等しい状態に追い込まれ、その対策においても等しく応じなければならない。言わば我々には、同好の士か好(よしみ)か? 親近感がお互いの気持の中に生まれたのだろう? にこやかに会話ができた。

それでも、なかには相手のことを考えない、ちゃっかりした暴君がいた。余りにも降った雪が大量だったので、家の前面道路の雪の持って行き場所に誰もが苦心していた。駐車場も除雪しないと、車の出し入れができない。道路の向かい側や隣地が空地の場合は、その周辺に置かせてもらうことができた。ところが、ある空家の前には、大量の雪が彼方(あっち)此方(こっち)から持ち込まれ、駐車場はおろか玄関前にも高く積み上げられ、家の敷地内に入ることさえできない、そのような光景が見られた。これって、空家の持ち主が見たらどう思うだろうか、近所には失礼な奴がいるもんだ、と怒るだろう。雪を持ち込んだ人は、どのように考えたのだろう、か。

そんな嫌なことも遭ったが、流石(さすが)、お・も・て・な・しの国、日本らしい良い話も耳に入ったので、ここに、書き留めておきたいと思った。滝川クリステルさんが述べたおもてなしの心とちょっと趣は異なるが、大雪の中に、素の心遣い気遣いがあった。

心温まる小話だ。

その1は、大雪で閉された中央道の談合坂SAでのこと、ヤマザキ製パンの配送車が同じように動かなくなったトラックの運転手たちに積荷のパンを配った。他の運転手たちも手伝った。もらった運ちゃんは、これからはヤマザキのパンしか食わねえ、と感激したとか。スタバや蕎麦瓦屋からも食料を無料で提供した、とネットで知った。

その2は、東京電力福島第1原発事故で避難、仮設住宅に住むおじいちゃんやおばあちゃんが、福島市の国道で立ち往生した車の中の飲まず食わずの運転手たちに、お握りを差し出した。コシヒカリを集会所で炊き出し、海苔と梅干しを各自持ち寄った。20人ほどで、300個を握った。16日昼、糖尿病の影響で頭がぼーっとしていたら、窓をノックする音で気が付くと「おにぎり食べて」と差し出された、と感謝を述べている。

その3は、数百台が立ち往生した青森県横浜町の国道279号だ。運転手たちは、国道沿いの小学校や集会所などに避難し 一夜を過ごした。集会所には近所の人から差し入れのおにぎりや味噌汁などが届いたという。
集会所では石油ストーブをつけ、座布団を用意した。地元の消防団がカップ麺を渡すと、 「温まる」「ありがたい」と大事そうに受け取った。

上の2と3のようなことは他の場所でも行われた。又、ボランティアが出動してお年寄りの住む家屋の屋根の雪下ろしや、移動のための通路を確保する作業にも参加した。

 娘婿が3年前に新築した住宅の屋根には、沢山の雪の滑り止めを装着したのだが、それでも「お父さん、雪止め、大丈夫でしょうね」と気にかけて電話してきた。近所に迷惑を掛けてはならないと思っての質問だった。

そんなこんなで、雪がもたらす災厄を凌ぐことでさえ、心が温かくなる作業に転化してしまう、お見事です。

やさしい人たちに、乾杯!!