2011年6月9日木曜日

私も飽きない 天声人語

20110606の天声人語に、10年以上も天声人語の書き写しをされていた人の紹介があった。本人は2年前に亡くなったそうだ。後ろの方に、この日の新聞の文章を転載させていただいた。

私の中学1年生の時のクラス担任の小沢先生は国語の担当だった。それまでの小学生時代は、国語に関しては読み書きは好きだったが、教科としてはどうしても馴染めなかった。国語が、日常的には重要なのは解るが、試験をする対象科目ではないのではと思っていた。

そんな時期に、小沢先生が朝日新聞の天声人語を、毎日、原稿用紙に鉛筆で書き写している人がいることを教えてくれた。50年ほど前のことだ。天声人語の文章がそれほどまでに何故(なにゆえ)に人を魅入らせるのか、そんなことを不思議に思いながらも、中学1年生の終わりごろには、ついつい私も毎日読むようになってしまった。感染したのだ。文章の上手さに惚れ込むほど、読む力があったわけではない。天声人語のネタというか、テーマに興味を惹かれた。文章が短いのもよかったのだろう。特に社会で起こった問題を材にしたものには、とりわけ真剣に読んだ。過疎の村で三男坊として生まれた私は、将来は中央、とりわけ東京で仕事をしたかった。青雲の志を持っていた。

高校受験を意識しだした中3になっても、受験科目にしなくたっていいんじゃないの、と思っていた。自分が自分流に解釈していれば、それでいいのではないかと。

高校生になってからは、天声人語とスポーツ欄、それに社説を加えて毎日読んだ。理解はどこまでできていたのか、それは眉唾だけれど、習慣として読み続けた。

高校1年生の私はどうかしていた。変になったのだ。どの科目の授業のときも態度はよくなかった。ちょっと難関だった高校に受かって、周りの生徒と見比べて、大した能力もないくせに浮かれていた、自惚れていたのだろう。そんな状態の私の前に現れたのが後藤先生だった。

後藤先生は、山岳部の顧問。現代国語と古文、漢文の三教科を一人で私の高校生活の3年間を担当した。授業態度の悪い私を含めて数人に対して、お前らは授業など受けなくてもいい、中間、期末の試験さえ合格点ならば単位をやるから、なにも嫌いな授業などには出席しなくていい、と言い渡されたのだ。仲間の手前、ヤッタアなんて言っていたけれど、内心は不安だった。この国語系3科目の授業中は、サッカー部の部室で、漫画を読んだり、ボールにワックスを塗っていた。タバコを吸っている奴もいた。

後藤先生の有難いお言葉を真に受けて、私は3年の間に高校生が履修すべき授業を全部受けなかった。

ヤバイことになったと自戒しながらも、その代わりに、藁にも縋(すが)る気持ちで、新聞だけは集中して読んだ。教科書を開くことも、参考書を買い求めることもしなかった。

そして、受験浪人を2年間過ごしたのですが、国語系3科目に関しては、勉強の仕方が解らない、判らないけれど、なんとかしなければ、大学入試を突破して憧れの大学サッカーへの道は開かれない。それで、強化したのがさらなる新聞の熟読・精読だった。完璧を期した。知らない言葉や漢字は辞書で調べ、用語や略語などもノートに書き溜めた。漢字は全て読めるように、書けるように徹底的に練習した。当時の大学入試には、難解な文章の読解問題は出題されなかった。天声人語と社説をできるだけ深く理解できていれば、それで十分基礎力の水準点に達しているんだと、勝手に決め込んでいた。

私も、このように新聞と付き合ってきたのです。

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20110606

朝日・朝刊/天声人語

声欄に乗る投書に、思わず背筋の伸びることがある。それでは足りず頭(こうべ)まで垂れたくなる一文を、先月の大阪本社版で読んだ。2年前に他界された奥さんが、10年以上にわたって小欄を書き写してくださっていた、という内容だった。

京都の大石治さん(77)のお宅には、丁寧な字で埋まったノートが27冊も残る。毎晩、就寝前の30分を充てておられたという。筆写につれて、日記の文章が無駄なく上手になっていくのにご主人は驚いたそうだ。宝物にしたいようなありがたい話である。

パソコンにおされて手書き文化はたそがれつつある。そうした中、多くの方が小欄を筆写してくださっているのを知った。専用の書き写しノートを発売したところ、面映(おもは)ゆくも好評らしい。筆写としては日々の出来不出来がいっそう気にかかる。

自由律の俳人尾関放哉(ほうさい)の一句、〈心をまとめる鉛筆とがらす〉が胸に浮かぶ。何も小欄に限らない。文を書き写す時間には、ゆたかな静謐(せいひつ)があるように思う。キーボードでは得られない「手と心」の一体感だろうか。

写真のなかった昔、人をしのぶよすがは肉筆だった。「平家物語」にも「はかなき筆の跡こそ後の世までの形見」とある。なのに昨今は、職場でも互いの手跡を知らない同僚が増えている。

日ごろの「パソコン頼み」を反省し、この原稿は鉛筆をとがらせ、マス目の書き写しノートに書いてみた。恥ずかしながら5枚も反故にした。さて出来不出来は、採点はどうか、お手柔らかに願います。