以下の文章は、20110607の新聞から抜粋したものに、私が書き加えたものだ。
東日本大震災から3ヵ月後の11日の20110611。「脱原発」を訴えるデモが全国、約140箇所でデモやイベントが開かれた。
(朝府新聞より、無断拝借した)
日本で発生した福島原発事故で、最初に反応を示した国はドイツだった。震災の翌日12日、全ての原発の点検を表明。14日には原発運転延長政策の3ヶ月凍結。15日には古い7基の運転一時停止に踏み切った。圧倒的な国民世論を考慮したのだろう。ドイツのメルケル政権は今月6日、国内に17基ある原子力発電所を2022年までに閉鎖し、風力など再生可能エネルギーを中心とした電力への転換を目指す政策を閣議決定した。
何故、こんな重要なことがこんな簡単に結論を下せたのか、と疑問を持ちながら新聞を読み進めていくと、ドイツ国内では30年にわたる原発是非についての議論の蓄積があることに気づいた。
それにしても日本は、今までかって原発に関して、市民レベルまでを含めて、国を分けての議論をしたことががあっただろうか、私の記憶にはない。
スイスは既に、脱原発を保有する5基の更新や改修をやめて、34年までに廃炉にする方針を決めている。
ドイツでは83年、緑の党が連邦議会に進出。86年チェルノブイリ事故以降に生まれた「原子力は市民社会と共存しない」との考えを政策に掲げた。メルケル首相率いる中道・右派のキリスト教民主・社会同盟は元々、原発維持を訴えてきた。中道左派の社会民主党主体のシュレーダー前政権が決定した脱原発政策を昨秋に変更し、原発の運転を平均12年間延長する政策を決めたばかり。だが、福島原発事故で大きく政策変更を余儀なくされた。
その後、この原稿を投稿しないままにしておいたら、ヨーロッパではイタリアが動き出した。伊では、原発の是非(法律の改廃)について、今まで6回も国民投票で問うてきた。が、6回とも投票率が50%に満たず、成立しなかった。今回の7回目の国民投票では東京電力福島原発の事故の影響もあって、原発の新設や再稼動が無条件に凍結されることになった。
それにしても、独も伊も原発を止めるとは言うけれど、周辺国から原発の電力を購入するという。これでは、根本的な問題は解決されたことにはならない訳で、今、一歩の議論の前進を望みたい。日本や米、中などは、周辺国からの電力購入ができない。電源不足が逼迫している中国では、ガンガン新規計画があると聞く。
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20110608
朝日朝刊
天声人語
〈行き先を知らずして、遠くまで行けるものではない〉。ゲーテの言葉である。目的地が定まらないと足取りが重くなる。そんな意味だろう。逆に、確かな目標があれば急坂や回り道をしのぎ、転んでも起き上がり、大きな事を成せる。
文豪の故国ドイツが、原発を2022年までに全廃すると決めた。主要国初の「脱原発」は、もともと環境志向の強い世論が、福島の事故で雪崩を打った結果という。電力の23%を賄う原子力の穴は、風力や太陽光の活用で埋める算段だ。
すでに割高な電気料金に響きそうだが、産業界も競争力を案じつつ従った。先々、国民にとっての吉凶は予断を許さない。ただ、この踏ん切りとスピード感、合意作りの知恵や努力は学んでもいい。
敗戦の闇から、技術力と勤勉ではい上がった日独。先方は異国の失敗で国策を転じ、火元の当方は浜岡を止めたにとどまる。隣国の電力を買えるドイツとは事情が違うけれど、日本が「遠くまで行く」には、国民的な熟議と強いリ-ダーシップが足りない。
脱原発がエネルギー戦略の根幹にかかわる決定なら、将来図を欠いた節電は枝葉の対応だ。それでも、国が抱える宿題を我がものとし、それぞれが「行き先」を決めて頑張るところが日本人らしい。
企業や自治体には「勝手にサマータイム」の試みが広がっている。東京都は25%の節電を目指して今週から都庁職員の出退勤を早めた。こうした「枝葉」を官民で積み重ねながら、こぞって「根幹」を論じたい。