(20110606の私の机です。花が豊かです。)
毎朝の散歩で、秘密ができた。
野いちごのちょっとした群生地を見つけた。野いちごだから、当然野生モノ。秘密は秘密にしておくから秘密なんだが。その場所は、誰にも教えたくない、がこの文章を読んだだけでは、誰にも解らない筈だから、その秘密のことを話そう。
朝、一番多く歩くコースは、昭和の30年代中頃に行われた土地改良事業で整備された農業用の専用道路だ。一帯は畑ばっかり。季節の移り変わりに合わせて、種々雑多な作物が、お百姓さんの手によって育てられている。種を蒔いて、小さな芽が出て、花が咲き、実がなる。背丈の高いものや低いもの、葉っぱが大きくなるもの、根が太く長く、赤く白く黒く黄色くなっていく。花の形や色は様々だ。実がなるもの。茎が地面を這うように伸びる、天に向かって支柱を巻きつけるように伸びる。それらを熟視しながらの散歩が、堪(たま)らなく楽しいのだ。
このような土地改良事業地内でも、未だに雑木のままで放置されている地帯もある。その雑木林はサッカーグラウンドの半分ぐらいの広さだ。雑木林だからといって、完全に放置するわけにはいかない。何故なら、周囲は耕作地だから、その雑木林から虫や、病原菌等を発生させて、迷惑をかけてはいけない。このようなことは、茶業農家出身の私には、よく解るのだ。家庭の事情で営農がままならず、離作せざるを得なくなったとき、生産農家は、離昨と同時にその後の茶畑の面倒を見てくれる農家をイの一番に探すのだ。
その雑木林の下草は綺麗に刈られていた。風通しを良くすることも大事なのだろう。
この雑木林の一画に、野いちごの群生があった。群生と大げさな表現をしたが、15株ほどの小所帯、でも、私にとってはそれはそれは見事な光景だった。赤く色づいたものや、まだ白くてこれからのものが、ちょっとした野いちご園を作っていた。まだ白い花をつけているのもあった。所有者にとって、野いちごの存在なんてどうでもいい、そんな扱いのように感じられた。背丈がそんなに高くないから、下草刈りにも無視され、切られないままに残っていた。
見つけた瞬間、瞳孔満開。自然に頬が緩んだ。そして、口の中に唾が湧いてきて、ゴックリと唾を飲み込んだ。大脳皮質とは無関係に反応する、パブロフの条件反射だ。私は、普通に本能的なようだ。20110529の日曜日、片手の掌(てのひら)いっぱいの野いちごを一度に口の中に含んだ。美味かった。その前の日も後でも、少しづつ食っている。
今、私は62歳。多分初めて口にしたのは大体55年前のことだろう。半世紀前に味わった味覚の痕跡がきちんと脳のどこかに蔵(しま)われていて、その痕跡が、久しぶりの野いちごに、昔ながらの反応を示した。半世紀ぶりだ。懐かしい、子どもの頃の味そのものだった。
年のせいか、こんなことにも、これだけ多くの幸せを感じる。
野いちごの、この味、この植相が懐かしい。
秋にはアケビだ。アケビはこの辺りでは見つからないだろうから、是非時間を作って、丹沢の山にでも行ってみよう。もう一度、どうしても味わってみたい。山に入れば、必ず見つけ出す自信がある。
野いちごによく似ているのに「ヘビいちご」というのがある。
植物を分類するのに、食えるものと食えないものと二種類に大別して、食えるものは、味覚別に、甘い、辛い、酸っぱい、苦い、などと分ける、それから味に等級をつけるって、どうでしょうか。そこで、二つ並べると、違いは一目瞭然だ。(甘い)そうなのが野いちごで、(苦い)そうなのがヘビいちごで、食には堪えられない。知識に貪欲な方には試食をお勧めする。心配御無用、ヘビいちごには毒はありませんから。
食えない方は、先ずは、毒があるものとないものに区分。他は、種子植物であろうが胞子で増える植物であろうが、被子でも裸子でも、単子葉でも双子葉でも、どのように分類しても構わない。そんな分類なら、ヤマオカ、お前が勝手にやればいい、学問はそんなもんじゃ、ネェーんだ、と大家(たいか)から怒られそうだ。でも、学者さま、学問は楽しく生きるためのものでしょ。