2013年10月20日日曜日

ア式蹴球部思い出アラカルト2

   そんなこともあったか!!                                                

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1969年、大学に入学入部して2、3ヶ月経った頃、新人戦があった。関東地区の大学間でのトーナメント方式による大会で我がチームは優勝した。

この大会は、さほど重要な大会ではなく、新しく大学に入った学生たちの、学校間の交流を深めようとの試みか、新入部員にちょっとした刺激を与える程度のものだったのか、それにしても、私には大きな影響を与えた。

実力的にメンバーに選ばれるほどの技量を持ち合わせていなかった私は、最初から蚊帳の外、傍観者に過ぎなかったが、仲間が頑張って優勝したことを目の前で見せられ、茫漠として、掴みどころのないこれからの4年間の過ごし方が、少し形をなしたような気がした。そして、心に何か沸々(ふつふつ)としてくるのを感じた。

優勝はしたものの、ア式蹴球部内においては、それほど目出度いことではなく、まあよくやったなあ、程度の評価だった。当時のチームのメンバーは、日本A代表や大学選抜、高校時代にはユース代表だった選手たちがごろごろ、サッカーエリートの集団だった。メンバーの毛並みの良さでは他大学に追随を許さなかった。ワセダ、ザ、ファースト、常々にチャンピオンであらねばならない、と全員が自負していた。上級生たちにとっては、新人たちが新人戦に優勝したことで、わいわい騒いでいることなど、どうでもよかったのだ。

それでも、優勝したことには代わりはない。上級生たちからは、今夜は寮で君たちで勝手に宴会でもやってくれ、とあくまでも他人行儀だった。本堂マネージャーが、幾ばくかの予算をあてがってくれての宴会だった。

寮には会合できる畳20畳ぐらいの広さの部屋があって、そこが宴会場だ。食って、飲んで、歌って踊って、大はしゃぎした。宴会慣れている奴が面白い出し物を披露してくれた。3時間、4時間とダラダラ続いた。酒のコップを交わしての、仲間との初めての交流だった。私にとって、このような宴会は初めての経験で、彼らの強い個性に圧倒され、仲間の一人ひとりに興味を持った、このチームに入部したことを喜んだ。

ツマミは乾き物、エビセんに鯖の水煮、他は忘れた。ビールにウイスキー、ワイン、日本酒をチャンポンにしてぐいぐい飲んだ。宴会が盛り上がり、誰かが窓のガラスを箒で叩き割った。そのことが、宴会の勢いを尚一層高め、2枚、3枚、次々と10枚以上は叩き割った。誰も、止めるようなことはなく、みんなゲラゲラ笑っているばかり。痛飲に泥酔、久しぶりに天井がぐるぐる回り、それから先のことは全然憶えていない。きっと、ノックアウトされたボクサーのようにバタンと倒れたのだろう、その後寝っ転がったまま朝を迎えたようだ。

朝、目が覚めて、自分の顔を持ち上げようとしても畳から顔が離れない。反吐が糊になって顔が畳に接着されていたのだ。倒れこんで目が覚めるまで動かなかったことになる。死んだように倒れていたのだろう。顔を畳から剥がそうとしても、容易には離れない、畳に顔の表皮をめくり採られるように痛かった、それでも何とか剥がせたが、顔には畳の模様が深く刻まれていた。窓の外は、真っ青(さお)な青空、頭は二日酔いでズキンズキンと重たかったが、気分は爽やかだった。

そのうち皆が部屋から出てきて大掃除だ。4年生で新人監督で寮長の京都府出身の山城高校卒の海さんが、怖い顔をして、ガラス屋さんに行ってガラスをはめてもらうように頼んで来い、と指示した。ただそれだけだった。怒られなかったことが、不思議だった。この寮長の海さん、皆から何故か「和尚さん」と呼ばれていた。

大学のルールはどうなっているのだろう、私には解らなかった。このような部風ならば、俺のような男でも何とか4年間は過ごせる、頑張れるような気がした。同時に、いいクラブに入れてもらったことに感謝した。

今では、入部を希望しても希望者が多いために、簡単には入部が許されないそうだ。