2013年10月12日土曜日

旧交を温めた

     

20131004、金曜日の夜、大学のサッカー部を4年間一緒に過ごした同期の淀と高と私の3人で、横浜から歩いて5分の季節料理店で、一献傾けた。我らが卒業したのは昭和48年、1970年のことだ。

淀はかってはJリーグのあるチームの社長さん、出身は兵庫県の進学校。高は東証上場の情報通信の製造ソフト会社の管理部門の幹部だった。実家は横浜駅を眼下に見下ろす丘陵の一番いい所にデンと構える大きな屋敷。築年数は約150年。お父さんも同じ大学の先輩で、ベルリンオリンピックの日本代表選手だった。私はと言えば、不動産会社の経営者の端くれ、主たる業務は、中古住宅のリフォーム再販だ。

淀にしても高にしても、彼らの卒業後の活躍においては、目を見はるものがある。比べて、私の方は恥ずかしい限りだが、ここに至っては後の祭り、何とか我が街道を進むしかない。これからだって、大挑戦は無理でも、ほどほどに無理したい。勇気無き者はグラウンドから去れ、だ。

今回の飲み会の私の大きな目的は、私が思いついたものの、果たして喜ばれるものかどうか、OB会の役員をしているご両人に意見を求めることだった。サッカー部の部員のための奨学金を私の雀の涙ほどの資金を寄付することで発足したいと考えたことについてだ。肩すかし、彼らからはこの件に関してはにべもなく、よろしく頼むわで終わってしまった。

後は家族のことと現在の仕事をほんの少し確認し合ったぐらいで、ほとんどの時間を昔の思い出話に花が咲いた。私は急ピッチで焼酎のお湯割りを作っては飲み、作っては、飲んだ。いい気分だった。

この3人は多くの仲間と一緒に、45年前に、新入部員として東伏見のサッカーグラウンドで出会った。それからの4年間は自分との闘いだった、貴重な鍛錬の日々だった。高はマネージャーの道に進み、淀はキーパーだ。彼たちの目に私のことがどのように映っていたのか、私のことをどのように考えていたのだろうか、それが興味深かった。

 

秋の夜長、学生時代のつまらぬことをこの機会に書き出してみよう、、、、。思いつくままのよしなしごとだ、、、、。

それでは、、、、、、、、、、、トウザイトウザイ。

思いつくまま、「W大ア式蹴球部思い出アラカルト」として、書き加えていきます。乞うご期待!!