今年も、東京演劇アンサンブルの、ブレヒトの芝居小屋での宮沢賢治・「銀河鉄道の夜」の公演が近づいてきた。
早速、例年通り招待状を3日前にいただいた。招待を受ける日は12月23日(天皇誕生日)、15:30~だ。招待を受けた私だけが観劇に行ったところで、劇団さんには収益的には喜んでもらえない。
今年の7月25日、長女の娘・梅(小1)と次女の息子・晴(小3)と私の3人組で、松居スーザン・「はらっぱのおはなし」を、このブレヒトの芝居小屋で観た。音楽劇だった。このときに、初めて芝居を観た梅が、こんなに喜んでくれるなら、次回もこれからも、、、暫くは、オイラは一緒の3人組だ、と決めた。よって、今回は当然のように3人組で行く。
従兄妹同士の晴と梅、仲がいいのがジジイには微笑ましい。この孫たちにいつまでも寄り添っていたい、成長を見届けたいと思う。この3人組が、3年後には4人組になり、5年後には5人組、7年後には6人組になるだろう。きっと、そうなる。
そして先月、梅の誕生日に、私からの誕生プレゼントとして、このお芝居の招待状を手作りして手渡した。
劇団からの郵便封筒には、招待状とa letter from the Ensembleが入っていて、そのなかに、親しくさせてもらっている代表者の入江洋佑さんの「やるしかない」と、演出家の青井陽治(あおいようじ)さんの「銀河鉄道の夜」とブレヒトのことに触れた文章を見つけた。ブレヒトを余り理解していない私にとって貴重な文章でもある、ここに転記、マイファイルさせてもらった。
「やるしかない」
著・入江洋佑
「何をやっても間に合わない/世界ぜんたい間に合わない」 1927年8月の詩稿である。「銀河鉄道の夜」は、最愛の妹トシの死を賢治自身どう昇華しようかと志した作品だ。恐らく24年のサハリン旅行の悲しみの中で構想が閃いたに違いない。しかし、それから10年間改稿を重ね推敲を続けても納得のできる作品にならなかった。そのことは賢治にとって妹トシの死、そして広く人間の死をどう考えたらよいのか一生位置づけることが不可能だったのだろう。賢治の「銀河鉄道」の草稿の中に何回も鉛筆で「いとしくおもうものが そのままどこへいってしまったかわからないことから ほんとうのさいは(わ)いはひとびとにくる」と書いては消し書いては消したあとが10回にわたってみとめられると研究者の紹介文がある。妹トシ⇔カンパネルラの死をそのように考えたかったのだが、その甘さを許せなかったのだろう。冒頭に引用した詩句は、自分の身体の不調、(死を予感したのだろうか)、実践としての羅須地人会の困難、東北の飢饉、世界大恐慌の予感、そして自分の詩作の「銀河鉄道」の未完の焦りの中でふと漏らした悲鳴なのだ。
(何をやっても間に合わない)、これは今の僕の実感でもある。
アンサンブルは来年創立60年になる。1954年に18人で出発した。創立の文書には「明日を待ち望み、明日のために汗する人たちと共に」と翻訳調の言葉が並べられている。アメリカがビキニ環礁で世界初の水爆実験を行い200キロメートルも離れた海域で操業中の漁船第五福龍丸の乗組員が全員被爆し死者も出るという衝撃的な事件のあった年だ。第1作「みんな吾が子」(ミラー作) 第2作「森の野獣」(ヴオルフ作) いづれも激しい反戦のドラマだった。その頃は日本国中(敗戦から10年)みんな戦争に反対だった。4000万人の死者を出した第2次世界大戦、人類は再びこの愚かな行為は繰り返さないだろうと考えていた。しかしそれから60年、地球上で戦争のなかった年はない。そして、日本はもう戦争をする国になっている。集団的自衛権、憲法9条改悪も時間の問題といっても良いだろう。時には自衛のためには日本にも原爆が必要だという声も聞けてくる。アメリカも中国もロシアもいや世界中が。僕は60年間何をやってきたのか、宮沢賢治の「何をやっても間に合わない/世界ぜんたい間に合わない」この言葉が痛く強く身に沁みる。でも諦めるわけではない。「海鳴りの底から」(堀田善衞)の作中明日全滅と覚悟した中で一人の老女が話す「この世の中は本当に善くなっていくのだろうかと思う大勢の人の溜息が天に届くのさ」そして一人の農民が明日の死を知りながら、麦を踏む。そう仕事は続けなければならない。「銀河鉄道の夜」の最初のシーンで水俣の水銀に冒されて骨の曲がった魚が生まれないように僕たちにできることはなにか。ジョバンニは、真っ黒な宇宙を見つめてこう叫ぶ。「あの闇の中にほんとうの幸いがつまっているかもしれないんだ」。そう、かもしれないんだ。やってみるしかない。
「銀河鉄道の夜」
著・青井陽治
朗読やリーデイングのワークショップの時、銘々好きなテキストを選んでもらう。必ず誰かが選ぶのが、宮沢賢治・金子みすず・谷川俊太郎。だが、彼らを選ぶ人は要注意だ。いかにもな声を作り、独特のtーンで読む。しかし、詠嘆風に、嘘臭いユーモアや作り物の透明感など漂わせても、太刀打ちできる相手ではない。やさしい、だが強固な文体。言う間でもないことだが、賢治はやわではない。みすずも俊太郎も。その文体も、その世界も、雰囲気で絡め取るなど不可能だ。じゃがいものような実体をつかまなくては!
ブレヒトってのはな、ヨーロッパの演劇のおもしろさ、楽しさ、はなやかさ、うまい見せ方ーーーーすべて知り尽くしたおっさんなんだよ。その達人がちょっとここから見てごらんと、未知の視点を示す。すると陽画が陰画に反転する。泰西名画の向こうに、世の中の仕組みや美女の骨格と血の巡りが透けて見える。それが異化ってことだよ。同化、つまり、うっとりさせる力あっての異化なんだ。街角の洋食屋のオムライスだって、パセリがちょこっと乗っかってると、うまそうに見える。異化はそのパセリだよ。
ところが日本のブレヒト信者たちは、パセリだけ皿に山盛り出してきて、これがブレヒトだと言う、おいしいオムライスを作ろうとせずに。44年前の、師の言葉。賢治とブレヒトの魂は響き合うのか? ブレヒトの総本山で、賢治はどう異化の視点を持って舞台化され、かつまたその磁場に僕を捕え、陶酔させてくれるのか?僕は、賢治の見た夢を追えるのか?
ある時、舞台監督が、うれしそうに寄って来た。「ちょうど設定の年に出た漱石全集が見つかったんですよ! この家にあったらぴったりですよね!いい感じに古びててですねーーー??!!」。笑顔が退いて行った。
「そうなんだよ、ごめん。その年にはぴっかぴかの新刊だったんだよね、あの漱石全集は!」。僕たちは昔の人を昔の人だから古いとしばしば勘違いする。古いものとして、その良さに迫ろうとする。彼らより進化した人間として、彼らの素晴らしさを再発見しようとなどする。とんでもない! 鴎外や漱石は言うに及ばず、鏡花も万太郎も、そして賢治も、その時代に、どんなモダンな、新しい人であったかを忘れては、正しく捉えられない。70年、50年、100年前の作品と向き合う時、それがその当時、どれほど斬新だったか、時には革命的でさえあったか、その視点を持ち損ねたら、お終いだ。作家に大変な失礼をすることになる。
作家は、自分の本質とか真実ばかりを、作品の核に置くわけではない。憧れや願望も、時には立派な動機になる。としたら、賢治は、たとえば自作を故郷の訛りや音声化されるなど望んだだろうか、外国や宇宙にいつも思いを馳せた彼が? もちろん、故郷の訛りなくしては成り立たない作もあるけれど。
僕には、ジョバンニの銀河旅行が、臨死体験とも思えてならない。母が行ってしまう死の世界を、母より一足早く、ジョバンニは夢のなかで視察に行ったのではないか、母に「こわがらなくても大丈夫だよ」と言ってあげたくて。僕は、恋多く頃、好きになった人が死ぬ夢を見ると、「あ、本気だな、僕!」と知った。カンパネルラは、ジョバンニの夢の中で死ぬのでは駄目だったのか。
武蔵関の駅からブレヒトの芝居小屋まで、いろいろ思いが交錯した。僕は、方向音痴ではないのだが、この駅では、毎回、どっちが劇場だかわからなくなる。僕の磁場を掻き乱す何かがあるらしい。それを脱出して、間違いなくブレヒトの芝居小屋へ向かっている、と軌道を確認してからの道は、これから見る芝居に思いを馳せたり、心を空にしたり。『銀河鉄道の夜』の帰り道は、行きのさまざまな思いに、美しい、確かな答えを得て、西武線を新宿とは反対方向に乗りたくなった。そしたら、もしかしたら、まわりはいつの間にか闇となり、電車はふわりと浮いて、銀河をめざしてはくれないだろうか。そんな期待に、胸がうれしくざわめいていた。