2014年4月1日火曜日

屠畜場の聖ヨハンナ

20140328
19:00~/東京演劇アンサンブル/ブレヒトの芝居小屋

スタッフ
ベルトルト・ブレヒト 作 / 加藤衛 訳
構成 庭山由佳  小森明子
演出 小森明子
音楽 かとうかなこ(クロマチック・アコーディオン)
舞台美術 池田ともゆき
舞台監督 入江龍太
その他

キャスト
ヨハンナ・ダーク(救世軍麦わら隊少尉) 久我あゆみ
ピーヤポント・モーラー(牛肉王) 松下重人
サリヴァン・スリフト(仲買人) 大多和民樹
食肉業者たち/家畜業者たち/問屋たち/刑事たち/新聞売り子
ポーラス・スナイダー(少佐)公家義徳
麦わら隊マルベリィ(家主) 志賀澤子
組合の指導者/労働者たち/一人の女/一人の男/一人の労働者/職工長/ボーイ


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仕事の都合で、予定していた日には行けなくて、やっと28日に行ってきた。年度末の3月28日の金曜日の夕方、道路は混んでいた。

私の心のふるさとその1の東京演劇アンサンブルの創立60周年記念公演だと聞けば、観に行かないわけにはいかない。それに、今回のお芝居には、ほとんどの劇団員が出演すると聞けば、こりゃ、もう尚更、行くしかない。この劇団とのお付き合いは40余年以上になる。大学3年生の時に、牛島さんというテレビ脚本家に連れられて、公演1日前の舞台稽古を観に行ったのが最初だ。

当時の私は、サッカーの練習以外は、雑多な読書と寺山修二の天井桟敷や唐十郎の状況劇場、鈴木忠志の早稲田小劇場での芝居に心魅(ひ)かれていた最中、この劇団の稽古を観て、不遜な言辞を垂れたようで、いつも静かな牛島さんにこっぴどく叱られたことを憶えている。3年半を寝食を共にし、卒業してからの10年間も熱い交流をしたが、叱られたのはこの1回だけだ。

劇団の創立当初のことは、話を聞かされる程度だけれど、付き合いの40余年、代表の入江洋祐さんはいっつも飄々と、劇団員の入れ替わりはあったけれど、見た目には何ら変わっていない。経営的には、大変だった時期もあったようだが、それは何もこの劇団に限ったことではない。
この程度の小劇団でこれほどの劇場を自前で確保しているのは、余り例がないのですよ、と入江さんによく言われていたが、その通りだ。その入江さんから半年前にこの芝居の概要を聞かされていたが、自らも重要なキャストに入っていることは言わなかった。

屠畜場と聞けば、やはり、そこで働く労働者は部落出身者が多かったことを、子供のころから聞かされていた。私の田舎では、これらの人々のことを、5本の指の1本を折って4本の指を掲げ、ヨッツと言っていた。ヨッツ(4つ)とは、部落出身者を指す差別的蔑称だ。

遅れて到着したので、入場するまでに話しかけたのは劇団関係者では太田さんだけだった。今日は芝居に人を取られて受付が人手不足なんですよと笑っていた。芝居が進んでも、代表者の一人である志賀さんは家賃の集金を迫る強欲な家主役をこなしていたが、もう一人の代表者の入江さんがいつまでも舞台に姿を現さない。帰りに息子さんの龍太から、親父はスナイダー役を演じる予定だったが、病気で降板したと知らされた。この役、重要な役回り、入江演じるスナイダーを観たかった。


一緒に行った友人は、芝居の箇所箇所で文字を映写して芝居の内容を補充するような演出方法が気にくわぬと言っていた。若い演出家にはありがちなやり方らしいが、俳優さんの台詞の能力を全然信用していない証左だと。それにしても、アコーディオン奏者は上手かったとべた褒めしていた。私には、友人が言うことの半分も理解できなかった。

それにしても、台詞の多い芝居だった。俳優さんは大量の言葉をよく憶えられるもんだと感心させられた。できたら、もう少し少ない台詞でゆっくり話してくれると有難かったのだが、これは当方の勝手な望みですから、余り気にしないでくださいナ。頭の回転が遅い私は、日常の会話でさえ、早口で話されると理解が追い付かないのだ。


この作品は、ブレヒトが共産党に入った1930年頃のものだが、1929年にニューヨーク・ウォール街の株価大暴落を契機に世界大恐慌が始まった。この時代のシカゴの屠畜場を舞台に、家畜の売買にかかわる牛肉王、仲買人、食肉業者に家畜業者、問屋たち、そして労働者に麦わら隊の人々。そこで、聖ヨハンナは猪突猛進、「なぜなぜ、どうして?」と誰にも問いかけ、「人はなんのために生きるのか?」と問う。

演出した小森明子さんは、芝居の終幕、事業家たちは死んだヨハンナを祀り上げ神格化する。慈善や社会貢献と銘打って、宗教を金の支配のもとに置き、「貧しき者の慰め手」を用意することで、人々の不満を吸収させようとする。権力はいつでもストーリーをでっち上げ、ドラマの中に人々を迷い込ませる、とパンフレットの中で述べている。
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芝居の内容は、下のネットで見つけた「火花」を無断でお借りした。この文章を読んでもらえれば、芝居の全体は理解してもらえると思う。

ブレヒト■「屠殺場の聖ヨハンナ」
革命的共産主義を擁護……共産党は当時まだ革命的だった
1983年5月29日「火花」第591号

 
 ブレヒトは、世界第一次世界大戦中、わずかな期間陸軍病院に勤務した後、階級闘争、政治闘争に参加した。1924年ごろ(26歳)マルクス主義の研究にうちこみ、ナチスの擡頭とともに30年には共産党に入党、資本主義を暴露し、ナチズムを諷刺し、革命闘争を讃美する作品を数多く残している。

 「屠殺場の聖ヨハンナ」はブレヒトの入党のころの戯曲だ。シカゴの屠殺場街をバックに、教会の救世軍の“戦士”であるヨハナの貧民に対する“救済活動”と労働者に接しての動揺と労働者の味方に徹しきれなかったが故の破滅までの何日かを描いている。

 資本家(製肉業者間)の競争や陰謀、ストライキ、かん詰工業の実体(労働者があやまってボイラーの中に落ちてベーコンになってしまった等々)、シカゴの屠殺場街の貧困のなかで、ヨハンナは宗教的な“人間愛”にかられて労働者の援助におもむく。


彼女の出発点は、「わたしは神さまに仕える兵士なのです。……不平がたかまって暴力行為の危機が迫るところに進軍し、忘れられている神を思い起こさせ、すベての人の心に神をとりもどさせるのです」といった、資本主義の現実を知らないが故の無邪気なものである。

 しかし彼女は労働者との接触の中で、又、競争の下で相手をけおとしてますます肥え太る大資本家のモーラー、しかも自分のこの行為を“善意”や“道徳的” な仮面でごまかすモーラーとのやりとりの中で、自分の行動が客観的には大資本家とその搾取を助けているのではないかと気づきはじめ、労働者への理解と同情が生れる。


 「みなさん貧乏人たちは十分に道徳というものを持たないとよく聞かされます、それはそうかもしれません。あの下層階級のスラム街には、不道徳が巣くい革命の温床となっています。でもわたしはみなさんにおききしたいのです。その貧乏人がなにひとつ持っていないのにどうして道徳だけが持てるのですか。……みなさん、道徳を買う購買力というものがあるです」。

 かくして彼女は労働者のストライキの渦中にとびこむが彼女の思想的な(もしくは階級的な)弱さ故に重大な任務の遂行をためらってしまい、ゼネストの崩壊に手を貸す結果となり、彼女は挫折して死を迎える。

しかし死に臨んで彼女は、「善人として一生を送ってこの世を去ることなんか心配せずに/世を去っていくときまでに、世界のほうがいまとちがった/善なる世界になっているように、心がけるべきです!」と訴え、「暴力が支配しているところでは暴力だけが助けになる/人間がいるところでは、人間だけが救いです」と叫ぶが、救世軍のコーラスの声でかき消され、彼女は聖女にまつりあげられて結果としては資本家を助けて死んでいく。

 ブレヒトはこの作品で、資本主義の残酷な現実、労働者の抑圧と搾取と悲惨な状態、宗教や道徳の名による労働者欺瞞と共に、結果として資本主義を助ける改良主義や修正主義の不毛さ、そして革命的共産主義の正当性を強調しているのであり、まさにこの作品は世界の共産党がまだある意味で革命的だった時代の反映である、といえよう。