2017年9月15日金曜日

俺って、風に多感か!

風に感じる!!

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風とは空気の流れ、又は空気自体の動きということ。時には、全体的な雰囲気の方向のような意味でもある。
風って、人間の感覚にとって、不思議なモノだ。内省的な私こそ、難しいこともある。
人間が風について、内情的・内省的に感じたこと思ったことを喋ったり書いたり表現することが、非常に難しく感じることがある。
風は何処で生まれて、何処まで吹いていくのだろう。何処までも一緒に歩きたいと歌い続けている歌手がいたな。

風は変幻自在だ。
天候的には、現在では「気流」が類義語だ。
最後には、風を使った言語や文節その他も合わせて書き足した。

・風が全くない無風状態のことを「凪(なぎ)」という。凪とは本の中ではよく見かけたが、日常的に使ったことはない。ネットで、本当の意味を知った。
凪の意味は、漢字の形をよく見れば分る。
風という漢字の中身が「止まる」になっている。つまり「風が止んだ状態」を表現している。
そこから、凪からは「風や波が静まること」、「平穏でのんびりした雰囲気」が感じられる。

「凪」は日本で作られた和製漢字で、中国で成立した他の多くの漢字と比べると歴史が浅いため、熟語がほとんどない。


・ここで、何故、風のことを書きだしたのかと言うと、7月の或る夜のこと、窓から室内に吹き荒(すさ)ぶ突風に悩まされたことがあって、この風という奴の本体は何ぞやと思った。
多少の気温や湿度の高さや低さぐらいでは、我が家では、私はエアコンを使用しない。

2階で独りぼっちで寝ていた。横浜で、風と共に、熱く、強く、激しく、そして長く雨が窓に打ち続けた。
愛知から岐阜、中部地方では大雨で、その影響があった。雨戸や窓に降りつける雨風は、容赦なかった。
本でも読んで気を晴らそうとしたけれど、夢中になれず、夜が明けるまで無駄だった。
糞!と思ったけれど、仕方がなく、眠たい頭のまま会社に行った。

肌を静かにさする風は、実に快いものだけど、肌を攻撃的に突き点(つ)けてくる風ほど嫌な奴はない。

・先月のいつのことだったか、東京・銀座で味わったビル風の恐ろしさにも空いた口が塞がらないだけでなく、いつものように頭に血が上り、血の熱は沸点基準になった。
天候の激変になんか一々文句を言っているわけではない。
群馬から山形にかけて大雨が降った日のことだ、仕事で出かけた東京・銀座のビル群の中で、少しばかりの雨よりも酷い激風に困った。
私のような野放図な男野郎なら、根性だけでも何とか耐えられるが、女性にとっては大敵だ。スカートや上着が、異常な強さの風から、何とか逃げようとするのだが、私にとっても可愛そうでならなかった。

自宅の窓に打ちつけてきた雨風は、ちょっとばかりの怪我で、意識が薄らいでいる私を馬鹿にしたのだろうか。東京・銀座のビル風は、恰好に気づかう女性たちを、雨風は薄ら笑いでもしているのだろうか。
憎(に)っくき雨風の馬鹿野郎。

・ブリタニカ国際大百科事典で「ビル風」を調べてみた。
高層ビル近くで吹く強風。高層ビルに風があたると,空気が上下,左右に分かれる。
特に左右に分かれた風がビルの側面を回り込む際に,建物の側面を上方から下方に斜めに向かう速い流れをつくり,地上付近に局部的に強風を発生させる。
また,風は建物にあたると壁面に沿って流れるが,建物の隅角部までくるとそれ以上壁面に沿って流れることができず,建物からはがれて流れ去る。
はがれた風はその周囲の風よりも強くなるため,局部的に強風が発生する。
さらに,複数の高層ビル周辺では,ビルとビルの間を吹き抜ける強風の発生もある。
今日では強いビル風が発生しないよう,形状を工夫したビルも建設されている。

そんなこんなで、面白くない話はここらで終わりにして、楽しい、ちょっとくすぐったい感覚を味わう「風」だってある。


私らしくなく、ハイカラに風をなめるように生きたいと思うことがある。
これらは、内緒の話にして置いてくださいね。
なめるって? 感覚的過ぎて悪いが、「舐める」と書きたい。
なめるって? みくびるわけではなく、甘くかるく見て見なす。
これは、生半可な関係ではなく、恋人なのか妹なのか母なのか、特殊な親近感を抱いた者同士のお付き合いのサマだ。感覚に繊細でないと、アカンのよ。

俺の心は風まかせ、だ。誰も、な~んにも解ってくれない。これ、詩人感覚? いやはやちょっとぐらいは詩人になってみたい。
誰も応援してくれなくていい、それでいいのだ。ちょっと独りで生きたいと思うことがある、でも、でも、そんなこと言ったって、必ず寂しくなってくる。

・「無党派の風が吹いた」とか、「逆風が強かった」の風ならば、感覚の嫌味苦味とは関係なく味わえる。
・ファッションなどでは、「●○風(ふう)」ということもある。
これも通常の会話の中で、変則的ではない。

気になる「風」について、少し付け加える。
ちょっと気になる言葉としては、風邪、風疹だ。これは風を空気として、その役目を考えてこのような使われ方を仕出したのだろう。

・肺に出入りする空気の通り道を気道と言う。
鼻や口から声帯までを上気道。風邪は、上気道の炎症性の病気。
・風疹は「三日ばしか」とも言われる。
ウイルス性の良性発疹性の伝染病。母性が妊娠初期にかかると、先天異常児を高率で出産する危険がある。


風薫る(かぜかおる)とは。
風薫る五月”といったように、今日では決り文句化しているが、この「風薫る」は、もとは漢語の「薫風」で、訓読みして和語化したものである。
新緑をわたる風、初夏のさわやかに吹く風のさま。
風が「薫る」程度の風速から、もう少し強くなると「青嵐」になる。セイランと音読すると「晴嵐」と混同してしまうので、俳句ではアオアラシと訓読することが多い。

風、枝を鳴らさず(社会が平和なたとえ)
風に付く(風に乗る。風に任せる)
風の便り(うわさ、風聞)
風に柳(ほどよく応対して、さからわないたとえ)
風が吹けば桶屋が儲かる
風に乗って行っちゃった
風、破窓を射る(窓の破れているところから風が吹きこむ)
風と共にさりぬ(南北戦争を主題に、南部の大農場主の娘・スカーレット・オハラの愛の変遷を描いた長編小説)
風が過ぎ去る
風光る(春の陽光の中を風がさわやかにふきわたるさま)
風は吹けども山は動かず(混乱した状態の中にあっても動じない)
風のように過ぎ去る、疾風のごとく
風は何でも知っている
風を吹かす(何らかの地位や身分を鼻にかけて、いばる)
風を掴む(てがかりがなく、つかまえどころのないことを言う)
風は吹き、炎は燃える
肩で風を切る(威勢のよいたとえ)
風を入れる(風が入るようにする。外部から新しいものを入れて、内部がその影響を受けるようにする)

・フーテンの寅次郎のフーと上記の「風」(ふう)とは違うのか。
「男はつらいよ」は、渥美清主演、山田洋次原作・監督(一部作品除く)のテレビドラマおよび映画である。
テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷・葛飾柴又に戻ってきては、何かと大騒動を起こす人情喜劇シリーズ。
ところでフーテンは、漢字では「瘋癲(ふうてん)」だ。

・次に、関連して思い出した言葉が風来坊(ふうらいぼう)だ? どこからともなくやって来た人。
定まった居場所や仕事もなくぶらぶらしている人のことを言う。
風来坊の「風」は、フーテンの寅の「フー」で、瘋癲の「瘋」か?

・「風の谷のナウシカ」。
アニメーション監督で演出家の宮崎駿による日本の漫画作品。
戦争による科学文明の崩壊後、異形の生態系に覆われた終末世界を舞台に、人と自然の歩むべき道を求める少女ナウシカの姿を描く。

・風水とは。
風水(ふうすい)は、古代中国の思想で、都市、住居、建物、墓などの位置の吉凶禍福を決定するために用いられてきた、気の流れを物の位置で制御する思想。
「堪輿(かんよ)」ともいう。

・最後に判らずじまいで終わりそうなのが、「風たちぬ」だ。
堀辰雄の小説の題名でもある。胸を患う婚約者と「私」とのサナトリウムでの愛の生活を描く。
この「風」はどのように理解すればいいのだろうか。

・風神(ふうじん)とは。
自然現象の中でも、風は特別な存在といえるのではないでしょうか。
というのは、雨や雪とは違って目に見えないものだからです。
そのため「風神(ふうじん)」のように神格化されることもあります。
風をつかさどる神。風袋を担いでいる姿に描かれている。

・「解散風」
思わぬ風?だ! 解散風が新聞やテレビで騒がれている。
来月に衆議院を解散して、20日以降のある日に、投開票を行いたいと与党の自民党と公明党が主張しだした。
決定は間もなくされるのだろうが、私にはこの「風」という文字が気になった。支持率の下がった自民党が、野党の調整がまとまらないうちに、投票をやっつけてしまいたいと思っているようだ。
私には与党である自民党・公明党に有り余る支持をしていない。同時に野党にも惚れている党派はない。
優秀な人材は、いるのか?いないのか?

・風合い。
設置の施設が「風合い、評判」。 20170921朝日新聞(夕刊)より。
木製いすを導入済みだったり、予定していたりするスタジアムもある。サッカーJ1のセレッソ大阪のホーム「キンチョウスタジアム」は15年度以降、大阪府などの補助金を受けて約1万8千席のベンチやグループシートにした。担当者は「風合いやぬくもりがある。評判も良く、リピーターが期待できる」。
柱など人が触れる部分には国産ヒノキを使った。

・風の歌が聞こえますか、という文章を読んだ。
風の歌って何だろうか?