栗のことを、皆が、これほど喜ぶなんて知らなかった。
穂が生まれる田畑、これこそが私の踊り場なのだ。
踊り場なんて変な言葉を使う奴と嫌がられそうだが、これこそ私の我儘な踊り場だから、許されるだろう。悪いヤツは弓矢で刺し殺し、富を生むヤツには甘酒と美味い御馳走でも用意したい。
毎週水曜日の早朝は、マイ果樹園「イーハトーブ」に行っている。私の体には百姓の血が流れている。野良仕事、働いてこそ血肉沸起(わきお)こる立派な仕事だ。
生まれて、長年の私の慣習だ。目が覚めたら、次の作業の準備に入る。
2017年、8月の中頃のことだ。
畑行きは、特別の用事がない限り、習慣になっている。朝、ご飯を食べてコーヒーを飲むと、体は自然に畑に向かっている。畑は、どのようになっているだろうか、と考えだして、次から次と妄想は広がる広がる、伸びる伸びる。
畑まで、自宅から歩いて30分、電気自転車で10分はかからない。
保土ヶ谷区の権太坂や境木本町の線路を挟んで反対側の今井町。
大根の成長を見極めるのと虫退治。そして、ほうれん草と大豆(枝豆)、里芋の様子を見るのが目的だった。体に余裕があれば、できるだけ雑草を取る。
ところが、畑に着いて、目の前に現れたのは栗の毬栗(いがぐり)姿だった。まさか、熟して落ちてくる頃に入っているとは、想像していなかった。
こちらの方では鬼皮と呼ぶらしいが、私の郷里では毬栗と言った。鬼皮に張りがあり、光沢もある。栗が地面にゴロゴロ転がっているのを想像しなかった。
栗の樹木を上に下に横を見て、これからドンドン落ちてくるだろうと思うだけで、嬉しくなった。
胸がどき~んどき~んと鳴るのが聞こえた。嬉しいことは、先ずは手元で固めることだ。取り敢えず、20個ほど摑まえて、鬼皮を剥いた栗だけをビニール袋に入れた。
この栗のお話をしたくて、この文章を書きだした。
此の夏は、沢山の栗に追われ、その栗をあの人、この人と、貰ってもらった。貰ってくれた人からは満面の笑みと謝辞をいっぱい返された。この件について思うことがあって、字を拾っている。
思わぬことに、此の夏は栗が平年よりも2,3割収穫が少なかったそうだ。よって、デパートなどで売っている栗の売値は、2,3割以上に高く、買い渋った人が多かったようだ。
作物のことについて話そう。
大根は、7月に同じ畑で隣のオジサンが作ったことが私の頭の隅っこに残っていて、葉に襲い掛かる虫が異常に多いのには驚いた。根は大きく育ち、私は沢山いただいた。
害虫は、黄色い羽根を持った蝶々だった。大根は甘辛くて、美味しかった。
そして、俺にだってやれないことはないと思い込み、種類は違うけれど、同じことをしただけのことだ。
虫の種類は違うけれど、葉はそれなりに痛んだ。それでも、何とか決行した。うちの大根はひょっとして、鳥にやられたのかもしれない。
成長は、少しづつ少しづつで、でも、俺の腹だけは気にするどころか、ひたすら待っていた。
ほうれん草は土壌のアルカリ調整が上手く合っていないのか、成長が芳しくない。消石灰はたっぷり撒いたのだけど。成長を待つまでもなく、小さいままでどんどん採集して、御浸(おひた)しにして食った。
次は、里芋だ。この畑では初めての栽培になる。里芋の成長が著しく怏々(おうおう)している。
枝なのか葉なのか柄なのか、その色は緑り緑りしていて、その伸びがまたイイのだ。郷里で、見覚えのある光景に、気分がいい。私の感覚は田舎モノに弱いのだ。
この芋の味は今でも明確に憶えているので、収穫はいつの日になるのだろう、楽しみだ、食べるのが愉しみだ。
大豆は、皆さんお馴染みのビールの摘まみ。枝豆として可愛がられている。
今日はみんな曳き抜いて帰ろう。この枝豆には食い頃と言うものがあって、みんな持って帰ろう。我が家の北側の家と西側の人にあげよう。いつもいつもお世話になっているから、当たり前のことだ。
北側の兄さんも、西側のオジサンも大層喜んでくれた。醜いオヤジなのに、こんなものをくれるとは、夢にも思っていなかったようだ。
栗の話に戻る。
昨年は私の家族、それ以外には長女、三女の家庭用に貰ってもらった。少しだけの栗を消費するだけなら、なんてこともなかったのだろう。でも、父が持ってくる栗の量は、今年も変りない。そして、皆は嫌な顔をせず、何とか食ってくれた。
そして、今年ことだ。
私には思うことがあって、近所の吉さんと松さん、会社のスタッフにもあげようと決めた。食べ物だから、付き合いの薄い人には差し控えようと考えた。
会社の人間と言っても、妙齢の女性なら喜んでくれるだろう。そして、栗の話だけをして彼女の顔を見れば、喜んでいるのか悲しんでいるのか、直ぐにわかるだろう。
彼女は、嬉しいと言うだけではなく、ゲット後の料理のメニューまでも私に話してくれた。
こんな彼女に貰ってもらえることは、私にとっても嬉しい限りだ。
畑で立派な栗を見つけたとき、携帯電話で明日は楽しみにしてくれ、ちょっとばかり持っていくサカイに。そして、翌日楽しく会えた。
彼女は作り上げようとするメニューを言った。栗ご飯、栗の甘煮、栗きんとんの作り方を話してくれた。
それから2,3日して、仕上がった料理にイタリア語なのかフランス語なのかわからないが、珍しいメニューを話してくれた。そうか、そうなんだ!! そんなに喜んでくれたのか。
近所の吉さんのお家に届けに行った。少し前にブドウをくれたので、そのお返しですよと言った。吉さんは、夫婦だけなので、スーパーなんかで買うこともないのよ。
山口の私の生家には、いっぱい栗があるのよ。買うこともない。その日はそれで終わった。
2,3日後に会ったとき、ヤマオカさん、あの栗、美味しかったよ。
わかったよ、来年はもっと持ってくるので、楽しみにしてください。いいオバサンだ。
松さんは、持って行ったその日に、甘煮をつくった。その作品を我が家に持って来てくれた。美味しかった、娘にも電話をして取りにくるように言ったよ。
娘も喜んで、ヤマオカさんによろしく言っといてよ、だった。松さんにも、来年はもっともっと多く持ってくるサカイにと言った。
いいオバアちゃん、だ。
この松さんは和歌山出身で、私たちには関西弁で不自由はなかった。
長女の家庭用には私が渋皮を剥いた。
4人家族だけれども少ないのは寂しい、少しでも多ければ、それなりに喜んでもらえるだろうと、多い目に皮むきをした。
圧力鍋なら10分ぐらい加熱すれば、渋皮はきれいに剥けるらしい。長女の家庭には圧力鍋があるのを知っていながら、醜(ひど)い指あつかいで頑張って剥いた。
栗ご飯は、上手く炊けて美味しかったそうだ。ここでも、私は懲りずに来年はもっと多く持ってくるサカイにと言っておいた。
最後は我が家の栗ご飯のことだ。三女家族と一緒暮らしになったので、鬼皮と渋皮を剥く仕事は私がやった。大人5人に2歳が一人。最低に50個は剥かなくてはいかんだろうと思って始めたが、それ以上は剥けなかった。
割と難しくて2時間は要した。栗ご飯を妻が立派に仕上げてくれた。喜んでくれた。
義理の母が、私も小さいころはよく剥いたよ、底の方から剥いて、それから少しずつ先に向かっていくのよ、と言われたので、オバアチャンちょっとやってみると仕掛けた。
指の不自由さが極まり、包丁を持つのも、栗を強く持つのもできなかった。ハッハッアーと笑い転げて、一貫の終わりだった。
3年前に植えた栗の樹もおおきくなっている。今年は30個ぐらいしか生らなかったが、これからが楽しみだ。