2017年9月22日金曜日

待つのが仕事 身に染む戒め

2017年9月21日 朝日新聞(夕刊)3版6の「一語一会」より。



私の頭脳のほんの一部分だけれど、高倉健さんを知り、この石倉三郎を知っているから、だから、この記事に感動したのだろう。身勝手のことだ。記事そのものを転載
させてもらった。




俳優 石倉三郎さん

高倉 健さんからの言葉


出し抜けに高倉健さんから電話がかかってきた。東京・木場の当時の住まいへ結婚祝いを届けに来るという。1986年のことだ。

「式に行けなくて悪かったな」

そう言って祝いの品を差し出すと、部屋に上がろうともせず、土砂降りの雨の中を去って行った。贈り物はロレックスの腕時計。添えられたペンダントの裏に漢文が刻まれていた。曰(いわ)く、〈冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、競わず、争わず、以って大事を成すべし〉。

「健さんは、これを自分の戒めにしていらっしゃったんでしょう」

出会いは、その20年ほど前である。バイト先の東京・青山のスーパーから昼休み、近所の喫茶店へ通っていた。事務所が近い健さんは常連客だった。ある日、声をかけられた。「よお、何してるの?バイトか。本職は何なの?」

言い淀んでいたら女性店主が俳優志望だと口を挟んだ。「劇団に入っていても月謝が払えない。世の中は結局カネですかね」。胸の内を語ると、「東映に来るか。最初は端役だけれど、ギャラは出るよ。芝居の勉強をすればいいじゃないか」

東映に入ったものの芽が出ず退社し、美空ひばりさん、島倉千代子さんらの座長公演に立った。やがてお笑いに軸足を移し、80年代初めの漫才ブームに乗って世に出る。

92年秋からのNHKの朝の連続ドラマ「ひらり」で主人公の叔父の鳶職を演じ、役者として生きる手応えをつかんだ。この演技が名匠、市川崑監督の目に留まる。84年公開の映画「四十七人の刺客」で大石内蔵助の家臣・瀬戸孫左衛門役に起用された。主役の内蔵助は健さんだった。撮影初日、あいさつに行くと、我がことのように喜んでくれた。「さぶちゃん、潮が満ちてきたなあ」

撮影セットに入ったら休憩中も腰かけない、そんな修行僧のような健さんには及びもつかぬが、結婚祝いに贈られた言葉は常に心にある。

「特に『閑に耐え』が難しい。ぼくらは待つのが仕事っていわれるけれど、役がくるのをあんまり長く待ってると精神が腐ってくるんですよ。もう、ダメなんじゃないか、と」

こうした雑念を払い、ひたすら耐える―――、戒めを残して逝った恩人に感謝している。

(田中啓介)