2009年9月22日火曜日

彼岸花(ヒガンバナ)を想う

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今から40年も前のことですが、大学の4年間は菅平でサッカーの合宿をした。そこでの合宿のことについては、涙や汗や鼻汁や、嗚咽や悲鳴、苦しさや悔しさに情けなさ、そんなものを総動員しなければ語れない。

が、今回の主たるテーマは合宿のことではなく、彼岸花のことなのです。普通は秋のお彼岸の頃に咲くと言われているのですが、菅平は避暑地なので、丁度我等の合宿の頃、8月の初旬が見ごろなのです。大量に群生していて、そのさまは恰(あたか)も火が噴いているようでした。他にも草花は色々咲いてはいたが、花の色が真っ赤で、その存在は他を圧倒していた。菅平での思い出と言えば、グラウンドでの練習以外では、冷たい水と空気、それにレタス畑にこの彼岸花の群生でした。

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私の田舎にも、彼岸花は彼方此方(あっちこっち)にたくさん咲いていました。とりわけ、水田の畦道では、丁寧に雑草が刈られた後なので、まるで緋毛氈が敷かれたようでした。畦道の雑草は、夏に草が伸びきった頃に刈られ、彼岸花はその後に、茎を真っ直ぐに飛び出したように伸びるのです。花は、地面から50センチ位の高さに揃って咲く。

そんな彼岸花のことを、私は父から余りいい話を聞かされていなかった。

その彼岸花が昨日、弊社で企画中の中古住宅の庭に赤い色のが一輪と、裏の空地に黄色い花の蕾を見つけたのです。それをきっかけに、この稿を書き出したのです。今まで観てきたのは赤い花ばかりで、白い花は観たことがありません。黄色の花を見つけたのは今回が初めてでした。

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毒のある花だ、とか。仏さんがこの花になり代わって咲いているので、摘み取ったりしないように、とか。摘み取って家に持ち帰ると、家が火災に遭う、とか。そんなことを聞かされて、死や不吉なイメージが付きまとい、忌み嫌うようになっていた。

仏教用語としての彼岸は、先祖の霊を敬い墓参りをすること。また、彼岸(ヒガン=悟りを得た理想の世界、あの世、死)と此岸(シガン=迷いの世界、現世、生)からも、彼岸には死が漂う。

そして今月、61歳を迎えるこの私にも、経済的に困窮していることは依然と変わりはないものの、花などを観る心の余裕を少しは持てるようになったようだ。それで、今は彼岸花だ。

ネットを駆使すれば、思わぬ新発見や、曖昧のまま放ったらかしにしていたことの確認作業がいとも容易くできるようになった。確認をサボって、死んでいくわけにはいきません。

以下はネットで調べたことを材料にしました。ーーーー

別名、曼珠沙華(マンジュシャゲ)って、やっぱり線香臭いな。法華経の仏典に由来する。

有毒な多年草の球根性植物。これを食べた後は「彼岸(死)」しかないとも言われ、よくよく、死と馴染みの深い植物のようだ。死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)とも言われているなんてこともネットには書かれていた。

でも、彼岸花の鱗茎の毒を活かしたホッとするような、少しは嬉しくなるようなこともある。水田の畦などに植えられ、畦にネズミやモグラ、虫など田を荒らす小動物がその鱗茎の毒を嫌って避ける。そのことによって、畦道に穴が空けられないようにした。水田の水の確保は百姓にとっては肝腎なのです。

墓地などにも植えられた。虫除けや、土葬後に死体が動物によって掘り荒らされるのを防ごうとしたようだ。

私の実家の近くで少し小高くなった丘に、宇治川や瀬田川で自殺や事故で浮き上がった身寄りの判らない土左衛門を埋葬する無縁墓地がありました。大きな一枚岩が墓石になっていて、遺体が運ばれてくると、その石を除けてその下に埋葬していました。普段は、私達ヤンチャ坊主らがその一枚岩の墓石に登って遊んでいたのです。地中の仏様には、大層迷惑をかけた。その無縁墓地の周りには、彼岸花がいっぱい咲いていました。

学習=土左衛門(どざえもん)。【江戸時代、成瀬川土左衛門という力士が水死体のような太り方をしていたことから】水死体、溺死者。(講談社、日本語大辞典より)

鱗茎に毒を持っていることで、先人達はそれを利用していたことを知って、私の彼岸花に対する嫌な感じは、多少なりとも拭い去られた。何事にも、あんまり、先入観をもって接しないことだ。

追記

岐阜県・高山市では、今(090922)、彼岸花が満開だ。市では保護植物に指定して、約1000平方メートルの保護地区が手厚く守られている。愛されてもいるんだ。今でも愛してる人たちがいるんだ。ここで再び、ホッとした。