2013年7月21日日曜日

今度の富士山は富士宮ルート

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我が生涯4度目の富士山行は富士宮ルートを選んだ。

1ヶ月半前に、ギックリ腰になって、そいつが質(たち)の悪い奴で、丸々1ヶ月激痛に襲われ、仕事ではスタッフに迷惑をかけてしまった。そんなことがあっての今回の富士登山なので、皆が心配してくれることに恐縮した。4月中頃から次女の婿・竹ちゃんに同行を求めると、早速観光会社に予約をしてくれた。夏休みに入る前を狙った。富士山が世界文化遺産に選ばれてからは、俄然人気が沸騰して、土日の山登りの混雑ぶりが新聞等で報道されて少しは心配していた。

ところが、今回は富士宮ルートを選んだことや、水・木曜日ということもあってさほど混んでいなかった。今までの3回の富士山は全て人気の高い吉田ルートだったので、この空(す)き様は気分好かった。

世界遺産に選ばれたこともあってか、どこのトイレも綺麗になった。この5年間で3度目の富士山だが、年々歳々改善されているのが嬉しい。環境に配慮したバイオトイレだ。維持管理に協力金200円は安い。

今回初めて知ったことに、山室(やまむろ)という言葉がある。富士山のような樹木のない山では、樹木で小屋を組み建てることは無理で、斜面に横穴を掘って部屋を作ったことからこのような名称がついたようだ。日常的には山小屋と呼ばれているが、印刷物には山室と書かれている。でも、どの山室も木造で表面は石で保護したものが多かった。

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新5合目 富士登山富士宮ルートの出発点

 

5合目には富士山総合指導センターがあって、前を通った私たちに、今夜から明日にかけて天候が荒れることを知らせてくれた。

富士宮口・新五合目

17日、竹ちゃんとは05:30に横浜駅の天理ビル前で集合。専用のバスに6人乗り込み、新宿を回ってそこでバスは満員、東名高速道路、富士山スカイラインを一路富士宮(ふじのみや)口に向った。途中、足柄パーキングでオシッコ休憩。

5合目富士宮口レストハウスでいくつかの注意事項の他に、高山病予防のために、1時間ぐらいは高地での慣れが必要ですと言われたけれど、無視して10:47に二人はスタートした。いくつになっても治らない、利(き)かん気なオヤジと義息だ。バスが降りた時点で、標高が既に2400メートルだ。欠伸をして、耳の中だけは調整した。

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 富士宮ルートは、登りと下りが同じコースだ。登りは兎も角、下りっ放しは膝に負担が重く、辛く、面白くない、それならば、宝永山を迂回してゆっくり下ろうと登り口で決めた。

このルートは他の3ルートに比べて、登りも下りも5キロメートルと一番距離が短いので、当然、登り下りは急坂だ。

  雲海荘

 

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新六合目には、雲海荘と宝永山荘の二軒の山小屋があって、山小屋の裏手からは登山道が険しくなる。心臓がパクパク唸り出すのはしょうがない、パクパク、ハアハアしながら、進んだ。休み時間を含まなければ、頂上までは5時間、下りは3時間とあったので、宿泊予定の9合目の万年雪山荘までなら、4時間もあれば着くだろうと想定した。

ここから、宝永山へ行くコースもあるが、宝永山へのアタックを望むならば、私たちのように、頂上から御殿場ルートを通る方をお勧めする。上からの眺望がすこぶるいいのだ。思わぬ豪快な風景に魅入られた。

 

新六合目からは、砂礫の斜面が多くて滑りやすかった。

竹ちゃん家系の大握り飯を2個食った。昼飯時間は正午なので、確か新七合目だったと思うが、勘違いかもしれない。

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「竹ちゃん家系」のお握りは、大きくがっちり握られていて、2個も食えば満腹になった。

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この辺りから、空に雲が増えてきた。

 

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七合目を過ぎると岩場になり斜度がきつく、八合目(標高3250m)の山小屋、池田館の直下までは、むき出しの歩きにくい岩場が続いた。

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万年雪山荘が見え出してから、急に足が重たくなった。九合目(標高3410m)の万年雪山荘に着いたのは、02:00頃。登り出してから3時間10分。曇(ガス)ってきたが、雨が降らないうちに着けた。

富士宮ルートで最大クラスの山小屋。食堂スペースが広くてゆったりしていた。宿泊者でなくても利用できる食堂は午前3時から営業、オーダーストップは19:00。消灯は20:00。

今、オイラはにわか作りの山男、いつもは切った張ったの企業戦士だ。なかなかこの小屋は繁盛しているわなあ、と、つい胸算用してしまう。働いている人も、経営者と思われる赤いジャンパーのオヤジも表情がいい。このオヤジさん、夢中で計算機を叩いていた。小屋の改修や増築が現在進行中、まさに投資中とは恐れいった。最大収容人員は250名、私の見立てでは、この日は100名ぐらいが宿泊しただろうと勘定した。それに比べて、その他の小屋は、けっして経営が楽そうではなかった。休館の小屋もあった。低いところの山小屋は総じて人の出入りが少ないようなので、私は敗者復活のための挽回作戦を思いついた。これは別の稿で触れたい。

5時か6時か、私は床に寝転び、竹ちゃんは食堂でビールを飲んで過ごした。飯は何時でもいいですよ、と言われたので確か18:00頃、定食のカレーを食った。用意された温かいお茶が美味しかった。

富士宮口・下山風景 

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9合目 万年雪山荘到着

私たちがカレーを食い終わった頃に、小屋にたどり着いた人たちは雨に打たれたと言っていた。私は疲れたので、タイツにホカロン、完全防寒して本格的に寝る体制に入った。

深夜、屋根を打つ雨音がしたので、心配になって外に出てみたら、小屋は霧にすっぽり包まれて、風が強く吹付け、雨が横殴りに降っていた。竹ちゃん鼾(いびき)が、私の耳に心地良くない。雨のことは、自宅を出た時から覚悟をしていたが、冷たく強い風雨には少しビビった。でも、今は、静かに体を休めるしかない。

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宿泊所に着いたことを、身重の妻にメールをしているのでは、、、

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万年雪

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02:00、団体で行動しているチームのリーダーは早々に、頂上に登頂することを断念するとメンバーに指示していた。中止にして06:00から下山するらしい。

私はキャップテンとして、竹ちゃんに04:00には朝飯を済ませて出発することを、強い意志をもって告げた。それでも心配で、3時頃からしょっちゅう外に出ては様子を伺っていたが、天候は変わらずじまい。朝飯の弁当の内容は憶えていない、それほど緊張していたようだ。温かいお茶を何杯もいただいた。美味しかった。

4時に勇気を振り絞って外に出たら、スタートの準備をしていた男5人組みが、もう少し様子を見てから出ることにしましょう、と小屋の中に戻った。意気地なしの奴らだ。私たちは意気消沈することなく、削がれることなく、真っ暗闇の中、足元は竹ちゃんのヘッドランプを頼りに歩き出した。冷たい雨が横殴りに二人に吹き付ける。視界、目先3メートル。

この時の決意を、下山してから、竹ちゃんがあの時のお父さんの「行こう」の言葉が嬉しかったと言った。彼には、今回の山行には並々ならぬ覚悟を秘めていたようなのだ。

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夕食は定食のカレー。この写真は朝飯(弁当)の様子

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山頂まで最後の山小屋が九合五勺(標高3550m)の胸突山荘。

 

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頂上に到着

 

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そして、ついに登頂! 気温は4度。浅間大社奥院に無事登頂したことを感謝。主祭神は浅間大神(木花之佐久夜毘賣命・このはなさくやひめのみこと)。なぜか女性の神様だ。8合目以上は奥院の御神域。5合目以上は浅間大社の社有地と聞いたことがあるが、それはきちんと確かめていない。

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浅間大社奥院の中で会った僧侶。許可を頂いて、写真に撮らせてもらった。

 

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日本の最高峰・剣が峰 3776メートル

 

視界2メートル。冷たい雨で軍手はびちょびちょ、手はかじかんで感覚なし。富士山では、100メートル高度を上げるごとに0.6度気温が下がる。この時、私はメガネをかけていて、手元しか見えなくて困ったとメガネを外すと、視界が急に2メートルに広がった。メガネはびっしょりの雨粒で視界を妨げていたのだ。

日本の最高峰を示す碑に、竹ちゃんは水天宮で貰ってきた出産の無事を祈願する腹帯を巻きつけ、自らも祈った。私の次女で竹ちゃんの女房は、今年の12月に出産する予定だ。私にとって6人目の孫だ。その後、浅間大社奥院でも帯を差し出し、神様のご加護をお願いした。お守りも求めた。杖に、富士登山山頂の焼印を押してもらった。

私は、頭の中で、家族、友人、先輩後輩、会社のスタッフ、協力会社の皆さんの顔を浮かべ、それぞれの名前を口ずさみながら、頭(こうべ)を深くニ礼、かじかんだ手の平を力強くニ拍、浅間大社の神のご加護をお願いした。

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下山に入る。

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宝永山

 

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宝永山山頂

 

山頂から御殿場ルートを下り、宝永第一、第二火口経由で富士宮口新五合目に戻るコースを選んだ。途中からは砂地なので下山しやすかった。

途中から雨が止みガスが消え、視界が広がった。雨具を脱いだ。上から、宝永山のなだらかな山容を眺めながら下った。馬の背では、見晴らしが好かった。宝永山の頂上から、一気に火口の底まで下りて行くコースだが、振り返り振り返り、歩いた。火口の底からの壁が聳(そび)え立つ光景は、飛ばされることなく残った岩が無骨に浮き出させていて、その迫力に登山者は目を奪われた。竹ちゃんは、愛息・晴にも見せてやりたいなあ、と独り言。

歩く距離が約2キロメートル増えたが、貴重な体験だった。いったん火口の底まで下りたので、最後に再び高低差50m程度を登らなければならなかった。
20091011、宝永火口で大落石が発生したことは知っていた。落石は、登山者のすぐ近くの登山道を横切ったそうだ。

火口の底で、タイツと上着を脱ぎ、軽装になった。宝永山に向かう小学5,6年生の団体に出くわした。

これらの火口は、宝永噴火によってできたもので、その宝永噴火のことを、富士山に向かう前日の20130716の日経新聞の記事にあったので、ここに転載させてもらう。

宝永噴火=1707年に富士山南東部の山腹で起きた大規模な爆発的噴火。南海トラフが震源の宝永地震(M8.6)が起きた49日後に発生。1703年には相模トラフが震源の元禄地震が起きていた。噴火は2週間ほど続き現在の静岡県では家が焼けたり、農地に積もった火山灰で深刻な不作に見舞われたりした。降った灰で火口から100キロ離れた江戸でも空が暗くなったとされる。

下方にレストハウスの駐車場が見えて、ここでも急に足が重たくなった。確実に、加齢による体力というか、筋力に衰えを実感した。今回は、直前に腰痛に襲われ、準備不足だったこともあるだろうが、やはり、日々の精進が肝要だ。

 

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富士宮口5合目レストハウス前に到着  10:00

 

帰途、どこかの温泉で湯を浴び昼飯を食って、バスで新宿へ。新宿からJRで東戸塚駅。駅隣接の居酒屋で、日本酒少々飲んで反省会、解散。

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東戸塚の居酒屋で反省会 20:00~21:00