山口県周南市の連続殺人放火事件。殺人容疑で男が逮捕されたと、20130726の新聞記事で知った。山中を捜索していて発見された。容疑者は5人全員の殺害と2軒の放火を認めているという。
容疑者の知人らによると、容疑者と周辺住民とは、容疑者の飼っていた犬や水田の管理などをめぐって、長年いざこざが絶えなかったらしい。真相は今後の捜査で詳(つまび)らかにされるだろう。容疑者は、約2年半前には周南署に「悪口を言われて孤立している」と相談をしていた。
こんな記事を読んでいて、私の子供の頃の田舎でのことを思い出した。同じような閉鎖的な山間谷間(やまあいたにあい)の村のこと、私の村でもこんな凄惨なことが起こり得たかもしれないのだ。
それは水田用水のことだ。山の裾野のところに貯水池があって、そこから用水路を通って下流の方に配水している。この水に関しては、水田の耕作者たちでつくった水利組合が管理していた。
雨がよく降って、貯水池に水がたっぷりあるときは何も問題が起こらないが、降雨量が少なく、貯水池にも水が少なくなって、水田が干からびて亀裂が生じてくると、村の雰囲気が一気に重苦しいものになるのだ。その雰囲気は子供心にも怖かった。私の村の主要産物は米とお茶だ。村で人と人が出くわすと、話すことは雨のこと、水のことばかり。
水田への水は接している用水路から取水できる。ところが水量の少ないときは、下方の水田のことを考慮して、自分の水田への取水口を自らの判断で調整するのだが、これが難しい。一つの用水路からは、大小80枚から100枚の水田が利用する。
他人の水田のことなんて構っちゃいられない、自分の水田のために取水口を大きく開ける、他人の水田に水が不足していようが知るもんか、と考えるずうずうしい輩が必ず出てくる。そこまで乱暴ではなくても、自分びいきに取水口を開ける人もいる。上流の方で、各々がちょっとづつ大きめに取水口を開けると、下流の方には水がまわっていかない。その微妙な加減、開け方次第で、その水田の持ち主の意向や性格が丸見えだ。
水利組合の役員が昼夜パトロールして、公平に水が分配されるように管理していたが、その管理の目を盗んで、ズルイ親爺が奔走する。
ズルイ親爺のことは、その親爺の水田の水を見れば一目瞭然、当然、その親爺は皆から吊し上げを食わされる。大人同士のこと、丁寧に警告しても優しく注意しても、後味の悪い想いを互いに残すことになる。
穏やかでないときは、群れを作って一人の輩を責めたときのことだ。このときの危険を、双方の本人同士には解っていない。群れる方は比較的無頓着でも、責められ、追い込まれた方は鬼になり、修羅になる。閉ざされた狭い村落の中で、互いに誹謗中傷、問題の核心とは関係のないところへ火花は散り、複雑怪奇な様相を見せる。
私の生家の水田は、上流の方にあっていつも安全圏だったが、それでも、父が加減した取水口調整を、朝行って見ると、狂わされていたのはしょっちゅうだった。父は、不機嫌になって、これはアイツがやったのだ、と名前をあげて非難した。
大人たちは、揉めた時にどんな解決方法をとるのだろうか、嫌な事件が起こらなければいいが、と子ども心に心配したもんだ。