2013年7月25日木曜日

織姫と彦星は夫婦だった

    (天の川の写真)

七夕(たなばた)が、どうしてこのように「七」と「夕」の漢字で表すのか、知りたくて大きな声で叫んでみたが、誰も教えてくれない。

だがヒントはあった。七夕を「棚機」ともあり、織姫から機(はた)織りの機を連想して、何となく理解したようでも、たなばたが、何故「七」と「夕」なのかは判然としないままだ。七月の夕べ、程度では済まされない。

もともとは、中国の織女(しょくじょ)と牽牛(けんぎゅう)の伝説と、これも中国の裁縫の上達を願う乞巧奠(きこうでん)の行事とが混ざりあって伝わったものといわれているとネットで知った。

日本には棚機津女(たなばたつめ)の伝説があって、中国から持ち込まれた伝説にさらに加わって、上手い具合に溶け合ったのだろうか。棚機津女は、少女で、水辺で機を織りながら神の訪れを待ち、神の精を妊み神の妻となる巫女のことらしい、これもネットで知った。伝説というものは、私のような頭の硬い人間には、よう解(わか)らんわ !!

織女(織姫)と牽牛(彦星)は働き者同士、来る日も来る日も働き詰めの織女と、牛飼いの仕事に精を出す牽牛。天帝が、そんな織女の婿を探していた矢先に、働き者の牽牛を見つけ、夫婦になることをすすめた。

ところが、結婚してからの二人は、仲が好過ぎて、ひとときも離れることなく仕事を怠けて遊んでばかりいたので、天帝は怒って二人を引き離させた。でも、それでは余りにも可哀想に思えて、1年に1度だけの逢瀬(おうせ)だけは許した。その1年に1度のデートの日が七月七日、いわゆる七夕の日だ。

2013七夕の日の天声人語に、07年の意識調査で、この伝説が織姫と彦星が夫婦だと正しく理解していた人は1割もなく9割超が恋人として誤解していた、と書いてあった。

以下も、天声人語のまま。

年に一度しか許されない星合(ほしあい)の物語が、恋の成就が阻まれ、一緒になれない2人というイメージを定着させてしまった。元々の意味合いが、時とともに忘れられていくのは仕方のないことかもしれない。願い事を短冊に書いて笹竹に飾るのも、かっては裁縫や書道の上達を祈ったものという。今は自分や家族の健康を願ったり、仕事や就職がうまくいくよう祈ったりーーー。