2013年7月25日木曜日

吉田所長に国民栄誉賞を

20130709夜、東京電力福島第一原子力発電所の事故発生時の所長、吉田昌郎(まさお)さんが58歳で亡くなった。最後の砦(とりで)、死の淵で、陣頭指揮を執(と)った男だ。

享年58歳とは若過ぎる、身内の方々や彼をよく知る人たちは、さぞかし悔しい想いだろう。誰よりも本人こそが、オサマル現場を見届けられなかったことに、悔いを残したままの天寿(てんじゅ)を全(まっと)うされた。私も衷心より悼(いた)む。

食道ガンの闘病中に脳出血をおこして緊急入院、悪化、死去されたと知った。新聞を読んでいて、缶ビールを握る指に力が入る。私は、暢気に9月に65歳になろうとしている。それにしても彼の死は若過ぎる。

死因が食道ガンだって? 原発が原因しているのではないかと勘ぐってしまう。新聞記事を前に、彼こそ国民栄誉賞を授与されるべきだと、訪れてきた友人にビールを注(つ)ぎながら叫んだ。

インターネットや通信網を駆使して業容を拡大、立派な会社に育てた経営者や衣服の販売会社を世界的な企業に育てた経営者はいる。彼らはその成功を収入で報われている。が、命そのものにかかわる修羅場で、死の淵にさらされた現場の責任者として、吉田元所長ほどの人がかっていただろうか。

酒量が増えるごとに、こういう人にこそ、政府は国民栄誉賞を授与するべきだと繰り返し叫んだ、ようだ。酒の神バッカスが体中大暴れ、思考は支離滅裂。私にしても、訃報を聞いて、国民栄誉賞を思いつくようでは随分失礼な話だ。

授賞対象者として、歌やお芝居、スポーツで、国民に勇気や楽しい気分にさせてくれた人もいいけれど、国民の安全のために命を張って頑張った人にも考慮して欲しいもんだ。

原子炉建屋の水素爆発に直面しながらも、際限のない事故拡大を食い止めようとした。未曾有の危機に向かい合い陣頭指揮をとった。本社からの命令に逆らって海水注入を続けなければ、結果はさらに悲惨だったかもしれない。あの人だから団結できた、という現場の声も聞く。

それから2、3日後の20130713 車での出勤途中にラジオからは、吉田元所長にこそ国民栄誉賞をあげるべきだと、鬼の首を取ったようにパーソナリティーが力説していたのを聞いた。偉大な男の死に、口調が軽薄過ぎて嫌な気分になった。私の想いとはちょっと違う感じを受けた。ちゃらちゃら、喋るもんではないぞ、この馬鹿野郎!!

この馬鹿がどんな奴か知らないが、軽々しく表現する奴を、何だか無性に腹が立った。