2018年7月13日金曜日

サッカーW杯日本代表の「敗退行為」は如何に?

新聞を読み始めたのは、幼少期それも小学校の2,3年の頃だった。
勉強のデキはマアーマアーだったが、スポーツについての関心?感心!量は莫大だった。
読めない字ばかりの新聞のスポーツ面、この紙面は見るだけで内容が解った。
題字と写真を観れば、何もかもが理解できた。
野球に相撲、柔道、その他の種目の大会があった翌日には面白、可笑しく書かれていた。
その紙面が堪らなく私を興奮させ、知った事項だけで充分幸せだった。

父の友人の影響で京都新聞を宅配されていたが、中学に入った頃に、私の希望で朝日新聞に変えてもらった。
南海ホークスの野村克也捕手の活躍をいつもいつも、もっともっと、知りたかった。
野村は京都府立峰山高校から、1954年テスト生として入団した。
私は京都府綴喜郡宇治田原町、同郷の隠逸だ、と言うと笑われるか?
それから、私は朝日新聞の虜(とりこ)になってしまった。
話題になった事件を、他の新聞がどのように記載していようが、余り気にならない人間になってしまった。
好いことなのか、悪いことなのか? 
お陰で、色鮮やかな種々の語句、話し言葉に聞き言葉、小節文節の作り方と割り振り、尊敬謙譲丁寧語、文章の巧拙などを知ることになった。

後日、これこそ笑われることかもしれないが、大学受験の国語の勉強のすべては新聞だった。
どんな文字の読み書きや文章の理解については、一切の問題集なんか手にしたことはない。古文、漢文は授業のみ。
新聞をどれだけ良く理解したかが? 受験の成否だった。


今回のブログは、殊(こと)にサッカーに関して、並々ならぬ記事を紙面に提供してくれる忠鉢信一さんの文章だったので、すっぽり盗ませてもらった。
朝日新聞編集委員、スポーツ部門。
彼の文章には、一般的なスポーツの記事の中で、サッカーのことについては、独特の威風がある。
私だって、巧(うま)くもないのに高校、大学とサッカーに絆(ほだ)されてきた。
でも、彼の意見に全て賛同、共感している訳ではない。
私にだって、ささやかな自論だって持ち合わせている。
スポーツを知らない人の生半可な意見や文章は、真っ平御免だ。
しょうがない、正気な本気の奴、又はスポーツ技術の猛者の文章しか読めなくなってしまった。

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20180612(木) 朝日新聞・オピニオン

  
スポーツ部・忠鉢信一(ちゅうばちしんいち)
スポーツ部・忠鉢信一

読者有論
サッカーW杯日本代表
「敗退行為」フェアーでない

4年に1度、サッカーの世界一を決めるワールドカップ(W杯)で、2018年ロシア大会に出場した日本は、1次リーグを突破し、2大会ぶり3度目の決勝トーナメント(T)進出を果たした。喝采の声は大きい。
しかし、決勝T進出を決めたポーランド戦の「勝ち進めるの敗退行為」と、その反響に危機感を覚えた。
サッカーを熟知した関係者や識者が、フェアープレーを軽視し、目的を果たせばどんな手段も肯定される、と力説していた。

0-1で日本が負けていたポーランド戦の終盤、他会場で同時に行われていた試合で、コロンビアがセネガルを1-0でリード。試合がそのまま終われば、日本とセネガルは勝ち点で並び、警告の総数で下回る日本が決勝Tへ進む状況だった。
西野朗監督は後半37分に長谷部誠選手を投入し、パスを回してスコアを維持することなどをチームに徹底した。

直後から賛否両論が起きた。
西野監督は「本意ではなかった」と述べ、選手に謝罪。
長谷部選手は「真実は結果の中にある」と話したが、選手の中にも異論はあった。

負けているチームがわざとパス回しをする違和感はだれもが感じたはずだが、世論は賛成派が目立った。
決勝Tに進むための負けであり、パス回しでスコアを維持する作戦は世界の常識と主張。他の試合結果に決勝T進出を委ねることが「賭け」でしかなく、試合途中で負けを意図することがフェアプレーに反する禁じ手であることから目を背けた。

国際サッカー連盟(FIFA)と日本ダッカー協会(JFA)は、負けを意図することがフェアプレーに反することを明確にしている。

FIFAのフットボール行動規範は「勝利はあらゆる試合の目的。
負けを目指してはならない」「試合終了の笛が鳴るまで勝つためにプレーしなさい」とある。
JFAサッカー行動規範には「どんな状況でも、勝利のため、またひとつのゴールのために、最後まで全力を尽くしてプレーする」と書かれている。
罰則はないが、故意のオウンゴールといった極めて悪質な行為が処分の対象になったことが国内外で過去にある。

JFAは「フェアで強い日本を目指す」と宣言している。
JFAはW杯が終わると、「テクニカルリポート」という報告書を作成し、全国の指導者を集めて開催する「フットボールカンファレンス」でその内容を解説する。
ポーランド戦で勝利を目指さず得失点差を維持した選択を、JFAはどのように総括し、指導者たちをどう受け止めるのか。

勝利とフェアープレーの両方で手本となるのは高度な要求だが、それに応えるのが日本代表の責任だと思う。
過ちを認めることもフェアプレー。結果がすべてなら、サッカーは文化にならない。