2018年7月26日木曜日

下らない、日大の「悪質タックル」!

下らない日大の「悪質タックル」として朝日新聞に記事が出ていた。
私ほど、この悪質タックルについて、冷感悪寒、冷ややかに侮辱した男はいないと思っていただいても、多いに結構なことだ。
それほど、私はスポーツ原理主義者なのだ。

私が大学に入学した50年前にも、某大学と某大学と某大学のことだ。
レスリング、登山、相撲、それ以外のクラブでも、批判を受けるような事件が幾つもあった。
それから、大学関係者や卒業仲間が集っては解決策を練り、再び起こさないように努力していた。そんな、体育会・運動部、暗黒の時代があった。
私が在学した学校は、万一良くないことが行われ場合は、OBを含めて現役選手らのチームとしての抜本策を考出、それから教授会、体育会による役員会によって、次の手が打たれる。

こんなアホみたいなことが、現実に行われた。
高校生ながらに、嫌な想いをしたことがあった。
私のような、田舎の田舎育ちの人間には、何のことやらわからなかった。

そんな人間だって東京にある有名な、日本一を誇る大学へ入りたくなった。
匠(たくみ)稀(まれ)な巧技を魅せてくれること、溢れるばかりの身体の強さを見せてくれる人と一緒にやりたかった。
そして、恥ずかしながら2年間の浪人の末、我らの大学こそ一番であれと銘じていた大学に入ることができた。
日本のサッカー史上、誇りの釜本邦茂を生んだ学校だ。
釜本を指導したのが、私の同期の父、工藤さんだ。
私を滅茶苦茶(めっちゃくちゃ)、ボロボロに教えてくれた老紳士、日本のサッカーの神様といわれた。
幾つかサッカーの強い大学もあったが、「我らの大学こそ一番であれ」を選んだ。

それにしても、私は2年間の素浪人によって、余りにも力が抜けていたと言うのか、サッカーの「サ」だって、できるほどもなかった。
ボールを扱う足技(あしわざ)だけではなく、唯、走ることだけだってできなかった。
他人と走行を競ったことなんてなかったし、サッカーそのものの試合だってやったことがなかったのだ。

頭の中だけ、サッカーを立派なチームでやることだけを夢見ていたにすぎなかった。
そんな私だから、1年生の3月、4月については、なりふり構わず走ることだけ。
それも、どんな走りをするか?どれだけ走るか? そんなことは構っちゃおれん。
それと、止まったボールを、どんな蹴り方とか、足の何処から蹴るとか、それも相変わらず気がねせず、兎に角、一所懸命にやるだけやることだった。
正規の練習をやった後、時間は幾らもあった。
その時間を、暗くなって仲間が居なくなっても、走ることはできた。
誰にも見られている訳ではないから、遅くたって恥じることはない。
早く走りたくても、走れないものはしょうがない。
いつか、なんとなく、この若輩者の俺だって、人並みに走れるようになるだろう、と勝手に思いを走らせた。
問題は、時間の経過と共に、蹴ることだって、ヘッデイングだって、走ることだって、タイミングを誰よりも早く感覚できれば、乗り越えられるだろう。
やるしかない、と決意した。

その後、5月以降のことはどうなるのだろう?

そんな私のことだから、年毎?月毎?なんて想像もできない。
そんなことよりも、1日、1日のことが一番大事なことで、勉強なんて考える隙間はなかった。
幸いと言えば、怒られるかも知れないが、4年間のうち2年間、大学はロックアウトされ、授業はされなかった。
ならば、俺だけの勉強を懲りずにやっておけば、糞のように時間は過ぎ去らないものだ。読書に励んだ。サッカーの時間以外、部員が何(なん)らかんだとやっている時間こそ、私にとっては貴重なものになった。
昼は、サッカーの基本の、基本の、練習、夜は自分のお抱えの勉強だ。
この成果か? 就職試験には割と好成績を採れた。
4年間のサッカーの実績は、私の口からは何とも言えないが、一般常識としての知識はそれなりのものを身に付けていたようだ。




2018年7月3日(火)付 朝日新聞の記事を転載させてもらった。

波聞風問(はもんふうもん)
編集委員・堀篭俊材(ほりごめとしき)


「悪質タックル」 組織の暴走ひとりごとではない
「アメフト部の悪質タックル問題、君はどう思う?」。
採用面接で聞かれる日本大の4年生たちに、ある学部のお就職指導の担当者はこうアドバイスしているという。
「『第三者委員会の報告書をみて下さい』と答えて」

就活生を気づかったわけではあるまいが、日大の第三者委は6月29日、中間報告書を発表した。
日大の選手が関西学院大の選手に危険なタックルをしたのは、前監督と前コーチの2人による指示だったとようやく認定した。

遅きに失した感もある。約1か月前、日大アメフト部が所属する関東学生連盟は調査報告書を出している。
「相手を潰すんで、試合に出してください」と申し出た日大の選手に対し、前監督は「やらなきゃ意味ないよ」と答えた。
この言葉を「立派な指示」と断じ、関東学生連盟は前監督らを除名処分にした。

上の指示が認められるのは珍しい。
不祥事の幕引き図る報告書の多くは、知りたい肝心の部分はあいまいにしてすませるからだ。

たとえば、公文書改ざん問題をめぐる財務省の調査報告書は、森友学園との応接録の廃棄についての「指示」をこう記している。

当時の理財局長は、国会で「交渉記録はない]「行政文書の管理ルール通り対応している」と答弁した。
その後で部下の総務課長に「文書管理の徹底を念押し」した。
ルールは保存期間を1年未満と定めていたため、総務課長は「適切に廃棄するよう指示されたものと受け止めた」。

「廃棄しろ」とはっきり言ったわけではない。ただ、「空気を読め」とばかり、個人に同調を求める圧力が組織ぐるみの暴走につながっていった。
「悪質アックル」はひとごとではない。

3年前、東芝の不正会計問題に対する第三者委の報告書は、経営トップが「チャレンジ」という表現で、決算数字の改善を求めたと指摘した。
「東芝には上司の意向にさからえない企業風土が存在していた」。
その「意向」に従った幹部や社員たちが、目標達成のために不正な会計処理をひたすら続けていた。

関東学生連盟の監事で、日大アメフト部問題の報告書をまとめた1人、寺田昌弘弁護士は「みんな一丸となり、同じ方向をめざす上意下達の軍隊的なメンタリティーは、戦後の復興や高度経済成長には効果的だった」という。

「成功したワンマン経営者の会社には、そのメンタリティーが風土賭して根づいていることが少なくない。
だが平成も終わる時代では、もはや通用しない」。
よしあしの見境なく、場の雰囲気を忖度させる風土が変わらないと、組織は再び暴走する。

日大の第三者委は大学のガバナンスの問題も調べる。
部活の問題にとどまらず、ワンマンのトップを生んだ巨大組織の病理にまで、7月中にまとまる最終報告書は斬りこめるのだろうか。