私、62歳です。
今、加賀乙彦氏の「夕映えの人」(小学館)を読書、進行中です。何故、この本の題名が「夕映えの人」なのか、半ばまで読み進んで、やっと作者の意図が分かってきた。この本の作中の主人公は、男ばかりの4人兄弟の長男。家系を先祖から次代に引き継ぐ仕事を、例えば墓守などは、その時の代表者として行なわなければならない。年老いた父母の世話を最高責任者として全うしなければならない。これらは、長男として家長としての仕事でもあるが、それ以外にも何かと負うものが多い主人公だ。そんな主人公の日ごろの仕事は、私立の病院長なのですが、60歳台にのっかって、先ずは自分や夫婦の高齢化による心身、周辺環境の変化を本の中で考察し始める。考察する材料には事欠かない。余計なことかもしれないが、この本も、何とかオフの105円コーナーで買ったものです。念のために、一言添えさせてもらった。
主人公は60歳になって、それから、何かにつけて60歳の感慨に耽りだす。
1970年代には、「熟年」という言葉が生まれた。1985年に厚生省が、50代、60代の中高年に代わる言葉として「実年」という言葉を作ったが、今では余り使われていない。60代を「老年」とは呼ばないようにしているようだ。それでも、ぴったりした言葉が見つからないので、各氏がそれぞれに「時雨(しぐれ)族」、「夕暮れ族」とか「濡れ落ち葉族」なる言葉を発明した。
何年か前にできた後期高齢者医療制度では、65歳から74歳までを前期高齢者といい、75歳以上を後期高齢者だと名づけた。後期高齢者って、もうそろそろ人生終わりだってことか。そんな馬鹿な。この年齢区分名の無慈悲な役所仕事に国民から不評を大いにかった。
かって、この私のブログでも書いたが、作家・佐江衆一さんは老いさらばえていく父母のさまを「黄落」という題で本を書かれている。
そこで、この本の著者・加賀乙彦さんは、「老年」に代わる言葉として、命を大切に扱う医事従事者でもあるがゆえに、持ち出してきた言葉は静かで豊かな老いのイメージ、「夕映え」だった。夕映えと聞いて、私は心穏やかで幸せな気分になりました。同じお医者さんでも、ちょっとH(エッチ)な作家の渡辺淳一さんとは、出てくる言葉は違うんですね。
本のなかの文章をそのまま、ここに引用させていただく。
作家・加賀乙彦さんは、このように著した。《斜陽に照り映える物の姿は、立体的でもっとも美しく輝かしいんだ。調べてみると夕暮れ前の黄ばんだ日光に照らされた、夕映えの美を日本の古典はちゃんと表現している。色うるわしく、はなやかに、きよげなりとね。夕映え、いとめでたしともいう》
かくして、私も、色うるわしく、はなやかで、きよげで、いとめでたき「夕映え族」ってことかな。
20101210 夜、読了。加賀乙彦氏ご自身の夕映え時の、自叙伝ではあるまいかと察しながら読んだ。氏の立派な人格性が文字になっていて、エラク感動しました。最後の代々子さんのドラマチックな出来事は、感涙に咽(むせ)び泣きました、と言ったら大げさ過ぎるか。だから、読書は止められないんだ、と再認識した。