2010年12月13日月曜日

亡くなった彼を偲ぶ

彼が突然死したのは、約2ヶ月前だ。あんなに元気だったのに、どうしたことだろう。彼は死んだのだ、と諦めようとしても、仕事の合間にどうしても思い出してしまう。どうしてなんだ、と虚しい問いかけを何度繰り返してきたことか。12歳年下だったので、私が62歳、彼は50歳で、十二支は同じ子(ね)だった。

彼のことを思い出す度に、私にとって彼はどういう存在だったのだろうか。彼にとって、私は何者だったのだろうか。何故、そこまで彼のことに関心を持つようになったのだろうか、友情?にしては少し違うような気がする。肉親的な繋がりとでもいうのか。

私は男ばかりの三人兄弟の末っ子だ。長兄は、私が気づいた頃には既に、中学生にして大人だった。我々の父は、家族の将来に備えて、銀行からお金を借りて、耕作面積をどんどん増やしていた。伊勢湾台風で貯水池が決壊して、我が家の水田は大木の根や人間ぐらいの大きさの岩でうずまった。それを復元するために、長兄は学校から帰ると父の作業を手伝っていた。次兄はといえば、これも負けず嫌いの性格で、長兄と父に交じって働いていた。兄二人は、私の世界からは遠くに行ってしまっていた。私は一人っきりだった。三人は兄弟らしい会話もしないまま、助けたり助けられたりすることもなく、余りにも淡い兄弟関係だった。学校で偶然会っても、私たち兄弟は他人同士の様だった。だから、兄弟喧嘩もなかった。

私は、その後小学校から大学まで、友人に恵まれた。先生にも、先輩にも後輩にも恵まれた。社会人になってからも、上司に恵まれ同僚にも恵まれた。経営者になってからも、スタッフに恵まれた。そして私には勿体ないほどの嫁をもらい、子供に恵まれた。子供たちは健やかに成長した。

そんな私が、23年前に彼に会って、彼と深い人間関係を持つようになったのは、私に欠けていた部分を彼は満たしてくれたからではないか、と思うことがある。その欠けていた部分と言うのは、私に弟が居なかったことだ。兄らとは、交じることができなかった不満があった。姉や妹では無理だったろう。

私に弟がいたら、ーーーー、そこが空洞だった。甘えてくれる弟、助けを求めてくる弟が欲しかった。

その弟役を、彼は担ってくれていたのではないか、と思う。きっと彼は、父や母違いの、私の弟だったのだ、とこの頃思うようにしている。できのいい弟に、何度も難題をぶつけてたものだ。彼は、短いフレーズで明快に返答した。時には禅問答もあった。齟齬することはしばしば。私の質問に、当ての外れた答えで、私を混乱させたこともあった。そんなことが走馬灯のように、頭の中を過(よ)ぎる。

二人は、本、映画、お芝居、絵画、ダンス、それらを大いに批評しながら会話を楽しんだものだ。二度と、目と目を合わせて語れない、笑い合えない、怒ったり、悲しんだりもできない。絶望した。

お~い、天国は酒が美味いというがどうだ? 奇麗なネエチャンが居るって言うけど、ホンマか?