2010年12月13日月曜日

金子光晴の詩に、「六十代」というのが

今日も、金子光晴さんの詩集を手にとった。私、62歳。

昨夜、加賀乙彦さんの「夕映えの人」を読み終えた。主人公の60歳前から70歳前後までの間、夫婦を中心に、子供たち、兄弟らの身の上に起こった数々のできごとが繰り広げられた。仕事上のトラブル、父母の残していったものの後始末を物語りにしたものだった。異母妹が突然現われたりもした。面白かった。そんな物語を読むと自然に、私自身に、62歳の男として、年相応の生活をきちんと生きているか、と問う。即答=ただただ、だらしない生活ぶりに恥じ入るのみだ。それでも、老後の生活が安らかでありたいと思う。身内に災厄が少ないことを願う。

加賀乙彦さんの「夕映えの人」のようには、なかなか、そうは巧くいかないものだ。

そんな、老境に入りつつある私は、この今、何を、どうすればいいのか?と考える。悔いのないように、生きて死ぬことだろうが。下の金子光晴さんの詩に今、私が生きていくためのヒントがあるように思えた。

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六十代   金子光晴

六十代ともなれば男も、女も、

生えてくる毛がどこも、白い。

染毛剤はよくなったろうが、

染めている姿が困る場所もある。

 

従って、万端、むさくるしく、

人目に立つのがひけ目になるので、

出合茶屋の入口をくぐる勇気もなく、

さあ、これからは何を頼りに生きるか、

 

ひとには言えないことではあるが、

娑婆気の残物(あら)は、どこへすてたものか。