昨日(20101223 19:00~)、東京演劇アンサンブル、ブレヒトの芝居小屋に「銀河鉄道の夜」を観に行ってきた。ジョバンニ、カンパネルラ、ザネリ、お母さん、尼僧、車掌、博士、赤ひげ、信号手、青年、男の子、女の子、さそり、燈台守、影たち。
作・宮沢賢治/脚本演出・広渡常敏/音楽・林光
多分、今回で10回近く見ていることになる。来年の今頃もきっと、同じことを言っていることだろう。今年は28回公演だ。共同代表者のお二人は元気だった。入江洋佑さんは、タメやん(これって、俺の学生時代からの仲間うちでの呼び名)九州公演を3ヶ月行ってきましたよと仰っていた、入江さんの息子・龍に聞いたら、主役をやってきたんだ、とオヤジを褒めていた。入江さんの年齢は確か80歳前後だ。志賀澤子さんは、この劇中の語り手をやられていた。志賀さんに、元気ですね、ますます磨きがかかっていますね、なんて生意気なことを言っても、優しく微笑み返しをしていただいた。永遠であって欲しいと思う、このブレヒトのコ・コ・ロを。
今回付き合ってくれたのは、伊君だ。彼に最初に会ったときは、3歳頃、保育園児だった。祖母の背中に背負われて、病院に向かう時に、偶然遭遇したこともあった。おばあちゃんは髪が真っ白だった。伊の母親が、我々の会社のスタッフだったので、会う機会は度々あった。そして、現在は弊社のコンピューター関連の保守管理とソフトのサービスのために、週に一度会社に来てくれている。この母・息子は極めて特殊な関係で、同じ一軒家に住みながら、会話がないのは勿論、食事も何もかも別々に暮らしている。かけがえのない親子だからこそ?このように変則的な家族の形が生まれたのか。機会があったら、二人によく聞いてみたい。
そんな彼が会社に顔を出したのを巧く捕まえることができて、一緒に行くことの同意を得た。私は、今までの付き合いがあって招待客なので、劇団には売り上げ面において協力できない分、有料客を連れていくことで、恩返しをしたかった。
今回の芝居の演出は、昨年とは余り変わっていなかった。ただ、私は、観る側として多少なりとも感じ方は変わってきている。台詞をよく聞き取れたことがよかった。そこで、思いついたのです。この広渡常敏さん演出のお芝居を、戯曲というのか、台本というのか、それとも小説として、原作の宮沢賢治モノとは違う、すばらしい文学作品になるように思ったのです。劇団の太田さんに話してみよう。龍にも聞いてみよう。
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下の文章は、1998年12月22日に広渡常敏さんが、なんらかの印刷物に寄稿された文章が劇団からいただいた資料のなかにあったので、ここにそのまま、転載させていただいた。
広渡常敏
早いもので『銀河鉄道の夜』をクリスマス公演としてやりはじめて、今年は16回になる。正直いってこんなこと考えてもみなかった。アンサンブルの俳優たち、そしてブレヒトの芝居小屋に足を運んでくださる見物の方々に支えられて、上演を重ねることができたのである。ぼくらはこれから先も、いつまでも、『銀河鉄道の夜』の舞台を上演しつづけることになるだろうと思っている。
ぼくがはじめて宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読んだのは1942年、中学3年の頃のことだった。たいへん感動したのだが、たしかに感動はしたのに、その実、なんのことやらわからなかった。友人と話したのだが、わからなくても感覚的に感動するのだから名作だというのだった。ところでこの童話を舞台にのせようということになって、上演台本を書くとなると、感動しただけではすまされない。困ってしまった。原稿用紙をニラんでいるばかり。1981年の11月、40年近くたっているのに、やはりわかっていない。
近くにある高輪美術館(軽井沢・千ヶ滝)に行ってみた。マルセル・デュシャンを展示していた。暗箱の覗き穴に眼を近づけると、自転車が吊り下げられていて、一条の光に照射されている。自転車の影が床面に投影されている。2次元(XY)の影の上に3次元(XYZ)の自転車、とすると3次元の上の4次元はーーーー?そこにはどうやら「自転車の自転車」があるらしい。その投影として3次元の「自転車」となり、その投影として2次元の「自転車の影」となる。ジョバンニの影が起ちあがると、、ジョバンニは3次元現実から4次元世界の銀河の夜へと旅たつ。デュシャンの暗箱に啓示されて、その夜からぼくは上演台本を書き始めた、というわけである。こうして「おかあさんのおかあさん」が「おばあさん」でないことが、ぼくもわかった。稚気あふれる賢治の”毒”’(あるいは”洒落”)に挑発されて、ぼくは一気に台本を書きあげた