2010年12月12日日曜日

父の寡黙な仕事を愛する

嫌われてもオレ流

朝日新聞で、毎週日曜日の朝刊に、功成り名を遂げた有名人や、話題の多い人が、自分の父親への思いを各氏、それぞれに語ったものを文章にしたシリーズ「おやじのせなか」がある。私の楽しみにしている企画の一つです。今日20101212は、画家の安野光雅さんが語っている。その一部分を紹介しよう。新聞記事のままです。『僕の周りにはギターやハーモニカを持っている子がいて蓄音機のある家があった。「金持ちっていいな」って言ったら「お金持ちなら偉いってことじゃないんだよ」って。誰もが劣等感を持っている。劣等感は自分がこしらえているもんだ、と。』。こんな感じで、子供が父親から影響を受けたことを、楽しく語るコーナーです。

果たして、私の子供らは私のことをどのように思っているのだろうか、と考えてみると唖然とする。

女房には、悲しい話を持ちかけては嘆かわしい思いをさせている。嫌な父親を目の前で見て、いい印象を抱こう筈がないだろう。子供の面倒は、一切女房に任せ放しだった。毎晩、酔っ払って帰っては、勝手なことを言い、それでも足りなくて酒やツマミを用意させた。仕事では、調子がいいときには調子に乗り、調子が悪くなると、家族の誰にも辛くあたることもあった。そんな親父をどのように思っているのだろうか。

そんな折、二日前の20101210朝日朝刊に中日ドラゴンズの監督・落合博満氏の息子さんが、何かと話題の多い父について書いている文章が載っていたので、ここにパクらせて頂いた。監督には、賢い猛妻が添われていることは、各メデイア等の報道で知っていたけれど、こんな立派な息子がいるなんてことは今回初めて知った。監督のことは、私が、球界で最も関心の高い人物の一人なのです。これは、先に述べたシリーズものではなく、特別に寄稿されたものです。息子は、父をよく理解している。自分のこともよく分かっている、好青年だ。微笑(ほほえ)ましい父子関係だワイと羨ましかった。こんなことを書く私だって、父子関係は最高ですよ。

息子さんはコラムニストで、名は落合福嗣(ふくし)さん。以下は、新聞に掲載された息子さんの文章です。

いつのころからだろう。「背中で語る男」や「寡黙な職人仕事」に世間が敬意を払わなくなったのは。

私は寡黙であるがゆえに批判を浴びる父の姿を見て、そんなことを考えている。

そう。私の父はプロ野球・中日監督の落合博満である。

選手としても監督としても実績は十分だ。なのに嫌われるのは、発現を曲解され、何を言っても無駄だという思いから多くを語らず、それがさらに誤解を招いているからではないだろうか。最近では今年の日本シリーズだ。敗戦後、「一番低い山でけつまずいた」と対戦相手のロッテを見下す発現をしたと批判的に書かれた。

しかし本当は違う。シーズンが最も高くクライマックスシリーズ、日本シリーズと続く「3番目に高い山」と言ったのだ。「低い」という表現ではない。むしろロッテを称賛していた。後日、父は自宅に訪ねた記者に真意を説明し、落合=悪役という「方程式」に沿って書いた記者の立場に理解もしめした。その記者は感激して泣いていた。

そんな姿を想像できないなら、正月に和歌山県太地町の落合博満記念館に来るといい。一般のファンに、シーズン中の采配やプレーについて何時間も語る父を目にするはずだ。プライベートでファンにここまで語る監督など、まずいないだろう。話を聴くための労をいとわない人には存分に語り、冗舌で気さくな本来の姿を見せるのだ。

かって私は父のことで、随分いじめられた。そのことで苦悩し、批判を浴びても流儀を変えない父に食ってかかった。最近は「ファンサービスしないと批判されているよ」と苦言を呈している。父は球団との契約書を見せて勝つことが自分の仕事だと書かれている」と反論する。父は勝利が最大のファンサービスだと考えている。

「おれは子どものころ、巨人ファンだった。強かったからだ。勝利ほどファンの心を震わせるものはない」と。そんなやり取りを通じ、私は父への理解を深めていった。

私自身も世間が抱くイメージに泣かされてきた。幼少時のやんちゃなエピソードから、あり得ない話が作られて「伝説」となって流布している。私は「手のつけられない悪童」と見られているだろう。でも最近、それでいいと思うようになった。実像は違っても、気まぐれな世間のイメージを全て変えるのは難しい。であれば50%の理解を目指そう、と。眉をひそめる人が半分いても、もう半分が「伝説」を楽しんでくれれば。最近、出版した「フクシ伝説」(集英社)には、そんな意図がある。

無愛想だとたたかれても勝利だけを目指す。勝利に心震わせるファンのために。分かるヤツだけ分かればいい。そんな父の寡黙な職人仕事を、私は愛し続けたい。

好い文章だった。今度は、母殿のことを書いて欲しいと思った。あのフクシ君の母で落合監督の妻をフクシ君の言葉で綴ってもらいたい。