2011年4月11日月曜日

この震災記事は捨てられない

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(その後、M9,0に変更された)

弊社の営業部の定休日は水曜日。20110406の今日、私は東北地方太平洋沖大地震(正式には東日本大震災)の新聞記事を保存用にファイルしているんです。

私には、毎日、新聞をきちんと読むことを自分の一日の務めと思っているところがあって、一日でも目を通さない日があると、その日は物足りない気分を一日中引きずることになる。テレビを見ない私にとって、新聞は頼りにしている情報収集の手段なのです。

そんな私が、毎朝、お茶を飲みながら読み、そのまま風呂で続きを読み、風呂の湯気や水飛沫(しぶき)でシワシワになった新聞を、夜、もう一度読んで古新聞の収納棚にしまうのです。そして、故紙回収日を待つのが、今までの習慣だったのですが、東日本大震災に襲われ、その惨事満載の新聞記事を面前に突きつけられてから、その一連のサイクルが狂ってしまった。

読み終えた新聞を、故紙回収に出すこともできず、ドンドンうず高く積まれていく一方だ。どうしても故紙回収に出すことや、包み紙として使うことなど思いもつかない。

この重っ苦しい?内容の新聞をどうして、手放すことができよう。

福島県いわき市から、福島第一原子力発電所の事故の避難民として我が家に身を寄せている西が、パチンコで勝った軍資金で、酒とおかずを買って、必ず持ち帰ってくるのが男性週刊雑誌の数々で、その雑誌にも震災の特集が満載、やっぱり、その雑誌も捨てることができないまま、本棚に積まれている。

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震災の記事満載の新聞が、駅のホームや街角のゴミ集積所、故紙回収所に無造作に置かれているのを見るだけで心が痛むのは、私が少し変なのでしょうか。

新聞や雑誌の文字が、只の文字に過ぎないのに、人間の精が息苦しく蠢(うごめ)いているように思えて、畏怖の念に苛(さいな)まれると表現しても決して大袈裟ではない。ページをめくってもめくっても、恐ろしい言葉が並ぶ題字が目に入って、体に戦慄が走る。寒っ気を感じて、肌にイボイボが立つのです。

気の毒なことが起こってしまった。天災は忘れたころに、必ずやってくるものだった。後々のためにも、新聞や雑誌をファイルして、記憶に留めたい。

被害を受けられた方々に衷心よりお見舞い申し上げます。それ以外、何の言葉も発することはできません。願っています、祈っています。