2011年4月12日火曜日

シベリア抑留、日ロの外交カードに

20110407の朝日新聞、オピニオン「私の視点」に、シベリア立法推進会議世話人の池田幸一氏が、シベリア抑留を日ロの外交カードにして北方領土返還交渉することを提言されていた。尤(もっと)もな意見だと感心しながら拝読させていただいた。貴重な提言だと思ったので、ここに無断転載、マイファイルした。

この新聞記事は、先輩達が、若い世代の人々に、このシベリア抑留が、何故、どうして、どのように行なわれ、その実態はどうだったのか、国際法的な問題は、最終処理はどうしたかと問いかけ、かつ皆で考える好い機会を作ってくれた。

私が大学生だったとき、横浜の友人宅に食事に招かれた。友人のお父さんはいい話し相手が来てくれたと思ったのだろう、自分が過ごす羽目になった6年間のシベリア抑留生活での過酷な環境下での強制労働や共産主義の教育を、酒を片手に夕方から夜半まで、詳細に話してくれたことを思い出したのです。どんな戦争にも、理不尽なことはつきものだが、友人のお父さんは、決して許されるものではないと怒っていた。

日本のほんの一部の人々が、北方四島一括返還といくらピーチクパーチク騒いでいても、当地ではどんどんロシアの実効支配は進んでいる。今更、日本なんかに返せません、そんなロシアの姿勢に、日本は「風呂で屁をこいている」状態(私の田舎では、何の役にも立たない場合のことや無策のときに使う言い方)、その程度の世論だ。国民的気運は少しも高まっていない。交渉を希求もしない。日本はどこの国とも、国境問題に絡む領土問題には、何故かくも臆病なのだろう。

右翼は、街宣車のドテッ腹に威勢よくスローガンを書いて、意味なく拡声器で大声を張り上げているだけで、具体的な行動は何もできない腰抜けだ。真なる愛国者が増え、その中から勇気ある使者が現われて、緊褌一番、北方領土返還交渉の口火を切って欲しいのです。

日本が諸外国に戦争で迷惑をかけたことには、きちんとした戦後処理をしなければならないし、逆に迷惑をかけられたことには、毅然とした態度で求めるべきことは求めなければならない。それが、国家の誇りだ。

私にとっても、この新聞記事を読んだことを機会に、シベリア抑留、ソ連軍の侵攻と我が国の北方領土を、もう一度、勉強して、そして子ども達に話そうと思う。

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シベリア立法推進会議世話人  池田幸一

シベリア抑留 日ロ外交のカードにせよ

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戦後強制抑留者特別措置法(シベリア特措法)が昨年6月に施行され、特別給付金の支給が始まった。90歳になる元抑留者の私は年末に菅直人首相に面会する機会を得た。首相は「歴史は消せない。これまでの不十分な対応を申し訳なく思う」と述べた。私は「慰藉」でなく「謝罪」をしてほしいこと、外国籍の元抑留者への措置、遺族への配慮を要望した。

今年2月の前原誠司外相(当時)のモスクワ初訪問にも期待したが、日ロ外相会談で「シベリア抑留」は議論にはならなかったようだ。領土交渉を有利に進めたいのであれば、なぜシベリア抑留に言及しなかったのか、私には不思議でならない。

戦後、約60万人の日本人捕虜らがシベリアなどで餓えと寒さと強制労働の三重苦に苦しんだ。約6万人が亡くなったとみられる悲劇の加害者は旧ソ連である。1993年に来日したエルツィン大統領は繰り返し謝罪を表明した。補償の議論がすぐにあってしかるべきだったが、残念ながらそのような問題提起はなかった。17年後、ようやく不十分ながら生存する日本国籍所有者約7万人に限定して日本が補償することとなった。

日ソ中立条約の一方的放棄、捕虜の取り扱いを定めたジュネーブ条約違反という二つの重大な条約違反を犯したままのソ連をロシアは法的に継承する。日本は、外相会談でロシアに対して、当事者が高齢という現状を踏まえての人道的措置だと説明し、「しかしながらロシアは歴史的な拉致犯罪の責任から解除されていない」と強調すべきではなかったか。

日本人捕虜は尊い命と汗と時間を失っただけではなく、帰国後も「シベリア帰り」と警戒された。人によっては自殺に追い込まれるほどの不条理な目にあった。それらの原因と責任は両国にある。いまのロシア人の多くは加害の事実をよく知らないのだから、被害国にはそれを伝える責務があると考える。日独の首脳が繰り返し加害の歴史に言及し、反省を述べているように、ロシアも負の歴史について認識を示すべきだ。

失われた領土の交渉では、戦略的でしたたかな外交を求めたい。シベリア捕虜は最も強い対ロカードになり得るのである。

死亡者名簿の提供や遺骨収集を容易にするための協定が日ソ間で結ばれたのは91年だった。今年で20周年を迎えるが、旧ソ連に眠る遺骨の3分の2が戻っていない。

亡くなった約6万人のうち、約2万人の情報がまだ確認されていないという。同協定による両国の協議は4回しか開催されていない。真剣に取り組むべきである。