2011年4月15日金曜日

相談役を拝命した

私は、1週間前に有限会社パラディスハウスの相談役に就任した。

会社の経営責任者の中さんとは、もう20年以上の付き合いで、今まで各々の会社の経営を一緒にやってきた。私が社長だった会社は不幸にも、経済の荒波に揉まれた。その会社も中さんは全面的に、強烈なサポーターだった。彼とは同じ釜の飯を、コゲも一緒にう~んと食ってきたことになる。経済戦争の謂わば戦友同士ということだろう、か。

先日、ヤマオカさんに弁護士さんも仰っていたけれど、そろそろ対外的に活躍してもいいんじゃないんですかね。それで、活動してもらうためには名刺が必要になりますよね、肩書きをどうしましょうか。前文は、中さんの発言なり。そんなことに、考えも思いもつかなかった。将来の野心は密かに温めつつも、当分は、裏舞台で会社を支えることに専念すると決め込んでいたからです。

そこで、中さんから提案があったのは、ヤマオカさんの会社内における役職を顧問か相談役でどうでしょうか、というものだった。驚いた、私に顧問、相談役? それって、一体何だよ、と頭の中がくるくる二つの言葉が駆け巡った。どちらも不似合いだ。

今までに、初めて会った人から、そのような肩書きの銘記された名刺を頂いたことは何度もあるのですが、この私が、この私の名刺に、同じ様に肩書きされたものを、持ち歩くことになろうかとは、夢にも思わなかった。

ヤマオカさんの呼び方はどうしましょうか? 私が社長でなくなった段階で、スタッフには肩書きなしで、ただ「ヤマオカさん」と呼ぶようにお願いした。会社というものは、けじめが大事なのだ。事実のあるがままでないといけない。今まで、私に、社長と呼び慣れている人たちは、当初戸惑っていたが慣れてもらうしかないのだ。

そんなこんなで、晴れて?肩書きは「相談役」ということになった。私には変な偏見があって、顧問という肩書きは右翼やヤクザ、それに類する団体の役員をイメージしてしまい、嫌だった。世間には多くの立派な顧問さんがいらっしゃることは、よくよく承知していることですが、どうしても肌に合わないものは、合わないのだ。参与というのもあるよ、と長く友人関係の司法書士・金さんは口を挟んできたが、これも嫌だと却下した。

役職を与えられたことを機に、相談役としての役務をきちんと全うすることを誓っている。企業人としての私には、残された時間は少ない。中さんを支え、良い会社に育てたい。私が果たせなかった野望を、中さんと共にこの会社で実現してみせる。

社名であるパラディスハウスは、私が、世界に二つとない、創業の精神、掲げる企業理念を表す社名にと考えたものだ。まだまだ、健気(けなげ)な精神と体は衰えてはいない。自負もある。

この25年間、休暇をとったのは、1年365日のうち10日もない、それほど会社に入れ込んできた。熱い思いはどうしても冷めず、苦労を共にしたスタッフとの友情は、深い絆になっている。業務に必要な叡智はますます高度化、蓄積されている。ここに来て、もう、爆発的に成長するしかない。

今では、神奈川県内において、質的にも量的にも、これだけの中古住宅リノベーション事業を手がけているのは弊社ぐらいだ。

かくして、ヤマオカ相談役は、奮い立って、駆け出した。