2012年8月10日金曜日

お盆が近い

お盆が近い 002 

お盆が近くなった。

20120802、弊社の社有物件の川崎市多摩区生田の中古住宅で、12:30から炎天下3時間半、庭を耕した。ふらふらになった。4時過ぎにスタッフの右藤が応援に来てくれたときには、疲労困憊。パンツからズボンまで汗でびっしょり。私はギブアップして、後は右藤に作業を任せた。

この物件はさほど高級仕様とは言えないが、建物の新しさや広さでは十分良好な住宅であることは間違いない。田舎では、大きな庭のある家はよく見る。都会でも、こういう家のことを豪邸と言うのか、と仰ぎ見る機会に度々出くわす。今回の此の物件の特長は、想定している販売価額帯では異常に贅沢なほど広い庭があることだ。この特長に比類がない。

建物に隣接して、もう1軒家を建てることも可能な敷地が含まれているのだ。その敷地の利用次第では格好の楽しめる住宅になる。日当たりは良過ぎるほど良い?ので、花や野菜を育てるのはバッチ・グー、芝生を張っての遊び場はナイス。ホビールームを増築?そりゃグレートだ。楽しみがいくらでもイメージできる。このように私が考えたならば、同じように感じて、買ってくれるお客さんは必ずいる。

今まで雑種地になっていた此の土地を一般公開する前に、整地しようと思った。でも、表面の草むしりだけなら、見る人のイメージが十分広がらないのではと思いつき、樹木や草を根っこから除去して完全に土むき出し状態にした。

この物件がどのような家族に購入され、どのように家庭生活の場になるのだろうか、と思いを巡らしながら作業していたら、ふと子供の頃、今は亡き父母が暑い日差しの下、農作業に勤(いそ)しんでいた姿が、日射でクラクラする視線の向こうに見えたような気がした。お盆が近づいてきたせいか。

この猛暑の時期、生家はお茶とお米の生産農家だったので、茶畑では雑草取り、雑草を取った後には山野で刈り取ってきた草を茶の木の根元に敷いた。地面が焼けるのを防いで、保水保湿のためだったのだろうか。今では、このような作業はしなくなった。水田では穂が実る頃、畦道などの雑草刈りだ。水田と茶畑ではこの程度の作業で比較的少なく、むしろ野菜作りに精を出していた。お盆や薮入りの期間は学校は夏休み中で、正月と同様、家族間で話を交わす機会が多く、家族が家族らしく感じられた。

父や母はあの頃何を考えてこの猛暑の中、休むことなく働いていたのだろうか。猛暑だけではない、冬の寒い日も雨の日も懸命に働いていた。家督相続したときは、分家だったので耕作面積が狭かったが、私が物心ついた頃には、相続した土地の3倍もの広い畑や水田を借金して手に入れていた。農地改革や離農する人が増えたことが、父には功を奏したようだ。

私の田舎では8月13日、お盆の入りの初日の夕方、玄関先で先祖の精霊を線香に火を点け焚(た)き火をして、野菜なども用意して迎えた。迎え火のことだ。極楽浄土からこの世に様子伺いに帰ってくる。滞在中?仏壇には線香、お茶、ご飯、お供えを絶やさなかった。私を可愛がってくれた祖母が元気だった頃、タモツがどのように暮らしているか、きっちり見に帰ってくるからね、とよく言っていた。15日の夕方、送り火に乗って、現世からあの世へ帰っていった。供え物は川に流した。しばらく経って、汚染防止のため禁止されるようになった。送り火には線香や白い槇などを焚いた。

怒られるか褒められるか、私の今の状態をありのまま報告しようと、作業中の私をカメラにおさめた。建物のペンキ塗りの手直しをしていた職人さんにシャッターを押してもらった。

これが、現在の私の姿だ。

この写真をお盆の期間、机の前の壁に貼ろう。お父さん、お母さん、おばあちゃん、俺は元気でやっています。お金持ちにも、偉い人にもなれなかったけれど、お父さんたちが死ぬまで働いたように、俺も頑張ります。